冬の独白大放出
寒波が、、、すごいですな。
さて、皆様にご報告があります。
来年の寿[kotobuki]ですが、私が2月末から8月1日までバリ島に短期留学する事になり、結成28年目にして半年休業します。
旧正月ライブ、釧路の沖縄ナイトが終わったら夏まで寿[kotobuki]のライブはありませんので、皆様、是非是非1月〜2月のライブ、お越し下さいませ〜
そして、4年目に突入したよーたんたんとの生活を終わりにしました。
よーたんたんは実家の近くの施設に6日に入所しました。
今年の3月〜4月のバリの旅で、自分と相当向き合わざるを得ない状況になった時、私の中に『愛情も時間もお金も、私があげられるものは全部よーたんたんにあげてしまって私の中には何も残ってない』という空虚がある事に気が付きました。
また、このままだったらどちらかが死ぬまで、私一人がよーたんたんの人生を背負わされるという恐怖もあり、それは自分で思っていた以上の重圧がありました。
きっかけは、バリに行って1週間くらい経った頃の事。
よーたんたんが発熱し”てんかん発作”が止まらず救急搬送しましたという、預かってもらってる施設からの連絡がありました。
そこから感情の蓋が空いて、色んな声が自分の中から聞こえて来ました。
その声をひとつひとつ聞いているうちに自分の空虚に気が付きました。
自分では色んな人の協力を得て自分なりに楽しく、やりたい事をやっていると思っていたのでその発見は衝撃で、でも、特に去年1年間の自分の言動や体調や思考や、色んな事を想うとその空虚が私を支配していて、いつの間にか『な〜〜んも残ってない私』が私そのものになっている事を認めざるを得なくなりました。
これは、人の介護でなくても燃え尽き症候群とでもいうか、そのような体験をした事のある人なら多分お分かり頂けると思いますが、自分がうつろという感覚は恐ろしいものだったし、このままだとどうなっちゃうんだろ?という恐怖や焦りや、、、、特に私の場合、本当に無自覚だったので混乱しました。
さぼれるレッスンはさぼって、さぼれないレッスンには行って先生の前で泣いたりしながら貴重だといつも言っていたバリの一日をほぼ泣いて過ごし、お寺に行って瞑想し、とにかく一端この生活をリセットしようと決めました。
一大決心をして帰国したはずなのに迷って、先ずケアマネージャーさんに相談してからも決心がつかず、3週間くらいしてよーたんたんの両親に『私一人で介護し続けるのはもう無理』と告げました。
そこから更に2ヶ月くらい経って、『私の将来を自由にして欲しいので離婚させてくれ』と告げました。
あきらかに一人では生きていけなくなって、こんなに私を頼ってくれてて、お家に居たそうなよーたんたんを、本人の意志の確認も同意も得れないまま離れる事への罪悪感にさいなまれ、悩み過ぎてご飯が食べれなくなったり毎日、毎日泣けて「なんでこんな事になったんだろう?」と久しぶりに自分の人生を呪ったりもしました。
何であんたはしゃべれないんだ〜〜〜と、あんたの言葉が考えが聞きたいんだよぉ!と、よーたんたんに八つ当たりもしましたよ、、、
おまけに、よーたんたんは本当に愛らしいし、確実に変化は起こっていて喜ばしい事も沢山あり、二人でいる事が『やっぱり楽しいよね』と思ったりもしていたので、夏の本当に忙しくなるまで、迷って泣いての繰り返しでした。
また、そんな空虚を抱えたまんま、人前に立ちお金まで頂いて歌う事や踊る事への罪悪感もありその罪悪感とも向き合って、ずっと私の中にあった『歌う喜び』を取り戻したいと思い、自分の感情をノートに書き出しては、どんな思考が罪悪感を生むのか?その思考癖はいつ身に付いたのか?を知り、手放すという作業を繰り返しました。
気が付いたらその『ナビィちゃん秘密手帳』は3冊分にもなってました!!
