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チャランケ祭り

昨日は”チャランケ祭り”でバリダンスを踊りました。

歌う事も踊る事も、本当に大好きなのでいつものように楽しかった事は間違いなんだけど、なんかいつもと全然違う楽しさというか、今までに感じた事のない『踊る喜び』を味わいました。
それは、とても不思議な感覚だったんだけど、いつもは大人になってバリ舞踊に出会って好きになった大人の私が踊ってるって感覚だけど、昨日は、自分は子供で楽しい遊びに夢中なんです、今っ!!って感じでした。

んな事言われても何が何やら意味判らんわって感じだと思いますが、、、、

それは何だろうなぁ〜と想い馳せてみたら、自分の中のずっとずっと奥にしまっておいた感情というのかな?
鍵が開いてひらいた扉の隙間からふわ〜っと現れた感情のようでした。

多分、『喜び』という感情にも色んな種類、軽いとか深いとか重いとか色々があるんだと思うんだけど、今までよりももっと深くて重い感じがしたんだけど、それはどこかで私が「感じない様にしよう」と思って蓋をして、その蓋が開かない様に「理性」とか「常識」とか「人様の目」とか、そんなもので押さえていたんだけど、でも、「もう感じてもいいんですよ」ってお許しが自分に出て表出したもののように思います。

一緒に踊ってくれた林さんは、昔、ほぼひと月一緒にバリで過ごし、男の先生のスパルタ道場的レッスンに乗り合いバスで通い、日本で2回踊ってその後、私は「今はライブを頑張る時期でここを頑張らないと一生プロとして生きて行けない」と思い踊りを止めたんで、15年ぶりくらいに二人で一緒に踊ったけど何と言うか、あの頃に二人で培ったものは時間を経ても残っているもので色んな努力をしなくても気持ち良く、二人で一つの空気になれた。
それも不思議な感じでした。


よーたんたんもやって来て、寒かっただろうけど最後まで観てくれ満面の笑みで帰って行きました。
よーたんたんは、元気な頃に私もちょっと参加したバリの古典芸能”ガンブー”版『竹取物語』を観て、日本人がこんな事をやってる事を何とかどこかの媒体で書きたいと言ってくれ企画書を書いた後、病気で倒れてしまったのでバリダンス(バリ以外のダンスや芸能も)を見せてあげたいな〜と常々思っていたんだけどやっぱりホールだと難しいかなと思ったり、あんまり遠いと介護タクシー代も馬鹿にならないし、広場だったら騒いでも逃げ場もあるし、中野なら近いしと思ってヘルパーさんのお願いしました。
私が衣装を来たまま公園に入って来たよーたんたんをお迎えしたら『うほ〜〜〜〜〜〜い』って大喜び。
旧正月ライブのクワッチーダンサーズの時のような笑顔はなかったけど、真剣に観ててくれたのではないかと思います。

踊り終わってふっとよーたんたんが車椅子に座ってる姿を見たら、この人、言葉に出来ないけれど色んな事は判ってるんだなと何故か思いました。


それもこれも、あの場、「チャランケ祭り」だったから、という気がします。
ちゃんとカムイ(神)は居て、その力を惜しみなく、みんなに与えてくれたのだと思います。

全ての皆様に感謝です。

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(撮ってくれた友達に無許可で投稿。さおりん、すまん)


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