今週末ですが
代々木の”ルンバ・ルンバカフェ”でバリダンスを踊らせて頂きます。
入場は無料、飲食代のみ頂きます。
7月12日(土)15:00〜 17:00〜
15:00 プスパメカール(歓迎の踊り)ナビィ&芳野未央
マルガパティ (森の王者 獅子の踊り)高橋恵美子
オレッグタムリリンガン(蜜蜂の求愛の踊り)風間千晶&ナビィ
17:00 プスパメカール 高橋恵美子&風間千晶
レゴン・スマランダナ ナビィ&芳野未央
と私、3つも踊らせて頂きます。
そして、このレゴン・スマランダナは私は一人二役で月の女神(うお〜〜〜大丈夫か?)
と魔女、バリヒンドゥの最高の化身の最高峰であるランダを踊ります。
ランダは元々は王族の人間であったのですが魔術が使える事を知った国王に怖れられ森に追放されます。
その恨みをはらそうとして様々な悪事を働くので我々人間には忌み嫌われる存在となっていると言われています。
儀式の中の芝居「チャロナラン劇」ので小悪人と小善人(?)とが戦い、だんだんとお互いのパワーが大きくなり、クライマックスでは双方の最大級のパワーを持ったバロン(聖の象徴)とランダ(悪の象徴)が出て来て戦いますが勝敗は決まりません。
ランダはクリス(小刀)を持った若者達にメッタ刺しにされますが、それをはね除け、いや、むしろ人々の自分に向けられた悪意を吸込んでパワーを増幅させているようにも見えます。
私はバリ人でもバリヒンドゥ教徒でもないのでバリ人からランダについて聞いても語学力の問題もあるので100%正くは理解出来てないないのですが、お寺の神事の中のチャロナラン劇であれ、観光客用のチャロナラン劇であれ、悪の象徴としてクリスでメッタ指しにされているシーンを観ると、何だかとても泣きたい気持ちになって来ます。
この世の災難、悪いとされる事を背負い(背負わされなのかも)刺される姿を観ていると胸が苦しくなって来ます。
6月の終わりから先週の日曜日まで、私、久しぶりに精神的にいわゆる”ヤバい”感じになってました、、、
約2週間くらい。
それはそれは、心の中にしまい込んであたかも無いもののようにしていた感情や想いが出るわ出るわ。
急に涙が出るし、吐き気はするは、イライラするし、自分の持ってないものをみんなが持ってるようで妬ましいし羨ましい。
自分でも一体何が原因なのかがわけが判らず、そんな自分にどんどん自己嫌悪。
闇が自分を覆ってる感?それが満載で久しぶりにどっぷり暗〜〜〜〜〜くなってました。
やっと昨日、そこから抜け出れましたが、あれは何だっただろうか?
ランダを踊るという緊張感だったのでしょうか?
自分でも知らないうちに何か感情移入してしまったのでしょうか?
よく判りませんけど、なんとな〜く判った事はランダというのはそういった人の心のネガティブな感情の象徴でもあり、私の心に”ランダ”はいるという事です。
悲し過ぎて、苦し過ぎて、辛過ぎて、、、、、
そんな時、自分の中にある、多分きっと、同じだけあるはずのポジティブな側面には目が行かず、ネガティブなパワーに支配されその支配された自分が言動を選択するのでますますネガティブ地獄へと落ちてゆくのではないでしょうか?
どなたが書かれたのかは忘れたけれど、「森に追放され失意と孤独でランダは魔女になった」と書かれた言葉を読んだ事を思い出しました。
私の開かれたネガティブ扉から出て来たものは、全てが本当に些細な小さなもので、だからこそ余計に私はずっと無視する事が出来ていましたが、でも、その感情があるが故に、自分の選択した事に対し、迷い悩む原因となっていたのでした。
そんな自分を認めたり許したりする事は自分への愛だと思うのですが、その前段階として全く気付きもして無かった私、、、、、、、
『自分への愛が欠けていますよ』というお知らせだったのだなと思います。
ランダを踊る事と何の関係もないかも知れませんが、ランダからの愛の贈り物だったのかも〜と思っています。
いい踊りを踊りたいと思います。
お時間があったら是非、お越し下さいませ。
(私の元へやって来たランダ様)
入場は無料、飲食代のみ頂きます。
7月12日(土)15:00〜 17:00〜
15:00 プスパメカール(歓迎の踊り)ナビィ&芳野未央
マルガパティ (森の王者 獅子の踊り)高橋恵美子
オレッグタムリリンガン(蜜蜂の求愛の踊り)風間千晶&ナビィ
17:00 プスパメカール 高橋恵美子&風間千晶
レゴン・スマランダナ ナビィ&芳野未央
と私、3つも踊らせて頂きます。
そして、このレゴン・スマランダナは私は一人二役で月の女神(うお〜〜〜大丈夫か?)
