最近のナビ助さん
3月8日から約ひと月。
ピースボートの水先案内人の仕事で船旅しておりました。
今回は パラオ→東ティモール→バリ→スマラン(ジャワ)→ポートクラン(マレーシア)→ミャンマー→シンガポールまでの乗船でした。
今、バリの自宅におりますが、バリに戻ってすぐ発熱で3日寝込みました〜
よっぽど疲れてたんやね。
今回のクルーズの寄港地はアジアの国々の日本の植民地だった国が殆どで船内講座ではそんな話しも沢山聞け、東ティモールが日本とオーストリアとの戦いの砦だった事を初めて知りました。
最初の寄港地、パラオはこの数年、温暖化の影響や観光客の心無い行為で自然環境が悪化しており、それを少しでも防ごうと観光客に「パラオ プレッジ」という誓約書にサインする事を昨年の12月から義務づけました。
入国スタンプが誓約書となっていてこれにサインをするというもの。
「パラオの皆さん 私は客人として 皆さんの美しくユニークな島を保存し保護することを誓います。
足運びは慎重に、行動には思いやりを、探査には配慮を忘れません。
与えられたもの以外は取りません。
私に害を与えないものは傷つけません。
自然に消える以外の痕跡は残しません。」
パラオから4人の環境保護団体のゲストが乗船しパラオに着くまでに数回プレゼンテーションを行いましたが、その中で幾度となく「子供達への責任」「未来への責任」という言葉があった事が印象に残りました。
パラオはインドネシアとは比べ物にならないほどの小さな島々が集まった人口もわずか2万人強の小さな国です。
小さな国だからこそ出来るのかもしれませんが、この誓約を破った者には100万ドルの罰金も課せられてもいるため、ともすれば旅行計画を取りやめる人もいるであろうリスクもあるため、小さな観光立国にとってはとっても勇気のいる選択だったのではないかと思い胸を打たれました。
次の寄港地はずーっと行ってみたかった東ティモール
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した建国16年の若い国です。
独立を巡る紛争と自国民同士の衝突で膨大な人数の大人が殺されたため国民の7割が30歳以下という国。
そんな国には、政府と国民 国民と国民を繋ぐメディアが何もなく、また雇用促進をと考えた沖縄のNGOと読谷村のFMよみたんの局長と東京のAsobotという会社が関わり4年の月日をかけて開局したラジオ局で乗船していた沖縄の青年二人と歌って来ました。
Asobotの社長 伊藤剛さんも私と同じく水先案内人として乗船しており彼の「なぜにラジオ局か?」というプレゼンテーションで、開局と地場産業の開発に読谷村が関わっていると聞き「沖縄民謡を歌うからラジオジャックさせて」とお願いしてみたらアッサリ了承され、ラジオ局に行ってみたら村長さんもラジオ局長ナトーくんも勉強のため沖縄に長期滞在したらしく民謡を知っていたのでナトーくんと4人のセッションとなり、ラジオジャックは共演となりました。
おまけに、この日、ラジオのジングルもレコーディングしました。
わたくしの人生初のポルトガル語(東ティモールの公用語はポルトガル語)で歌った歌が日々東ティモールはコモロ村のラジオから流れておるらしいです。スゴイ!
