6月23日号
みなさま、梅雨入りしたってのに全然雨降らないね〜
お元気でお過ごしですかいな??
本当はまだバリ日記(?)続くんですけど、一休み。
時々、あまりの荷物の多さに負けて、酔っぱらいすぎて、歩く事に疲れ果てタクシーに乗ります。
まぁ、そんなたいそうな理由がなくても乗るんですけどね。
今は佐賀にいる、母方の祖母は昔から足が弱くてリュウマチになり、膝に水が溜まったりするので、あまり歩けない。
なので、祖母といると必ずタクシーに乗る。
東京はそうでもないけど、田舎はタクシーの運転手と顔見知りだったり、そうじゃなくて必ず話かけて来る。
そんな時の祖母の相づちの打ち方は、聞く気も答える気もなさそうにどんな内容にも「は〜は〜そうですね〜」と繰り返す、
テーゲー相づち型だ。
うちは、そんな祖母のテーゲーぶりがなかなか好きだった。
時々タクシーに乗って運転手さんと会話している自分が祖母にそっくりのテーゲーな相づちを打ってる事に気が付く。
「は〜そうですね〜」という、その「は〜」の言い方や「〜」の伸びてる感じまでそっくりで、笑える。
うちはあんまり母方に似てると言われた事がないので、こんな所が似てるか、と思うと面白いし、嬉しいものだ。
タクシーに乗ると、よく祖母を想う。
他界した父方の祖母は、夏になると特大段ボールいっぱいに、これでもか〜ってくらい、庭で摘んだどくだみの葉っぱを送ってくれた。
それはもう、ものすごい量で、全部飲んだら間違いなく身体を悪くするってくらいの量だった。
春が来る頃には庭の黄梅を切って、煮た豆やなんかを詰めた段ボールの一番上にそっと添えて送ってくれた。
箱を開けると甘い、甘い黄色い梅の香りが広がって、とっても嬉しかった。
祖母は廃油石けんを嬉々として作る様な人だったり、大正琴を習ってみたりカラオケサークルへ行ったりと芸事も好きだったし、
なんとなく、好きなものが似ている気がする。
時々、祖母達の青春時代ってどんなんだったんだろう??と思う。
どんな夢を見て、どんな初恋をして、どんな喜びに、悲しみに出会い、そうして、うちの「おばあちゃん」になったんだろう?
そう考えると本当にうちは彼女達の事をなんにも知らない。
知らな過ぎて悲しくなって泣けて来る。
(まぁ、両親の事でさえ知らない事は山盛りなんだから当然っちゃ〜当然なのだが)
昔二人の祖母に「子供の頃、将来は何になりたいと思っていた?」と聞いてみたけど、これだと言われた記憶がない。
「そんな事は覚えていない」とか「夢なんかなかったよ〜」とかそんな答えだった様に思う。
父方の祖母は「戦争が何度もあって、そんな事を考えてる様な精神的なゆとりはなかった」みたいな事も言っていた。
本当は色んな夢を心に描いていたんじゃないかと思う。
先日「ひめゆり」という映画を観た。
13年間、ひめゆり部隊の生き残りの人達の証言を撮り続けたドキュメンタリーの映画だ。
観た上にトークショーのゲストにまで呼んでいただいて、監督と打ち合わせも兼ねて色んなお話をさせてもらった。
泥沼だった沖縄での地上戦を生き抜いたオバァ達の証言を聞くうち、うちは自分の祖母を想った。
状況は全く違えど、生きるか死ぬか、命からがら、そんな経験をしたはず。
生き残ったオバァと祖母が重なって、そして生き残ったその命がとても、とても愛おしくなった。
本当は色んな夢を心に描いていても叶える事が叶わなかった時代の女性。
そんな祖母達の『夢』の記憶が小さな種になってうちの中に宿されたんじゃないか?と思う。
うちが、こんな風に歌って踊って生きている事も、案外、祖母達の密かな夢だったんじゃないか?という気がしている。
女が夢を語って、それを実現していく事が許された時代に生まれたうちは、精一杯そう生き抜こうと思う。
その自由を守ろうと、思う。
今日は6月23日。
いのちを想う日。
今年は二人の祖母を想い、歌って踊ろうと思います。
お元気でお過ごしですかいな??