と魔女、バリヒンドゥの最高の化身の最高峰であるランダを踊ります。
ランダは元々は王族の人間であったのですが魔術が使える事を知った国王に怖れられ森に追放されます。
その恨みをはらそうとして様々な悪事を働くので我々人間には忌み嫌われる存在となっていると言われています。
儀式の中の芝居「チャロナラン劇」ので小悪人と小善人(?)とが戦い、だんだんとお互いのパワーが大きくなり、クライマックスでは双方の最大級のパワーを持ったバロン(聖の象徴)とランダ(悪の象徴)が出て来て戦いますが勝敗は決まりません。
ランダはクリス(小刀)を持った若者達にメッタ刺しにされますが、それをはね除け、いや、むしろ人々の自分に向けられた悪意を吸込んでパワーを増幅させているようにも見えます。
私はバリ人でもバリヒンドゥ教徒でもないのでバリ人からランダについて聞いても語学力の問題もあるので100%正くは理解出来てないないのですが、お寺の神事の中のチャロナラン劇であれ、観光客用のチャロナラン劇であれ、悪の象徴としてクリスでメッタ指しにされているシーンを観ると、何だかとても泣きたい気持ちになって来ます。
この世の災難、悪いとされる事を背負い(背負わされなのかも)刺される姿を観ていると胸が苦しくなって来ます。
6月の終わりから先週の日曜日まで、私、久しぶりに精神的にいわゆる”ヤバい”感じになってました、、、
約2週間くらい。
それはそれは、心の中にしまい込んであたかも無いもののようにしていた感情や想いが出るわ出るわ。
急に涙が出るし、吐き気はするは、イライラするし、自分の持ってないものをみんなが持ってるようで妬ましいし羨ましい。
自分でも一体何が原因なのかがわけが判らず、そんな自分にどんどん自己嫌悪。
闇が自分を覆ってる感?それが満載で久しぶりにどっぷり暗〜〜〜〜〜くなってました。
やっと昨日、そこから抜け出れましたが、あれは何だっただろうか?
ランダを踊るという緊張感だったのでしょうか?
自分でも知らないうちに何か感情移入してしまったのでしょうか?
よく判りませんけど、なんとな〜く判った事はランダというのはそういった人の心のネガティブな感情の象徴でもあり、私の心に”ランダ”はいるという事です。
悲し過ぎて、苦し過ぎて、辛過ぎて、、、、、
そんな時、自分の中にある、多分きっと、同じだけあるはずのポジティブな側面には目が行かず、ネガティブなパワーに支配されその支配された自分が言動を選択するのでますますネガティブ地獄へと落ちてゆくのではないでしょうか?
どなたが書かれたのかは忘れたけれど、「森に追放され失意と孤独でランダは魔女になった」と書かれた言葉を読んだ事を思い出しました。
私の開かれたネガティブ扉から出て来たものは、全てが本当に些細な小さなもので、だからこそ余計に私はずっと無視する事が出来ていましたが、でも、その感情があるが故に、自分の選択した事に対し、迷い悩む原因となっていたのでした。
そんな自分を認めたり許したりする事は自分への愛だと思うのですが、その前段階として全く気付きもして無かった私、、、、、、、
『自分への愛が欠けていますよ』というお知らせだったのだなと思います。
ランダを踊る事と何の関係もないかも知れませんが、ランダからの愛の贈り物だったのかも〜と思っています。
いい踊りを踊りたいと思います。
お時間があったら是非、お越し下さいませ。
(私の元へやって来たランダ様)