相当な闇があったのね、、、、、わたし。
そんなこんなでひと夏が終わってみたら、本当に整理がつき、こんなに濃密な時間を過ごした二人の関係の中で、一方だけが勝手に離れたいと思ってるという事はないのではないかと思うようになりました。
やっぱりお互いの中に、新しい道を行こうという決心があるからこのタイミングでこの様な状況になったのではないかと、そう思いました。
その様な考えが現れてから、自分の子供のように思っていたよーたんたんを別の目で見る、感じるようになりました。
私は夫が障害者になってから、夫と自分の未来が不安で不安で、この先何が起こるかわからないという恐怖のあまり、夫の人生をもコントロールしようとしていた事に気が付きました。
やっぱり私にとって夫の発病〜危篤〜手術、そこから在宅になるまでの1年半は、一体何が起きているのか?この先どうなるか解らない闇のようなもので人生で最大の恐怖の体験でしたが、その体験は全く癒されないままだったので、もっと恐ろしい事が起こるのか?これ以上酷い事になるのか?なったらどうしようという恐怖がず〜〜〜〜〜っと、今に至るまで続いていたのでした。
私は夫の母親になったかのような気持ちでいましたが、その部分については私は、暗い道で迷子になり助けを求めてずっと泣いている小さな子供でした。
その子供の存在にやっと私自身が気が付き、その子供を救ってあげれるのはやっぱり私自身しかいなくて、その子の涙に共感し恐怖を理解し解放してあげようとやっと決心しました。
夫も、確かに自分で出来る事は殆どなくなってしまったけれど、でも、彼自身の人生を切り開く事は彼にしか出来ない。
私の恐怖で出来上がった眼鏡で彼を見続ける、その世界の中に閉じ込める事は、それこそ『愛』とは相反する行為である事にもやっと気が付きました。
障害を負っても何でも、彼自身の人生を切り開く力を彼自身がちゃんと持っていると信じれずにいましたが、それが一番『愛』のない行為であったと思います。
もっと早くこの事に気が付いていたら離れて暮らす決心などしなくても良かったのに、、、、と又しても恨めしく思ったりもしましたけど、私はやっぱりこの道しか歩けなかったし、『愛もなかったくせに一体何を守りたかったんだろう?』と自嘲したりもしたけど、必死でやって来た5年間だったけど、その必死がなかったら、実際に私達夫婦は生きて来れなかったし、この事に今、気が付けた事が私達夫婦の歩いた道、軌跡なんだと思います。
自分を愛する事が一番大事だと、散々歌って来たのに、私に一番足りてなかったものが自分への愛でした。
本当に恥ずかしいっす!!
話しは飛びますが、とめどなく涙が溢れる日々だったバリでの修行の中で、先生とのレッスン中、今まで体験した事のない感覚を得ました。
先生と向かいあって踊っていると何やら氣の玉のようなものが現れ、二人でそれを動かしているというような感じ。
それはとても気持ちが良くて、先生も同じ感じを得たらしくにやっと笑って「ナビィ、それだよ、それそれ、もう一回やろう!」と言ってました。
それが一人の先生との間だけではなく、3人の先生との間で起こり、どの先生もやっぱり同じようににやっと笑って、「もう一回やろう!」と言いました。
今までも氣の玉はあったし、それが動く感覚はあってだから踊る事が楽しかったんだけど、その時のはそれとは全く別もので、自分の肉体というものが溶けてなくなって何かと一緒になって膨大に大きくなるような感じでした。
踊りのレッスンではあったけれど、その一瞬で私はこの20年近くライブ活動を通じて培った『歌う』という身体を使った表現行為というものはこういうものだという概念や信念をぶっ壊されました。
自分の中に新しい種が蒔かれた感じがしました。
夫の事で悩みどんよりしていた自分の中に『可能性』という光が差し込んで来ました。
でも、その『溶けて自分が果てしなく大きくなる感じ』は数年前の旧正月ライブで感じた事があり、私はそれを舞台に立っている間中感じ続けていたいと、それが自分の本当の望みである事を忘れてしまっていたのでした。
このような2つの大きな出来事があり、自分の人生を再チャレンジをしたいと思うようになり、やるならやっぱり一番やりたい事をやろう!と思ってバリ行きを決めました。
