RSS Feeds

深まる秋を通り越して

冬じゃん!!
バリに半年もいたから『身体が南国仕様』にでもなってしまった私にとってだけ、こんなに寒いのかと思っていたら、会う人、会う人、皆、今年は寒いと言っておるではないの!!
寒いんですな〜〜〜〜〜

最近、ある事に気がついた。
私の知人にいわゆる世間でいうお金持ちの初老の夫婦が2組いるのですが、最近、この2組と同時に食事にお誘い頂くなどをし時間を過ごす事が数回ほどありました。
どちらも、若い頃から仕事を頑張って頑張って、出世して、子供も独立をし仕事も引退された旦那さんと、一方はいつ発病し死に至るか解らないという脳腫瘍を抱えた奥様、一方は脳梗塞になり少し言語に不自由さの残る後遺症を持った奥様とどちらも奥様の方は病気を抱えているという共通点があります。

が、この2組。
びっくりするほど対照的でした。

脳腫瘍の奥様は、取り除くのが非常に難しい箇所に腫瘍があり何人もの名医と言われる人に診てもらったけれど手術は出来ないという診断で、いつ破裂するのか解らないという状況なのですが、その診断を受けて以降『今まで以上に1日一日を楽しく、笑って、そしていつ死んでも後悔しない生き方をしよう』と決めたそうで、実際、旦那さんと二人、もしくはご自身お一人で『これは楽しい!』と思う事を実践されています。
1年に一回と決めていた海外旅行を行ける時に行くと規制を無くして出かけては大好きな美味しいワインとグルメを堪能したり、美しい景色を見たり、忙しい家族のために美味しい料理を時間とお金もかけて作ったり、地域の人達と楽しむために若いアーティストを招いてホームコンサートを開いたり(寿[kotobuki]でも、バリ舞踊でも私も招いて頂き応援して頂いています〜感謝してます!)そのような事で日々忙しく充実していらっしゃいます。


一方、もう一組のご夫婦は、奥様が言うには、旦那さんは家庭を省みず仕事ばかりをしていたくせに定年になったら毎日、家におり、それがイヤでイヤでと思っていたら脳梗塞になり、旦那さんのお世話にならなければならなくなり、ますますイヤで本当は顔も見たくないし一緒にいたくもないんだけれど、旦那さんの言う通りにしないと怒られるし、随分と改善はしたもののなかなか言葉が出て来にくいので仕方なしに一緒にいるが本当は離婚したいと。
彼がストレスで私は脳梗塞になったという事を訴えていらっしゃいました。

2組と一緒に食事をする時も、奥様は非常に機嫌が悪く、旦那さんの態度一つ一つにイラつきそれを、やんわりとたしなめられると目に涙を浮かべて「誰も私を理解してくれない」と言い出し、旦那さんの方も相当それにイライラし、また、私達に対し目を合わせる事も出来ず居心地が非常に悪そうでした。
旦那さんのお話だと、この数年、同じテレビ番組を別々の部屋で観て、食事中も会話もなくたまに話しをすれば喧嘩になるのでお互い家に居てもなるべく顔を合わせないようにしている、との事。
お互いに『被害者は自分の方である』という主張が強いので話しを盛ってるとしても、少なくても仲良く温かい夫婦関係とは言い難い感じでした。
そして、お互いに「相手が自分に感謝しない」と言い、他人を仲介して「愛情をくれ!」とお互いに訴え合っているように感じました。


私は、この人生の先輩2組の間に挟まれて、時に奥様2人に挟まれて、ただふんふんと話しを聞くしか出来ないわけですが、色々と話しを伺ううちに、すわっ!と気が付いた事があります。

この4人には共通の考えとして『年老いた時にお金がないのは惨めである』というものがあるのですが、仲違い夫婦は(すいません)食べるのに困らないどころか、それ以上のお金を持ちながらも何となく寂しそうで『惨め』な気持ちでいるように見え、そのネガティブなエネルギーがこちらにも伝わって来て一緒に居ても残念ながら楽しくないので「また会いたい」という気持ちや「もっとお話を伺いたいです」という気持ちにはなりません。
一方は、笑いに溢れ一緒にいて楽しいので自然と「またお会いしたいわ〜」という気持ちになりました。


私が気が付いた事と言うのは、仲違い夫婦にはお互いに、例えば、愛とお金、人生で手に出来るものはどちらかひとつで、両方を得る事は出来ないという『愛か?お金か?』という二者択一論の信念があり、そのような信念の元に世界を見、人間関係を築いて来られたのではなかろうか?というのに対し、仲良し夫婦は『愛もお金も』の論理で人生を突き進んで来られたのではないかなというものです。
もちろん、数回お会いしただけなので決めつけてはならんな〜とは思いますが、この気付きは私にとって非常に勉強になりました。

『人生は信念の通りになる』という事にバリに居る時に気が付いたのですが、それは深層の深層、奥の奥にある自分の信念によって、過去に様々な選択をした結果として現在が出来上がっているという事だと思うのですが、この一件で例えるならば『愛か?お金か?』という信念を持ち続けた結果、お金は手にしたけれど愛は手に入らない現在が在る、という事なのだと思います。
何となくですが、仲違い夫婦にはお互いに対する『感謝の気持ち』は当然、在る様にお見受けするのですが、自身の中にある『愛』というものを信じていないので相手の『感謝』の想いを受け取る事も出来ませんし、それを表現する事が敗北を認めるようで恐ろしいのかも知れませんが与える事も出来ない、そんな風にも感じました。
また、双方に『感謝』はされたいのだけど、自分は感謝されるに値しないと思っているとでも言いますか、、、、そんな感じもしました。

『現在』が何か自分の望んでいるように成っていないと感じた時、自分がどんな信念を持って物事を選択して来たのか?という事をチェックする必要があるという事を痛感した出来事だったのでした。

またこのような出来事を通じて想う事は、もう年だから自分は変わらない、変えられないという思い込みを持つ必要はないという事です。
私は父に「これからどんどん年をとって踊りを踊るったって身体はどんどん硬くなるんだから続ける事は無理に決まってる」と、年に一度のバリ通いを始めた数年前から散々言われますが、ところがどっこい、年々柔軟になってます!
それは、「年を老う毎に身体が硬くなる」という信念が私にはなく、多分「そんな噂をどこかで聞いた事がある」くらいで、それよりも「もっと上手く踊れる様になりたい」という願望の方が私の中では勝ってるからだと思います。

大事な事は、先ず自分の望みに正直になる事なのではないかな〜と思うこのごろでございます。

ではではまた〜〜〜






« Prev item Next item »