大切な時間
冬ですなぁ〜〜〜〜〜
年末、バリへ行っていたのでますます寒さが沁みまする。
3月に尊敬するバリ舞踊家の一人の荒内琴江ちゃんと一緒に小さい公演をやるにあたって、今まで全くやって来なかった『女の子の中の女の子!!』みたいな踊りに挑戦する事になり、そのためにバリへ行って習って来ました。
今回は踊り以外に「チャナン」という供花の作り方を、日本人妻の友人に習って来ました。
神様に捧げる供物やその行為自体を「バンタン」というのですが、「いつか自分で作ったバンタンを持ってお寺にお参りに行く」というのも私の夢のひとつでした。
今回はその夢を叶えて来ました。
ヒンドゥー教は風水と同じようにそれぞれの方角に神様がいてそれを表す色と性質があり、バンタンに入れる供花もそれに乗っ取って作られます。
例えば 東→太陽の神・イスワラ→色は白 北(山)→水の神・ウィスヌ→色は黒
自分から向って上に北を現す色が来るように供える。
供花は最低3種類、バンタンの中に入れなくてはいけないけど、そのうち2つは必ず同数にしなくていけないとか、
色々決まりがあるのですが、当然ながら私はな〜〜〜〜〜んも知らないので日本語で教えてもらい何とか自力で作って、「クニンガン」というハレの日にいつも行くお寺に参拝しに行きました。
図画工作が10段階評価で5段階評価並みの成績しか採れなかった私にとって、切れ味悪いナイフで100%繊維質の若いヤシの葉を色んな形に切って形を揃えて行く作業は本当に大変で、
友人にも「ナビさん、それじゃ指どころか手首も切っちゃうよぉおおお」と心配される事100回。
慣れるまでに一体どれだけの葉っぱを無駄にした事か?
切った葉っぱを組み立てて器にする作業に移ります。
ひねったりねじったり(同じか?!)それをホッチキスで止めてお花を入れる器を作るのです。
友人はホッチキスを使わず、細い竹ひごを使い、ねじった葉っぱ同士を重ねて長い竹ひごで固定しては指で竹ひごを切るという作業をものすごい早さで繰り返すのですが、私がやると繊維に竹が刺さらない、やっと刺さったかと思うと力が強過ぎて葉っぱが破れるなど、無惨な姿に、、、、、
ホッチキスを使わなかったら全てが自然素材で作られゴミになっても自然に還るという、究極のエコロジー商品”チャナン”
私も竹ひごで作りたい〜〜〜〜〜
でも、もう、前段階の葉っぱをきれいに切りそろえる時点で視力、体力、気力の全てを88%くらい使い果たしているのでここから更に慎重になる事など、私にゃ〜〜無理!!
ホッチキスでパッチン、パッチン止めました。
そんな私でも3回目くらいでナイフの使い方も慣れ、葉っぱを切る時に仕上がりが想定出来る様にもなり、ひねり方もイチイチ聞かなくても作れるようになりました。
チャナン作りはまるで瞑想。
自分と葉っぱとナイフとホッチキスのこの4つだけの世界。
どんどん心がし〜〜〜〜〜んとなって来ます。
ヒンドゥー教徒でもないのに、一体誰のためか?「もっときれいに作りたい」
どうすればいいのか?じぃ〜〜〜〜っとチャナンだけを見つめます。
そしてまた、どんどん心は静かになって来ます。
休憩中、二人で甘いバリ珈琲を飲みながら、色んな話をしてまた再開。
あっという間に時間が過ぎて行きます。
この作業をしていて、私は「ほんと〜に私って一日中色んな事に想いを巡らしているんだねぇ」と気が付きました。
考えた方が良い事、考えなくても良い事、いや、殆どが考えなくても良い事だらけのような気がします。
起きてもない事への不安、本当は忘れている思い出や感情や、どうでもいい事に支配され私の頭は毎日パンパン。
静かになる時間、本当に必要だ!私にとって本当に大切だわと痛感しました。
禅や瞑想はこういった本当はやる必要のない行為を自分の力で止めて思考のはりぼての中にある本来の自分との繋がりを取り戻すためにあるんだな〜としみじみ痛感しました。
本当にいい時間を過ごしました。
まゆみさん、有り難う!!
