珍太さん
お久しぶりですわ、みなさま。
すっかり寒い季節の到来じゃ〜ございやせんか。
11月30日に横浜の『サムズアップ』で「マンドリンブラザース」ってバンドと一緒にライブをさせてもらいました。
「マンドリンブラザース」さんは、高田渡さん、西岡恭蔵さんなど、日本のフォークの有名どころのベースを担当していた大庭珍太さん、スティールギターのTACOさん、パーカッションのアンサンさんの3人のシブかっこいいおやじ達のバンドなのでした。
バンドの音がすごいカッコよくて、特にベース、ギター、ボーカルの大庭さんなんて、ものすごいグルービーなベースを弾く方でウネウネ、グイグイとにかく技も多いしすんごい巧いんですよ。
なのに、そんなすごい事弾きながら歌ううたが自由でこれまたすごい。
「なんでこんな事弾きながら歌えるん???????」
も〜うちは釘付けです。
しかも、歌詞も、「おれの顔の横にはふたつの穴がある、それは耳、耳、耳の穴、あな、あな、あなだらけ」とか
「熱いの大好き江戸っ子でぇい〜ソイヤ〜ソイヤ!!」とか、、、
共感出来るか?と聞かれるとちよっと良くわからない感じの歌詞を、絶叫しながら歌うわけです。
でも、そんなうたも、ニューヨークとか行って黒人ボイストレーナーに習ったくらいで「黒人並みのリズム感」とか言っちゃってるそんじょそこらのラッパーやソウルシンガーなんか吹っ飛ばすものすごいグル−ブ感があるのです。
大庭さんのルックスもけっこう、、、、なんていうかなぁ〜
しいて言えば「電撃ネットワーク」の南部虎弾さんがグイグイベースを弾きながら歌ってると想像して下さいませ。
うちは、も〜何かものすごく貴重な種の生き物を発見したかの様な、とても感慨深い気持ちになりましたよ。
いや、これ、本当によ。
何で今までこんなすごいミュージシャンが日本にいる事を知らずに生きていたんだろうか?と。
そしてなんと言っても一番すごいのは、マンドリン弾く人なんていやしないのにバンドの名前が「マンドリンブラザース」、、、、、、
なめてんのか?世間をと思うようなネーミングです。
ミーツーニーニーと「あれ??もしかして『マンドリルブラザース』だった?」と己が間違ってるのかと思い、お店の人に確認してしましました。
マンドリン弾く人いなくても、「マンドリンブラザース」
ならば!!
ど〜〜でもいいことに負けん気発揮するうち達は(ちゅーか、主にわたくしが)、この日のライブは寿[kotobuki]という21年使った名前をかなぐり捨てて「ウクレレシスターズ」と改名して出演しました。
いや〜でも、すごいいい出会いでした。
サムズアップさん、ブッキングしてくれて有り難う〜〜〜〜
最近、ロフトの企画で「沖縄ロックヒストリー」というイベントに出演させて頂きました。
その日のメインはSHYのアニキーとジョニーさんが20年以上前に組んでいたバンド「ハートビーツ」の再結成で、リズム隊はアナーキーの寺岡さん、ドラムは元BOOWYの高橋まことさん
リズム隊は「ハートビーツ」じやないので「ハーフビーツ」って名前でステージに立ってました。
うち達のちょうど10才くらい上の先輩達は本当にカッコよかった!!
楽器を持って立ってるだけで、カッコよかった。
ありや〜なんだろう???
音が鳴ったら鳴ったでカッコよかった。
「あぁ〜もうロックっていいね〜ロックっていいよぉおおおおおおお」」って叫びたくなった。
多分10年前だったら、こんな風に胸が熱くはならなかった気がする。
それは、受信するうちが自分のうたや寿[kotobuki]の活動に自信がなくて、人の音楽を楽しめる余裕がなかったから、というのもあるだろうし、
発信する側の余裕もなかったんじゃなかろうか?という気もする。
うちが、20代の終わりを悶々とした悩みの日々の中で過ごしていた様に、彼らの30代の終わりも今とは違う心境であっただろうと思う。
でも、色んな事があっても続ける事をやめずにいたからこんなにも、人の心を熱くするミュージシャンになっていったんだな〜と思う。
うちは、昔はすごく悩んだりもしたけど、今は歌う事をやめる事は絶対にないと言い切れる。
けど、先輩達の全身から音が溢れ出す姿をみて「続ける事が一番大事」って改めて思いました。
あぁ〜やっぱり音楽っていいなぁ〜〜〜
ところで、家に戻って大庭珍太さんの名前で検索してみたら、なんと大庭さん本人のブログを発見。
「珍太の晩ご飯」っていう本当に1週間分の珍太さんの晩ご飯のメニューが綴られたブログです。
大きなお世話と思いますが、珍太さん野菜不足では???
あなたのメタボリックが心配。
ではでは、皆様、またライブで会いましょう。