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週刊「ナビィ、の部屋」第53号

ピースボート45thの旅



ヨルダン合唱団、略して「ヨル団」の皆様。ヨルダンの港町「アカバ」にて
下船したエジプトから帰国して早2ヶ月以上が経ち、45thクルーズの旅も終わって、出会った人々も帰国し、、、、、、

 中々書けない、というか自分の中でこの時感じた事がうまく言葉に出来ないまま日々が過ぎてます。


 生まれて初めて「難民キャンプ」って所に行ったんだけど、彼らの場合もう37年難民なので、キャンプって言ってもテントではなく、ちゃんとコンクリートのお家に住んでるんだけど、屋根がないとか、キャンプないの限られた土地の中に家を建て、増加してく人口に対応出来ず、「22人、ワンルームで暮らしてます」なんて人は当たり前にいたり、、、、、、

 見かけは当たり前の建物なんだけど、その中での暮らしはうち達の感覚から言えば「当たり前」とは言えないものだった。


 年明けにピースボートのスタッフから「ヨルダンのパレスチナ難民キャンプで寿[kotobuki]のライブをやりたい」って言われ、すぐさまOKした。

 その後、どんなライブをやりたいか、イメージを膨らませるうち、難民キャンプの人達の名前を歌ううたを作ろう

 そして一緒に参加するピースボートのパッセンジャーの人にもコーラスで参加してもらってみんなで歌えるうたを作ろう、と思った。

ヨルダンの子供たち
うちたちは誰かを認識する時、先ず名前を知ろうとするし、名前を知ったら、その人の事をほんの少しでも知れた様な気持ちになるでしょ?

 パレスチナ人っていう集団に会った、って記憶よりも、例えばイブラヒムってパレスチナ人に会ったって記憶する方が「生きてる人に会った」って想いも残ると思った。

 そう記憶する事がとっても大事と思う。

 イラクで邦人誘拐事件があって、日本の中で「自己責任」って言葉が飛び交って、「政府が危険だから行くなって言ってるのに、勝手なやつ」みたいな言い方が当たり前の様にされていたけれど、NGOや報道関係の仕事でイラクと関わって友達が出来てしまって、その友達が大変な状況にあると分ってたら、無視出来ないと思うんだよね。

 うち達みたいにテレビで「イラク人」っていう集団を観てる人と違って、生身の生きてるイラク人の誰かに関わってる人達にとって、「何もしない」と言う事は「見殺しにするって事だ」、って思ったんじゃないかな?と思う。

 それは、ごく普通の気持ちだと思う。



そう思う人が、世界中に増えたら戦争がなくなるんじゃないか?って思うんだよね。

 もちろんそれだけでなくなるとは思わないけど、なくすひとつの方法だと、そう思う。

 だから、ほんのわずかな滞在時間の中で、ナマのパレスチナ人に会った、と感じる様な経験をしたいし、パッセンジャーの人達にもして欲しい。とそう考えてた。


 難民キャンプに行くパッセンジャーの中から合唱団を結成して同じくケニアから乗船した岡真理さん(パレスチナ問題のレクチャーをしていた)に、歌詞をアラビア語に訳してもらって『マルハバン(こんにちは)』といううたを作った。

こんにちは、はじめまして、
お会い出来て嬉しい、
もっとあなたと友達になりたい、
あなたの名前を聞かせてよ。
私はナビィです、あなたは?



こんな簡単な歌詞。

 こうやって名前を聞いて、聞いた名前をまずうちがメロディーに乗せて歌って、その後同じ様にコーラス隊がくり返す、っていう単純な事を何度もくり返した。

沖縄民謡や寿[kotobuki]のオリジナルは、あんまりウケなかったけど、このうたはさすがに大ウケで、恥ずかしがり屋の女の子達も『私の名前聞いて』って近寄って来たりした。

 本当に楽しかったし、キャンプの人達もとっても喜んでくれてるのが分って嬉しかった。

 実際、このうたを聞いていたキャンプのお偉方から岡さんが「こんなうたを作ってくれて本当に有難う。彼らにお礼を言ってくれ。有難う」と何度も言われたらしい。

 コーラスで参加してくれた人達も「マルハバンを歌えて良かった」って言ってた。


 いろんな意義や意味を考えて出来たうただけど、日本人とパレスチナ人とで、とっても楽しい時間を歌う事で共有したかった、
 本当はただ、それだけだったんだな、って事に全てが終わって気が付いた。

 でも、それでいいんだはず。


難民キャンプの人達は、エネルギーに満ち満ちてた。

 生きる力にあふれてた。

 心のどこかで「可哀想な人達」とか同情や哀れみの気持ちがあったはず。

 でも、彼らに出会ってそんな気持ちは吹っ飛んでしまった。

 うちは彼らに「希望」を感じた。

 哀れみの気持ちから何かをしなくても、彼らの力を信じていればいい、そんな気がする。

 そんな気持ちでパレスチナに注目していれば、本当に必要なこと、できる事が必ず見えて来ると思った。

 そして、やっぱりこの目で、彼らが先祖の大地を踏みしめるその日を、見たいと思う。


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