お任せはしたものの、夫の両親は高齢だったり、実家の事やら、半年もライブしないでお金はどうすんの?帰国しても皆に忘れられてるかもよ〜とか、、、、
心配の種はありますが、もう1回、ひとりになって、夫も、そしてずっと助けてくれていたミーツーニーニーも居ない世界に身を置いて自立して、そして『このタイミングでこの状況』なんだからそれを信じて頑張ります。
今までお世話になった皆様、また8月以降から宜しくお願い致します〜〜〜〜
とても尊敬している先輩とこの一連の話しをした時、「愛から選択し、愛から行動しなければ自分も他人も傷つける」と言われ、でっかいトンカチで頭を殴られた思いでした。
「でも、今、どんな状況に陥ったとしても、愛から選択し直し、愛から行動をし直せば、その先には『愛』で満ちあふれた世界を築く事が出来る」とも言われました。
夫が2年近くお世話になったディサービス施設の連絡帳の職員さんとのやり取りを読み返すと、『愛がなかったくせに』と思ったけれど、そこには私からの、職員さんからの夫への愛が沢山詰まっていました。
その”愛”は親が小さな子供に与える庇護=愛情のようなもので、子供を産んでいない私は自分が空になるほど与える機会をもらえて幸せだったのかも知れないなと思います。
ただ、本当に私と夫が望んだものは『私らは愛で繋がってるもんね〜』という心地良さや安心だったんじゃないかと思います。
私らはこの状況から卒業して新しい世界に行くけれど、本当の繋がりがここから始まるような気がしています。
リセットすると決めてから、実際に夫と別居するまでの8ヶ月間のこの過程が夫が私にくれた最大のギフトであったと思います。
この機会からちゃんと学んで、夫が心の中にある幸せを実現出来るように、そしてもし夫が私の助けを必要としたら、ちゃんと良い塩梅で手を差し出せる人になりたいなと思います。
ではでは、出発までの間、日本の冬を楽しんでライブと踊りを頑張ります〜
長いぶちまけブログを読んで下さり有り難うございました。
ナビィ

(キラキラですわ)
さて、皆様にご報告があります。
来年の寿[kotobuki]ですが、私が2月末から8月1日までバリ島に短期留学する事になり、結成28年目にして半年休業します。
旧正月ライブ、釧路の沖縄ナイトが終わったら夏まで寿[kotobuki]のライブはありませんので、皆様、是非是非1月〜2月のライブ、お越し下さいませ〜
そして、4年目に突入したよーたんたんとの生活を終わりにしました。
よーたんたんは実家の近くの施設に6日に入所しました。
今年の3月〜4月のバリの旅で、自分と相当向き合わざるを得ない状況になった時、私の中に『愛情も時間もお金も、私があげられるものは全部よーたんたんにあげてしまって私の中には何も残ってない』という空虚がある事に気が付きました。
また、このままだったらどちらかが死ぬまで、私一人がよーたんたんの人生を背負わされるという恐怖もあり、それは自分で思っていた以上の重圧がありました。
きっかけは、バリに行って1週間くらい経った頃の事。
よーたんたんが発熱し”てんかん発作”が止まらず救急搬送しましたという、預かってもらってる施設からの連絡がありました。
そこから感情の蓋が空いて、色んな声が自分の中から聞こえて来ました。
その声をひとつひとつ聞いているうちに自分の空虚に気が付きました。
自分では色んな人の協力を得て自分なりに楽しく、やりたい事をやっていると思っていたのでその発見は衝撃で、でも、特に去年1年間の自分の言動や体調や思考や、色んな事を想うとその空虚が私を支配していて、いつの間にか『な〜〜んも残ってない私』が私そのものになっている事を認めざるを得なくなりました。
これは、人の介護でなくても燃え尽き症候群とでもいうか、そのような体験をした事のある人なら多分お分かり頂けると思いますが、自分がうつろという感覚は恐ろしいものだったし、このままだとどうなっちゃうんだろ?という恐怖や焦りや、、、、特に私の場合、本当に無自覚だったので混乱しました。
さぼれるレッスンはさぼって、さぼれないレッスンには行って先生の前で泣いたりしながら貴重だといつも言っていたバリの一日をほぼ泣いて過ごし、お寺に行って瞑想し、とにかく一端この生活をリセットしようと決めました。
