もうすぐ旧正ライブやしぇ!
今週末は旧正月ライブ!!
今年は30周年のお祝いでもあるので俄然、はりきっております。
前売り予約も続々有り難うございます!
まだの方はお早めに〜〜〜〜〜
あぁー楽しみだぁ!!
楽しみしてて下さい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
昨日、北区選出の都議”おときた駿”氏が企画する『東京ジャーミィ(モスク)見学ツアー』
に参加して来ました。
20人くらいかな〜と思っていたら100人ほどの参加者が!!
我々のツアー以外にも団体で来られた方々もおり、今、イスラム教やムスリムに対する関心を持つ人達がこんなにいる事に驚きました。
東京ジャーミィーには日本人ムスリムの下山さんという方が勤務していらして日本人とイスラム世界の架け橋を担っておられます。
この日も私達にモスクがこの場所に出来た由来やイスラム教という宗教の概要、そして最後にISISの犯行についてムスリムとして今、想う事などをお話して下さいました。
最初に教えて下さったのはムスリムの挨拶。
言葉とその意味でした。
アッサラーム アレイクム(あなたに平和がありますように)
そして返す挨拶の言葉は
ワレイコム サラーム(あなたにこそ平和がありますよう)
「日本人がムスリムやイスラムの世界に関心を持ってくれ、このモスクを尋ねてくれる事を在日ムスリム達は喜んでいます」とおっしゃり何度も「有り難うございます」と繰り返していらっしゃいましたが、本当は「こちらこそ、異教徒の私達を迎え入れて下さって有り難うございます」だし、その言葉は裏を返せば今までが無関心過ぎたという事なのではないかなと思いました。
そして、その『無関心』こそがテロ行為と呼ばれるものの背景にあると思います。
(モスク礼拝堂の中でお話をして下さる下山さん)
モスクの中は本当に神聖で清浄な氣に満ちあふれていました。
私は20歳の時にニューヨークのメトロポリタン美術館でイスラム美術展を見てその美しい世界に心を奪われ以来、「いつかモスクの中に入りたい」と思うようになりシンガポール、ケニア、モルジブとモスクを見かけたら暑い中、長袖の服を来て(肌の露出を避けるため)モスクを尋ねましたがどこでも断られ続けました。
が、なんとカイロ(エジプト)のそれほど大きくないモスクの前で「10$払えば入れてやる」と手招きするおっさん・イブラヒム(推定)がいるではないですか?!
しかし、今まで「ムスリムではない」という理由で入れてもらえなかったモスクに、神聖なモスクにたったの10$で入っていいのか?
神への冒涜ではないのか?
散々悩みましたが、このチャンスを逃したら一生入れないかもしれない!
気づけば暑すぎるカイロで日よけのために長袖のカーディガンを着ており、ヨルダンで買ったスカーフも持っていました。
とりあえず、身につけているもので冒涜にあたるものはなさそうだ!と判断し、欲に負けてモスクに入る事にしました。
礼拝の前で沢山の人が集まっていたものの、みんな、静かに座ったり横になったりして宗教施設というよりも寄り合い所のような雰囲気で礼拝が始まるのを待っていました。
ドームの中は窓から光が差し込み、明るくそして涼しく、ドームと事務所とおぼしき建物の間に噴水がありそこには沢山の鳩が集まっていて、集まった人達は大声で話しをする人もおらずとてもとても平穏そのもので、まるで無声映画ワンシーンのような時間が流れていました。
カイロ市内の喧噪とは全く真逆の静寂がモスクにはあり、私は自分がどんどん静かにそして穏やかになって行くのを感じていました。
やがて独特な歌唱のような声がドームに響き礼拝が始まると列をなして座った人たちが一斉に頭を下げ額を床につけ祈り始めました。
その時、私は、なんというか祈りの厚みのようなものを感じ、胸が熱くなりました。
個を越えて何万という命がこの場でこうやって祈り続けて来た歴史や濃蜜さや重みを感じました。
そして、それは、高野山でも、チリの教会でも、バリでも感じた事です。
人は祈る時、自分の中の神聖な部分に触れるからか、とても神妙で研ぎすまされているように思います。
やり方や祈りの対象が違ったとしても「自分の聖域を感じる」という意味では皆、同じなのではないかと思います。
