週刊「ナビィ、の部屋」第11号

何だわけ?いきなり、、、とお思いでしょうが、、、
初めて来た場所なのに、『あれ?来た事あるかも?』とか、初めて聞く言葉なのに、何故か心を動かされる響きを感じたり、、、
日本人なのに、沖縄のうたやバリダンスに心をわし掴まれてるナビィの様な人とかさ、誰にでもあると思うんだけど、、、、、
先日、そういう事は全部「DNA」の仕業なんだ!!と言い張る人に会いました。
そう言い張る根拠は、いまいちよく解りませんでしたが、「DNAの仕業」という話しには何となく納得してしまった私なのでした。
2001/11/24、渡辺亮さんと、彼が教えてるサンバのワークショップの参加者『打波波』(打〜娘。)の皆さんとライブをやりました。
このライブのためのリハーサルのお陰で、全然知らなかったサンバのリズムの成り立ちを知りました。
で、私と亮さんはかなり長いおつき合いなのですが、リズムの成り立ちを知れた事で、「あはぁ〜、あの時、あのうたの事で、言っていたリズムはここから来ていたのか?」とか、「はっ?そういう意味だったのか、、、、、」と今更気が付く事もあったりなんかして、、、(ごめんね)
そう考えると、別にサンバの曲じゃーない寿[kotobuki]のうたも、亮さんのアタマの中ではサンバ的リズムが構築されてたわけで、それ程までに亮さんってサンバの染み付いた男だったのね〜 と改めて気が付いたのです。
多分他の人がみたら「ナビィって沖縄が染み付いた女なのね〜」って事もあるんだろうけど、、、
興味があって、一生懸命練習するし、ちょっとでも上達したら嬉しいから又練習するし、、、、だから染み付いても当たり前なんだけどもさ、、、、
かってバリ島で踊りを習ってる頃、私が知る限り踊りやガムランを習ってるのは、ほとんどが日本人ばっかりだった。
練習中、見学に来る西洋人や、台湾人、韓国人の観光客は大勢いたけど、その後、続けて来た人を私は一人しか知らない。
アメリカから来たそのニーニーは、今まで踊りなんぞ、まったく興味がなかったのに、初めてバリに旅行に来て、踊りに心を掴まれ、どうしても踊ってみたくなったそうだ。
そして踊る事が楽しい、と言う様な事を言っていた。
そして、今自分自身に起こってることが、とてもミステリアスだと感じている、とも言っていた。
始めはへっぴり腰で、白い肌、青い目がどうにも違和感があった彼の踊りも日を追う毎にサマになり、たったの10日間でそれなりな感じになっていて、私はでーじびっくりしたのだった。宿に帰っても練習ばっかりしてたらしい、、、、
そこまで入れ込める理由って何なんでしょう?
頑張れるワヶは何なんでしょう??
何故「長唄」ではなく「島唄」なのでしょう???
何故「バレエ」ではなく「バリダンス」なのでしょう????
ミステリアスやっさ〜〜〜〜〜
長い長い「人間」の歴史の中で混じりに交じりまくった私達の「血」
やっぱり「DNA」の仕業なのでしょうか?
キムチとチャンジャと冷麺が大好きで、サムルノリとパンソリを聴くとヤケに血が騒ぐこの私。
11/24のライブ会場で、チマチョゴリの貸し衣裳を見つけ、着付けてもらって御満悦!
サムルノリのグループ「ウリパラム」の皆に「似合う!!!」って誉められてまた御満悦!!!
これもやっぱり「DNA」の仕業??
そういえば「ジョニー宜野湾」の新しいアルバムのタイトルは「DNA」
時代はいま、「DNA」なのかしらっっ????
反論受け付けません。じゃーまたね〜〜〜。