一大決心をして帰国したはずなのに迷って、先ずケアマネージャーさんに相談してからも決心がつかず、3週間くらいしてよーたんたんの両親に『私一人で介護し続けるのはもう無理』と告げました。
そこから更に2ヶ月くらい経って、『私の将来を自由にして欲しいので離婚させてくれ』と告げました。
あきらかに一人では生きていけなくなって、こんなに私を頼ってくれてて、お家に居たそうなよーたんたんを、本人の意志の確認も同意も得れないまま離れる事への罪悪感にさいなまれ、悩み過ぎてご飯が食べれなくなったり毎日、毎日泣けて「なんでこんな事になったんだろう?」と久しぶりに自分の人生を呪ったりもしました。
何であんたはしゃべれないんだ〜〜〜と、あんたの言葉が考えが聞きたいんだよぉ!と、よーたんたんに八つ当たりもしましたよ、、、
おまけに、よーたんたんは本当に愛らしいし、確実に変化は起こっていて喜ばしい事も沢山あり、二人でいる事が『やっぱり楽しいよね』と思ったりもしていたので、夏の本当に忙しくなるまで、迷って泣いての繰り返しでした。
また、そんな空虚を抱えたまんま、人前に立ちお金まで頂いて歌う事や踊る事への罪悪感もありその罪悪感とも向き合って、ずっと私の中にあった『歌う喜び』を取り戻したいと思い、自分の感情をノートに書き出しては、どんな思考が罪悪感を生むのか?その思考癖はいつ身に付いたのか?を知り、手放すという作業を繰り返しました。
気が付いたらその『ナビィちゃん秘密手帳』は3冊分にもなってました!!
相当な闇があったのね、、、、、わたし。
そんなこんなでひと夏が終わってみたら、本当に整理がつき、こんなに濃密な時間を過ごした二人の関係の中で、一方だけが勝手に離れたいと思ってるという事はないのではないかと思うようになりました。
やっぱりお互いの中に、新しい道を行こうという決心があるからこのタイミングでこの様な状況になったのではないかと、そう思いました。
その様な考えが現れてから、自分の子供のように思っていたよーたんたんを別の目で見る、感じるようになりました。
私は夫が障害者になってから、夫と自分の未来が不安で不安で、この先何が起こるかわからないという恐怖のあまり、夫の人生をもコントロールしようとしていた事に気が付きました。
やっぱり私にとって夫の発病〜危篤〜手術、そこから在宅になるまでの1年半は、一体何が起きているのか?この先どうなるか解らない闇のようなもので人生で最大の恐怖の体験でしたが、その体験は全く癒されないままだったので、もっと恐ろしい事が起こるのか?これ以上酷い事になるのか?なったらどうしようという恐怖がず〜〜〜〜〜っと、今に至るまで続いていたのでした。
私は夫の母親になったかのような気持ちでいましたが、その部分については私は、暗い道で迷子になり助けを求めてずっと泣いている小さな子供でした。
その子供の存在にやっと私自身が気が付き、その子供を救ってあげれるのはやっぱり私自身しかいなくて、その子の涙に共感し恐怖を理解し解放してあげようとやっと決心しました。
夫も、確かに自分で出来る事は殆どなくなってしまったけれど、でも、彼自身の人生を切り開く事は彼にしか出来ない。
私の恐怖で出来上がった眼鏡で彼を見続ける、その世界の中に閉じ込める事は、それこそ『愛』とは相反する行為である事にもやっと気が付きました。
障害を負っても何でも、彼自身の人生を切り開く力を彼自身がちゃんと持っていると信じれずにいましたが、それが一番『愛』のない行為であったと思います。
もっと早くこの事に気が付いていたら離れて暮らす決心などしなくても良かったのに、、、、と又しても恨めしく思ったりもしましたけど、私はやっぱりこの道しか歩けなかったし、『愛もなかったくせに一体何を守りたかったんだろう?』と自嘲したりもしたけど、必死でやって来た5年間だったけど、その必死がなかったら、実際に私達夫婦は生きて来れなかったし、この事に今、気が付けた事が私達夫婦の歩いた道、軌跡なんだと思います。
自分を愛する事が一番大事だと、散々歌って来たのに、私に一番足りてなかったものが自分への愛でした。
本当に恥ずかしいっす!!