小さな聖域が一斉に祝詞を上げたり、手を合わせたりするんですからその聖なるパワーは尋常ではないと思います。
そのようなパワーに触れると人は心が動く、例え異教徒でも。
そして、そのパワーがあまりにも圧倒的であるが故に怖れる人もいると思います。
人間の歴史の中で、幾度となく宗教が弾圧され利用されるのはその圧倒的なパワー故にという気がします。
話しがそれましたが、この日もモスクで礼拝を見学させて頂きました。
先導者の声が響き渡り神聖な空気が満ち満ちているドームの中、礼拝が始まる前はドーム内の写真をバンバン撮っていた人達も、殆どの人が撮るのを止め静かに祈りの場を見守っていました。
とても穏やかな時間を過ごしました。
ちょうど帰宅したらニュースでデンマークでの銃撃戦についてのニュースを見ました。
何故、あのような事件が起こるのか?その背景にあるもの。
下山さんのお話で知った事ですがイスラム教では唯一神”アッラー”を祀る事は禁止され、偶像も肖像画もありません。
ムハンマド(モハメッドとも言います)は偉大な伝道師で人間です。
神でさえも偶像化しないのだから人間である伝道師(預言者と言ってますが)を偶像化するなどという事はあり得ないのだそうです。
だから、フランスやデンマークの新聞社の異教徒が『風刺画』としてムハンマドの肖像画を描いたりする事はイスラム教徒にとってはイスラム教世界の中の指導者達でもやらないような事を平気でやってのけている、非常に屈辱的で不愉快極まりない行為なのです。
だからと言って多くのイスラム教徒がテロ行為を望んでなんていないのです。
私の友人にもムスリムはいますが、一部のムスリムがテロを起こす事を嘆き哀しんでいます。
そして、「彼らのような行為がますますムスリムへの理解を遠ざける」と苦しんでもいます。
下山さんの言葉にも同じような言葉がありました。
イスラムの教えの中に「一人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」という言葉があり、その教義からすれば彼らの行為は完全に間違っているともおっしゃっていました。
「けれども、我々は何故テロが起こるのか、テロに至る過程、引き起こす感情とはなにか?を良く考えなくてはならない」とも言っておられました。
その言葉は深く共感しますし、同時に、『テロリズムとは何か?』という事もよくよく考えないといけないと思います。
テロは決してマイノリティーだけが起こすもの狂信的な人間が起こすものを指すのではなく、政府や国家、『国民の信認を得ている』と豪語している人達が起こしているものも指すという認識を持たないといけないのではないかと思います。
私達が本当にムスリムによるテロを怖れるのであれば、その『恐怖』という感情を引き起こす『未知』を無くす努力をした方がよいと思います。
下山さんのお話を伺いたい場合は事前に連絡をした方が良いと思いますが、モスク内の見学だけであれば日の出から日没までモスクの空いている時間ならいつでも見学自由だそうです。
東京ジャーミィー以外にも東京の大塚、お花茶屋、千葉の行徳、名古屋、神戸にもモスクはあるそうなので事前に連絡して是非行かれてみると良いと思います。
最後に、エントランスには在日ムスリム達が湯川さん、後藤さんが誘拐され人質となった時、毎日の礼拝で無事を祈っていた事を知った日本人からの感謝の手紙やお花が置かれていました。
それに対する東京ジャーミィーからのメッセージもありました。
このようなツアーに参加する人もお花や手紙を送ってくる人も日本人の中のわずかな人数かもしれないけれど、例えば礼拝の時の写真を撮るのをやめるなど、私は昨日『日本人の良心』に触れた気がとってもしました。
無意識ではあっても、そこにはイスラムの挨拶のようなお互いの平和を思いやる心と同じ心があるように思いました。
とてもいい一日でした。
下山さん、東京ジャーミィーの関係者の皆さん、企画して下さったおときた議員に感謝します。
私の独感ではなくツアー全体の詳細はおときた議員のブログを参照なさって下さいませ〜
http://otokitashun.com/blog/daily/6288/
写真もいっぱいで判り易い!見習いたい。
長文を読んで頂き有り難うございま〜す。
ナビィ
今年は30周年のお祝いでもあるので俄然、はりきっております。
前売り予約も続々有り難うございます!
