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ブログの続き

急遽、またしてもお知らせです。
10月6日の午後3時頃から横浜、野毛の”無頼船”で投げ銭ライブをします。
横浜方面の方々、是非お越し下さいませ〜

さて、前回のブログの続きです。

人の想いが絶大な力を持っているという事を社会情勢に当てはめると、多分、今、私達には『どんな世界で生きていたいのか?』というヴィジョンが足らないのかも知れないなと思います。
つまり『想い』が足らないのです



原発も内戦もTPPも在日米軍基地問題も、一部の富める人間の利益のためだけにそのシステムが作られ温存されています。
それが温存される理由は、私達が『世界とはそういうものだ』と漠然とであれ確信的であれ信じているからではないかと思います。
その世界の在り様に賛成しようが反対しようが、『そういうものだと信じている』その想念が温存させる現実を作っているのではないでしょうか?
つまり、私達、大多数の人間は一部の富める人間とは違う、”敗北者”であるという前提で選挙に行き、世界を見て、モノを買い、、、、生きているという事ではないかと思います。
そして1部の富める人達から溢れ出るおこぼれのようなもの、その中でいかに幸せになるか?を考えている事が私達の限界を作り出しているような気がします。
世界がそういうものだという観念とは別に在る自分の幸せに焦点を当ててみたら、全然違う世界が見えて来るような気がします。


バリでは黒魔術と白魔術の攻防戦が日常的に繰り広げられているようです。
それは目には見えない、人の想いの力をどう利用するか?という事のいい事例だと思います。
そのような場所で半年近く暮らしたせいか、それを信じる私になってしまいましたが(笑)自分自身がいかに自分の本心ではなく人から言われた事や他人がみた私のイメージ(こうであろうと勝手に決めてるだけだけど)が支配され行動している事や、自分にダメだししてる事の多さや、色んな事に気が付いたので日々、「自分の本心を私自身が大切にします」とか「自分を不幸にする言動は選びません」とかそのような言葉を繰り返し言い続けてみる事にしました。
特に「自分を不幸にする言動は選びません」という言葉は強烈で、「こうした方が楽しい」という方向に舵を切る事が簡単になりました。

それと、言葉によるコミュニケーションがはかれない、よーたんとの関係をどうするかを私一人で決めてしまった事や、介護をしない選択をした自分をどこかで責めてしまっていて、全然関係ない事でこの事に対する罪悪感が足を引っ張ってるという事も多々ある事に気が付きました。
そのような罪悪感は多分、自分の人生の中には付きまとうものだろうなと思っていたのですが、まさに、この「罪悪感は付きまとうものだ」という観念がその現実を作っているのですよね、、、
でも、やっぱり簡単に心の整理がつかないので気が付いたら日々「そのような選択をした自分を許します」という言葉も言う様にしています。
が、この言葉もなかなか強力で、涙があふれて緩む事もあるし、自分の中に軸が現れて強くなった自分を感じる事もあるし、、、いづれにしても自分が軽くなるような感じがします。



「想いの力は強力で、人の観念が変われば社会システムも変わるはず〜」と思っても、先ずは自分自身の「想い」を変えないと外側の、しかも大きな世界が変わるわけはありません。
が、人は生まれてから今に至るまでに経験した色んな感情を詰めた生き物です。
社会的な動物なので、自分がこの社会の中でどんな人間であるかを常に考え、感じ、その中で本来の自分のあるがままを封じ込め、本当の自分を見る目が失われ、代わりに社会的な視点や通念や常識や慣習という目線でみた自分というものが『自分である』という意識が常にあるのが人間の性であり、生きづらさの正体のように思います。


自分の価値を自分が認め、一部の富める世界の支配者が持っている財産と自分の中にある物との価値は全く変わりがなく、私も富を持つ者である!と世界の多くの人達が思えた時、1部の人達が支配するシステムは自然と終わり迎えるのではないかと思います。
そのためにもどんな自分であっても自分が自分を愛し抜き、自分がどう生きれば本当に幸せだと感じるのかを考え行動し喜ばせ、自分の価値を自分で上げて行く事が大事な事だと思います。

そうは言っても、瞑想して爽やかに出かけても満員電車で毒づかれた日にゃ〜
心はまるで大海の木の葉のように揺れまくるわけですが、そこはそれ!!『どういう感情でいる事がより楽しいの?』と自分に問いかけ、のぞむようにするしかないですよね〜
怒りをぶちまけてすっきりする事を選ぶか、忘れる事を選ぶか、、、、、
許せもしないのに許そうとすると心が腐る感じもしますしね、、、、
どちらでも自分の本心にそった選択をするのが大事かと思います。

だからと言ってデモも抗議集会も行かなくてもいいとは思わないし、自分を変える事にさえ邁進してりゃ〜いつの間にか世界は変わってるよ〜とは思いません。
でも、自分の心の在り様には深く注意した方がいいと思います。
上記のような理由でね。


今、日本も世界も大きな岐路に立っている感じがします。
そんな世界の大きな潮目の中で、私達がひとりひとりが出来る事はなんでしょうか?
私は今、世界は『お金か愛か?どちらを選ぶのか?』を突きつけられてる問題ばかりが起きているような気がしているのですが、それはまさに私達個人個人の生活、人生の問題が拡大したもののような気がします。
愛か?お金か?
愛か?無関心か?
日々、自分に問いかけながら選択して行く事、それが解決のひとつの答えのような気がします。













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