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週刊「ナビィ、の部屋」第25号

〜Saya Kuatir BALI(バリを想う)〜



バリの空港にて発見、電話帳の表紙に『インドネシアよ、ひとつになりましょう』と書いてある
バリのディスコで爆発事件が起った。
 これはかなりショックだった。

 もちろん、NYの事件だってショックだったけど、、、、

 あの時沖縄への観光客が激減したみたいに、バリもそうなるんだろうか?

 うちの友達は観光に携わってる人が多いので、心配になってる。

 テロなのか?何なのか?今だに分かっていないけど、

 あんな風に死んで行かなければならなかった人達を思うと本当に切なくなる。

 やりたかった事、会いたかった人、そんな事が沢山あっただろうに、、

 テロの背景には世界の不平等さがあると思う。

 テロリストと言われる人々の母国はたいてい貧しいとされてる国だ。

 そして彼らがテロリストになるまでに、多くの命が先進国と言われる国々によって奪われて行ったのだと思う。

 先進国が「先進国」で在り続ける為に、、、、

 そして身勝手な「正義」の名の元に、

 そして彼らも、その傷みの償いを全く無実の、無名の人達を殺す事でさせている。

 身勝手な「正義」の名の元に。

 何故こんなにも「命」は軽く扱われるのだろう?

 何故「殺さねばならない」「殺しても良い」と思うのだろう?

 その結果、直接の当事者ではない、沖縄やバリの人々の生活も脅かされる。

 「いたしかたない」という理由で多くの命が奪われ、多くのものを失い、一体誰のために「いたしかたない」と言うのだろう?

 誰を、何を守る為に、「いたしかたない」という言葉に、私達は屈しているんだろうね。

 奪う側、奪われる側、どちらの側に立ったとしても、「いたしかたない」と言える立場の人間が失うものはほとんどない。

 犠牲になるのは、失うものが大きいのは、その言葉によって命を軽く扱われる側の私達の方だ。

 どんな世界で生きていたいですか?

 殺しあい、奪い合う事を正当化し続ける世界で生きていたいですか?

 涙を血で洗う事、これからも続けたいですか?

 うちはイヤだ。

 殺したくも、殺されたくもない。

 昔、クタの外れの集落の祭りに行った事がある。

 友達の師が『ワヤンクリッ(影絵芝居)』をやると言うので、誘われて行った。

 まるで1年中祭りをくり返してる様なレギャン通りの喧噪を背に、

 お寺の中ではただ黙々と、他の村と変わらず祈りが捧げられていた。

 お香と花の香りが充満する中で、見ず知らずの人達と『ワヤンクリッ』を観ながら、大爆笑したり、拍手したり、、、、楽しかったなぁ〜

 彼らは元気だろうか?

 あの時の様に笑っているだろうか?

 亡くなった方の御冥福と、被害者の家族が癒される事を、そして

 愛すべきバリの人々の平穏な日々が早く戻って来る事を

 祈ってる。


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