その後は、ティモールの元大統領 ラモス・ホルテさんの前でティモールの民謡を歌わせて頂きました。
2日前に急に頼まれ、これまた水先案内人で乗船していらしたティモール研究家の松野先生に歌を習い歌詞を覚え発音の曖昧さを隠すためにスカにアレンジしてテンポアップで誤魔化し、何とかやり遂げました。
ラモス氏のお嬢さんが踊ってらしたので喜んで頂けたのではないかと。
皆々様に感謝しております。
ティモールは貧しい国で、観光資源も乏しく手前に大観光地バリ島があるため(バリ経由のエアラインが多いらしい)この何もない島をわざわざ訪ねて来る人は少ない。
けれど、若い人達からは自分達の手でこの国を良くして行きたいという想いを話しの端々に感じ、希望のある国だと感じました。
緑豊かで人が愛らしいこの島にまた来たいなぁと思いました。
その後、バリ、スマラン、マレーシア、ミャンマーと続くのですが、長くなったのでまた次回。
長文、お読み頂き有難うございます。
ナビィ
ピースボートの水先案内人の仕事で船旅しておりました。
今回は パラオ→東ティモール→バリ→スマラン(ジャワ)→ポートクラン(マレーシア)→ミャンマー→シンガポールまでの乗船でした。
今、バリの自宅におりますが、バリに戻ってすぐ発熱で3日寝込みました〜
よっぽど疲れてたんやね。
今回のクルーズの寄港地はアジアの国々の日本の植民地だった国が殆どで船内講座ではそんな話しも沢山聞け、東ティモールが日本とオーストリアとの戦いの砦だった事を初めて知りました。
最初の寄港地、パラオはこの数年、温暖化の影響や観光客の心無い行為で自然環境が悪化しており、それを少しでも防ごうと観光客に「パラオ プレッジ」という誓約書にサインする事を昨年の12月から義務づけました。
入国スタンプが誓約書となっていてこれにサインをするというもの。
「パラオの皆さん 私は客人として 皆さんの美しくユニークな島を保存し保護することを誓います。
足運びは慎重に、行動には思いやりを、探査には配慮を忘れません。
与えられたもの以外は取りません。
私に害を与えないものは傷つけません。
自然に消える以外の痕跡は残しません。」
パラオから4人の環境保護団体のゲストが乗船しパラオに着くまでに数回プレゼンテーションを行いましたが、その中で幾度となく「子供達への責任」「未来への責任」という言葉があった事が印象に残りました。
パラオはインドネシアとは比べ物にならないほどの小さな島々が集まった人口もわずか2万人強の小さな国です。
小さな国だからこそ出来るのかもしれませんが、この誓約を破った者には100万ドルの罰金も課せられてもいるため、ともすれば旅行計画を取りやめる人もいるであろうリスクもあるため、小さな観光立国にとってはとっても勇気のいる選択だったのではないかと思い胸を打たれました。
次の寄港地はずーっと行ってみたかった東ティモール
東ティモールは2002年にインドネシアから独立した建国16年の若い国です。
独立を巡る紛争と自国民同士の衝突で膨大な人数の大人が殺されたため国民の7割が30歳以下という国。
そんな国には、政府と国民 国民と国民を繋ぐメディアが何もなく、また雇用促進をと考えた沖縄のNGOと読谷村のFMよみたんの局長と東京のAsobotという会社が関わり4年の月日をかけて開局したラジオ局で乗船していた沖縄の青年二人と歌って来ました。
Asobotの社長 伊藤剛さんも私と同じく水先案内人として乗船しており彼の「なぜにラジオ局か?」というプレゼンテーションで、開局と地場産業の開発に読谷村が関わっていると聞き「沖縄民謡を歌うからラジオジャックさせて」とお願いしてみたらアッサリ了承され、ラジオ局に行ってみたら村長さんもラジオ局長ナトーくんも勉強のため沖縄に長期滞在したらしく民謡を知っていたのでナトーくんと4人のセッションとなり、ラジオジャックは共演となりました。
おまけに、この日、ラジオのジングルもレコーディングしました。
わたくしの人生初のポルトガル語(東ティモールの公用語はポルトガル語)で歌った歌が日々東ティモールはコモロ村のラジオから流れておるらしいです。スゴイ!
その後は、ティモールの元大統領 ラモス・ホルテさんの前でティモールの民謡を歌わせて頂きました。
2日前に急に頼まれ、これまた水先案内人で乗船していらしたティモール研究家の松野先生に歌を習い歌詞を覚え発音の曖昧さを隠すためにスカにアレンジしてテンポアップで誤魔化し、何とかやり遂げました。
ラモス氏のお嬢さんが踊ってらしたので喜んで頂けたのではないかと。
皆々様に感謝しております。
ティモールは貧しい国で、観光資源も乏しく手前に大観光地バリ島があるため(バリ経由のエアラインが多いらしい)この何もない島をわざわざ訪ねて来る人は少ない。
けれど、若い人達からは自分達の手でこの国を良くして行きたいという想いを話しの端々に感じ、希望のある国だと感じました。
緑豊かで人が愛らしいこの島にまた来たいなぁと思いました。
その後、バリ、スマラン、マレーシア、ミャンマーと続くのですが、長くなったのでまた次回。
長文、お読み頂き有難うございます。
ナビィ