話しは飛びますが、とめどなく涙が溢れる日々だったバリでの修行の中で、先生とのレッスン中、今まで体験した事のない感覚を得ました。
先生と向かいあって踊っていると何やら氣の玉のようなものが現れ、二人でそれを動かしているというような感じ。
それはとても気持ちが良くて、先生も同じ感じを得たらしくにやっと笑って「ナビィ、それだよ、それそれ、もう一回やろう!」と言ってました。
それが一人の先生との間だけではなく、3人の先生との間で起こり、どの先生もやっぱり同じようににやっと笑って、「もう一回やろう!」と言いました。
今までも氣の玉はあったし、それが動く感覚はあってだから踊る事が楽しかったんだけど、その時のはそれとは全く別もので、自分の肉体というものが溶けてなくなって何かと一緒になって膨大に大きくなるような感じでした。
踊りのレッスンではあったけれど、その一瞬で私はこの20年近くライブ活動を通じて培った『歌う』という身体を使った表現行為というものはこういうものだという概念や信念をぶっ壊されました。
自分の中に新しい種が蒔かれた感じがしました。
夫の事で悩みどんよりしていた自分の中に『可能性』という光が差し込んで来ました。
でも、その『溶けて自分が果てしなく大きくなる感じ』は数年前の旧正月ライブで感じた事があり、私はそれを舞台に立っている間中感じ続けていたいと、それが自分の本当の望みである事を忘れてしまっていたのでした。
このような2つの大きな出来事があり、自分の人生を再チャレンジをしたいと思うようになり、やるならやっぱり一番やりたい事をやろう!と思ってバリ行きを決めました。
お任せはしたものの、夫の両親は高齢だったり、実家の事やら、半年もライブしないでお金はどうすんの?帰国しても皆に忘れられてるかもよ〜とか、、、、
心配の種はありますが、もう1回、ひとりになって、夫も、そしてずっと助けてくれていたミーツーニーニーも居ない世界に身を置いて自立して、そして『このタイミングでこの状況』なんだからそれを信じて頑張ります。
今までお世話になった皆様、また8月以降から宜しくお願い致します〜〜〜〜
とても尊敬している先輩とこの一連の話しをした時、「愛から選択し、愛から行動しなければ自分も他人も傷つける」と言われ、でっかいトンカチで頭を殴られた思いでした。
「でも、今、どんな状況に陥ったとしても、愛から選択し直し、愛から行動をし直せば、その先には『愛』で満ちあふれた世界を築く事が出来る」とも言われました。
夫が2年近くお世話になったディサービス施設の連絡帳の職員さんとのやり取りを読み返すと、『愛がなかったくせに』と思ったけれど、そこには私からの、職員さんからの夫への愛が沢山詰まっていました。
その”愛”は親が小さな子供に与える庇護=愛情のようなもので、子供を産んでいない私は自分が空になるほど与える機会をもらえて幸せだったのかも知れないなと思います。
ただ、本当に私と夫が望んだものは『私らは愛で繋がってるもんね〜』という心地良さや安心だったんじゃないかと思います。
私らはこの状況から卒業して新しい世界に行くけれど、本当の繋がりがここから始まるような気がしています。
リセットすると決めてから、実際に夫と別居するまでの8ヶ月間のこの過程が夫が私にくれた最大のギフトであったと思います。
この機会からちゃんと学んで、夫が心の中にある幸せを実現出来るように、そしてもし夫が私の助けを必要としたら、ちゃんと良い塩梅で手を差し出せる人になりたいなと思います。
ではでは、出発までの間、日本の冬を楽しんでライブと踊りを頑張ります〜
長いぶちまけブログを読んで下さり有り難うございました。
ナビィ

(キラキラですわ)