まだの方はお早めに〜〜〜〜〜
あぁー楽しみだぁ!!
楽しみしてて下さい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
昨日、北区選出の都議”おときた駿”氏が企画する『東京ジャーミィ(モスク)見学ツアー』
に参加して来ました。
20人くらいかな〜と思っていたら100人ほどの参加者が!!
我々のツアー以外にも団体で来られた方々もおり、今、イスラム教やムスリムに対する関心を持つ人達がこんなにいる事に驚きました。
東京ジャーミィーには日本人ムスリムの下山さんという方が勤務していらして日本人とイスラム世界の架け橋を担っておられます。
この日も私達にモスクがこの場所に出来た由来やイスラム教という宗教の概要、そして最後にISISの犯行についてムスリムとして今、想う事などをお話して下さいました。
最初に教えて下さったのはムスリムの挨拶。
言葉とその意味でした。
アッサラーム アレイクム(あなたに平和がありますように)
そして返す挨拶の言葉は
ワレイコム サラーム(あなたにこそ平和がありますよう)
「日本人がムスリムやイスラムの世界に関心を持ってくれ、このモスクを尋ねてくれる事を在日ムスリム達は喜んでいます」とおっしゃり何度も「有り難うございます」と繰り返していらっしゃいましたが、本当は「こちらこそ、異教徒の私達を迎え入れて下さって有り難うございます」だし、その言葉は裏を返せば今までが無関心過ぎたという事なのではないかなと思いました。
そして、その『無関心』こそがテロ行為と呼ばれるものの背景にあると思います。
(モスク礼拝堂の中でお話をして下さる下山さん)
モスクの中は本当に神聖で清浄な氣に満ちあふれていました。
私は20歳の時にニューヨークのメトロポリタン美術館でイスラム美術展を見てその美しい世界に心を奪われ以来、「いつかモスクの中に入りたい」と思うようになりシンガポール、ケニア、モルジブとモスクを見かけたら暑い中、長袖の服を来て(肌の露出を避けるため)モスクを尋ねましたがどこでも断られ続けました。
が、なんとカイロ(エジプト)のそれほど大きくないモスクの前で「10$払えば入れてやる」と手招きするおっさん・イブラヒム(推定)がいるではないですか?!
しかし、今まで「ムスリムではない」という理由で入れてもらえなかったモスクに、神聖なモスクにたったの10$で入っていいのか?
神への冒涜ではないのか?
散々悩みましたが、このチャンスを逃したら一生入れないかもしれない!
気づけば暑すぎるカイロで日よけのために長袖のカーディガンを着ており、ヨルダンで買ったスカーフも持っていました。
とりあえず、身につけているもので冒涜にあたるものはなさそうだ!と判断し、欲に負けてモスクに入る事にしました。
礼拝の前で沢山の人が集まっていたものの、みんな、静かに座ったり横になったりして宗教施設というよりも寄り合い所のような雰囲気で礼拝が始まるのを待っていました。
ドームの中は窓から光が差し込み、明るくそして涼しく、ドームと事務所とおぼしき建物の間に噴水がありそこには沢山の鳩が集まっていて、集まった人達は大声で話しをする人もおらずとてもとても平穏そのもので、まるで無声映画ワンシーンのような時間が流れていました。
カイロ市内の喧噪とは全く真逆の静寂がモスクにはあり、私は自分がどんどん静かにそして穏やかになって行くのを感じていました。
やがて独特な歌唱のような声がドームに響き礼拝が始まると列をなして座った人たちが一斉に頭を下げ額を床につけ祈り始めました。
その時、私は、なんというか祈りの厚みのようなものを感じ、胸が熱くなりました。
個を越えて何万という命がこの場でこうやって祈り続けて来た歴史や濃蜜さや重みを感じました。
そして、それは、高野山でも、チリの教会でも、バリでも感じた事です。
人は祈る時、自分の中の神聖な部分に触れるからか、とても神妙で研ぎすまされているように思います。
やり方や祈りの対象が違ったとしても「自分の聖域を感じる」という意味では皆、同じなのではないかと思います。
小さな聖域が一斉に祝詞を上げたり、手を合わせたりするんですからその聖なるパワーは尋常ではないと思います。