本当はまだバリ日記(?)続くんですけど、一休み。
時々、あまりの荷物の多さに負けて、酔っぱらいすぎて、歩く事に疲れ果てタクシーに乗ります。
まぁ、そんなたいそうな理由がなくても乗るんですけどね。
今は佐賀にいる、母方の祖母は昔から足が弱くてリュウマチになり、膝に水が溜まったりするので、あまり歩けない。
なので、祖母といると必ずタクシーに乗る。
東京はそうでもないけど、田舎はタクシーの運転手と顔見知りだったり、そうじゃなくて必ず話かけて来る。
そんな時の祖母の相づちの打ち方は、聞く気も答える気もなさそうにどんな内容にも「は〜は〜そうですね〜」と繰り返す、
テーゲー相づち型だ。
うちは、そんな祖母のテーゲーぶりがなかなか好きだった。
時々タクシーに乗って運転手さんと会話している自分が祖母にそっくりのテーゲーな相づちを打ってる事に気が付く。
「は〜そうですね〜」という、その「は〜」の言い方や「〜」の伸びてる感じまでそっくりで、笑える。
うちはあんまり母方に似てると言われた事がないので、こんな所が似てるか、と思うと面白いし、嬉しいものだ。
タクシーに乗ると、よく祖母を想う。
他界した父方の祖母は、夏になると特大段ボールいっぱいに、これでもか〜ってくらい、庭で摘んだどくだみの葉っぱを送ってくれた。
それはもう、ものすごい量で、全部飲んだら間違いなく身体を悪くするってくらいの量だった。
春が来る頃には庭の黄梅を切って、煮た豆やなんかを詰めた段ボールの一番上にそっと添えて送ってくれた。
箱を開けると甘い、甘い黄色い梅の香りが広がって、とっても嬉しかった。
祖母は廃油石けんを嬉々として作る様な人だったり、大正琴を習ってみたりカラオケサークルへ行ったりと芸事も好きだったし、
なんとなく、好きなものが似ている気がする。
時々、祖母達の青春時代ってどんなんだったんだろう??と思う。
どんな夢を見て、どんな初恋をして、どんな喜びに、悲しみに出会い、そうして、うちの「おばあちゃん」になったんだろう?
そう考えると本当にうちは彼女達の事をなんにも知らない。
知らな過ぎて悲しくなって泣けて来る。
(まぁ、両親の事でさえ知らない事は山盛りなんだから当然っちゃ〜当然なのだが)
昔二人の祖母に「子供の頃、将来は何になりたいと思っていた?」と聞いてみたけど、これだと言われた記憶がない。
「そんな事は覚えていない」とか「夢なんかなかったよ〜」とかそんな答えだった様に思う。
父方の祖母は「戦争が何度もあって、そんな事を考えてる様な精神的なゆとりはなかった」みたいな事も言っていた。
本当は色んな夢を心に描いていたんじゃないかと思う。
先日「ひめゆり」という映画を観た。
13年間、ひめゆり部隊の生き残りの人達の証言を撮り続けたドキュメンタリーの映画だ。
観た上にトークショーのゲストにまで呼んでいただいて、監督と打ち合わせも兼ねて色んなお話をさせてもらった。
泥沼だった沖縄での地上戦を生き抜いたオバァ達の証言を聞くうち、うちは自分の祖母を想った。
状況は全く違えど、生きるか死ぬか、命からがら、そんな経験をしたはず。
生き残ったオバァと祖母が重なって、そして生き残ったその命がとても、とても愛おしくなった。
本当は色んな夢を心に描いていても叶える事が叶わなかった時代の女性。
そんな祖母達の『夢』の記憶が小さな種になってうちの中に宿されたんじゃないか?と思う。
うちが、こんな風に歌って踊って生きている事も、案外、祖母達の密かな夢だったんじゃないか?という気がしている。
女が夢を語って、それを実現していく事が許された時代に生まれたうちは、精一杯そう生き抜こうと思う。
その自由を守ろうと、思う。
今日は6月23日。
いのちを想う日。
今年は二人の祖母を想い、歌って踊ろうと思います。