自分で作ったバンタンを持って参拝した時、嬉しくてにや〜〜〜〜〜としてしまいました。
家族連れで来るのが当たり前のバリ人に混じってニヤニヤしてる独り身の日本人。
かなり浮いていたと思いますが、幸せでした〜〜〜〜〜〜
年末、バリへ行っていたのでますます寒さが沁みまする。
3月に尊敬するバリ舞踊家の一人の荒内琴江ちゃんと一緒に小さい公演をやるにあたって、今まで全くやって来なかった『女の子の中の女の子!!』みたいな踊りに挑戦する事になり、そのためにバリへ行って習って来ました。
今回は踊り以外に「チャナン」という供花の作り方を、日本人妻の友人に習って来ました。
神様に捧げる供物やその行為自体を「バンタン」というのですが、「いつか自分で作ったバンタンを持ってお寺にお参りに行く」というのも私の夢のひとつでした。
今回はその夢を叶えて来ました。
ヒンドゥー教は風水と同じようにそれぞれの方角に神様がいてそれを表す色と性質があり、バンタンに入れる供花もそれに乗っ取って作られます。
例えば 東→太陽の神・イスワラ→色は白 北(山)→水の神・ウィスヌ→色は黒
自分から向って上に北を現す色が来るように供える。
供花は最低3種類、バンタンの中に入れなくてはいけないけど、そのうち2つは必ず同数にしなくていけないとか、
色々決まりがあるのですが、当然ながら私はな〜〜〜〜〜んも知らないので日本語で教えてもらい何とか自力で作って、「クニンガン」というハレの日にいつも行くお寺に参拝しに行きました。
図画工作が10段階評価で5段階評価並みの成績しか採れなかった私にとって、切れ味悪いナイフで100%繊維質の若いヤシの葉を色んな形に切って形を揃えて行く作業は本当に大変で、
友人にも「ナビさん、それじゃ指どころか手首も切っちゃうよぉおおお」と心配される事100回。
慣れるまでに一体どれだけの葉っぱを無駄にした事か?
切った葉っぱを組み立てて器にする作業に移ります。
ひねったりねじったり(同じか?!)それをホッチキスで止めてお花を入れる器を作るのです。
友人はホッチキスを使わず、細い竹ひごを使い、ねじった葉っぱ同士を重ねて長い竹ひごで固定しては指で竹ひごを切るという作業をものすごい早さで繰り返すのですが、私がやると繊維に竹が刺さらない、やっと刺さったかと思うと力が強過ぎて葉っぱが破れるなど、無惨な姿に、、、、、
ホッチキスを使わなかったら全てが自然素材で作られゴミになっても自然に還るという、究極のエコロジー商品”チャナン”
私も竹ひごで作りたい〜〜〜〜〜
でも、もう、前段階の葉っぱをきれいに切りそろえる時点で視力、体力、気力の全てを88%くらい使い果たしているのでここから更に慎重になる事など、私にゃ〜〜無理!!
ホッチキスでパッチン、パッチン止めました。
そんな私でも3回目くらいでナイフの使い方も慣れ、葉っぱを切る時に仕上がりが想定出来る様にもなり、ひねり方もイチイチ聞かなくても作れるようになりました。
チャナン作りはまるで瞑想。
自分と葉っぱとナイフとホッチキスのこの4つだけの世界。
どんどん心がし〜〜〜〜〜んとなって来ます。
ヒンドゥー教徒でもないのに、一体誰のためか?「もっときれいに作りたい」
どうすればいいのか?じぃ〜〜〜〜っとチャナンだけを見つめます。
そしてまた、どんどん心は静かになって来ます。
休憩中、二人で甘いバリ珈琲を飲みながら、色んな話をしてまた再開。
あっという間に時間が過ぎて行きます。
この作業をしていて、私は「ほんと〜に私って一日中色んな事に想いを巡らしているんだねぇ」と気が付きました。
考えた方が良い事、考えなくても良い事、いや、殆どが考えなくても良い事だらけのような気がします。
起きてもない事への不安、本当は忘れている思い出や感情や、どうでもいい事に支配され私の頭は毎日パンパン。
静かになる時間、本当に必要だ!私にとって本当に大切だわと痛感しました。
禅や瞑想はこういった本当はやる必要のない行為を自分の力で止めて思考のはりぼての中にある本来の自分との繋がりを取り戻すためにあるんだな〜としみじみ痛感しました。
本当にいい時間を過ごしました。
まゆみさん、有り難う!!
自分で作ったバンタンを持って参拝した時、嬉しくてにや〜〜〜〜〜としてしまいました。
家族連れで来るのが当たり前のバリ人に混じってニヤニヤしてる独り身の日本人。
かなり浮いていたと思いますが、幸せでした〜〜〜〜〜〜