そのようなパワーに触れると人は心が動く、例え異教徒でも。
そして、そのパワーがあまりにも圧倒的であるが故に怖れる人もいると思います。
人間の歴史の中で、幾度となく宗教が弾圧され利用されるのはその圧倒的なパワー故にという気がします。
話しがそれましたが、この日もモスクで礼拝を見学させて頂きました。
先導者の声が響き渡り神聖な空気が満ち満ちているドームの中、礼拝が始まる前はドーム内の写真をバンバン撮っていた人達も、殆どの人が撮るのを止め静かに祈りの場を見守っていました。
とても穏やかな時間を過ごしました。
ちょうど帰宅したらニュースでデンマークでの銃撃戦についてのニュースを見ました。
何故、あのような事件が起こるのか?その背景にあるもの。
下山さんのお話で知った事ですがイスラム教では唯一神”アッラー”を祀る事は禁止され、偶像も肖像画もありません。
ムハンマド(モハメッドとも言います)は偉大な伝道師で人間です。
神でさえも偶像化しないのだから人間である伝道師(預言者と言ってますが)を偶像化するなどという事はあり得ないのだそうです。
だから、フランスやデンマークの新聞社の異教徒が『風刺画』としてムハンマドの肖像画を描いたりする事はイスラム教徒にとってはイスラム教世界の中の指導者達でもやらないような事を平気でやってのけている、非常に屈辱的で不愉快極まりない行為なのです。
だからと言って多くのイスラム教徒がテロ行為を望んでなんていないのです。
私の友人にもムスリムはいますが、一部のムスリムがテロを起こす事を嘆き哀しんでいます。
そして、「彼らのような行為がますますムスリムへの理解を遠ざける」と苦しんでもいます。
下山さんの言葉にも同じような言葉がありました。
イスラムの教えの中に「一人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」という言葉があり、その教義からすれば彼らの行為は完全に間違っているともおっしゃっていました。
「けれども、我々は何故テロが起こるのか、テロに至る過程、引き起こす感情とはなにか?を良く考えなくてはならない」とも言っておられました。
その言葉は深く共感しますし、同時に、『テロリズムとは何か?』という事もよくよく考えないといけないと思います。
テロは決してマイノリティーだけが起こすもの狂信的な人間が起こすものを指すのではなく、政府や国家、『国民の信認を得ている』と豪語している人達が起こしているものも指すという認識を持たないといけないのではないかと思います。
私達が本当にムスリムによるテロを怖れるのであれば、その『恐怖』という感情を引き起こす『未知』を無くす努力をした方がよいと思います。
下山さんのお話を伺いたい場合は事前に連絡をした方が良いと思いますが、モスク内の見学だけであれば日の出から日没までモスクの空いている時間ならいつでも見学自由だそうです。
東京ジャーミィー以外にも東京の大塚、お花茶屋、千葉の行徳、名古屋、神戸にもモスクはあるそうなので事前に連絡して是非行かれてみると良いと思います。
最後に、エントランスには在日ムスリム達が湯川さん、後藤さんが誘拐され人質となった時、毎日の礼拝で無事を祈っていた事を知った日本人からの感謝の手紙やお花が置かれていました。
それに対する東京ジャーミィーからのメッセージもありました。
このようなツアーに参加する人もお花や手紙を送ってくる人も日本人の中のわずかな人数かもしれないけれど、例えば礼拝の時の写真を撮るのをやめるなど、私は昨日『日本人の良心』に触れた気がとってもしました。
無意識ではあっても、そこにはイスラムの挨拶のようなお互いの平和を思いやる心と同じ心があるように思いました。
とてもいい一日でした。
下山さん、東京ジャーミィーの関係者の皆さん、企画して下さったおときた議員に感謝します。
私の独感ではなくツアー全体の詳細はおときた議員のブログを参照なさって下さいませ〜
http://otokitashun.com/blog/daily/6288/
写真もいっぱいで判り易い!見習いたい。
長文を読んで頂き有り難うございま〜す。
ナビィ