福島も寒かったけど東京も寒い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぃですな、、、、
4日、5日と2日間と短い時間でしたが福島、郡山へ行って来ました。
今回は寿[kotobuki]のライブというよりも広瀬隆さんの講演会の前に歌う時間をもらったという形でのライブで、不完全燃焼ではありましたけども、私達が出会った福島の人達の置かれている現状を知る事が出来ました。
やはり行ってみないと、出会わないと何も解りません。
お世話になった皆様、有り難うございました。
寿[kotobuki]でベースを弾いてくれてるjigenは本人が岩手県出身で親戚も震災、津波の被害に遭っている事もあり、本当にすごい事だと思うけれどひと月に一度、色んな被災地を回ってライブをしながら足らない物資を届けたりしています。
その彼から聞く被災地(ほとんどが津波の被害による)での被害の話と比べると福島の現状は同じ東日本大震災による被害であっても問題は全然違うんだなと思いましたし、この事故は本当に深刻で、それは日本という国が今、現在、大変な状況にあるという事を実感しました。
沖縄の基地の問題が「沖縄の米軍基地問題」なのではなく「日本の米軍基地問題」であるのと同じように原発事故の問題は「福島県の問題」なのではなく「日本の原発事故問題」という事です。
福島駅に着いたら、当たり前の様に自分の住んでる杉並区の駅前の景色となにも変わらない日常、人々の暮らしがありました。
迎えに来て下さったSさんが、車に乗った瞬間、「この辺は放射線量が高いんだよね〜」とぼそり。
放射能は目には見えず、そうは言われても実感が湧かずとても不思議な光景に見えて来ました。
ですが、誰かと誰かが会うと必ず、自分の住まい、勤務地周辺の線量の話になり、線量計を持ってる人同士がその性能についてを話ていたり、車で移動中も線量計で線量を計り「ここは高い、低い」という話になり、その光景はやっぱり異様でこんな事が当たり前になってるなんて、それはやっぱり恐ろしいし、そんな事が日常になる暮らしはとてもおかしな事です。
私の会った人の多くは「ここは住んでてちゃいけない所なんだよね」と口にしますが、様々な理由で避難出来ずにいる人が本当に沢山います。
広瀬隆さんは講演の最後に「命が一番大事、だから避難して下さい。皆で共に生き延びましょう」と語っておられて本当に本当にその通りだと思います。
が、とにかく生きる事が希望そのものだと思える人は避難出来るんだろうけど、避難する事で失うものが多過ぎて希望を感じられないと思う人がいるのは当たり前だと思います。
人は新しい土地に希望があれば自分の生まれ育った土地を離れる事は出来るけども、希望なしに離れる事は難しいと思う。
誰だって避難した方がいい事は解っているけれど、個人が抱えるには余りにも大きすぎる問題に踏み出す事や最善は何かを考える事が出来ない事に今の苦しみがある様に感じました。
何人かの人が、「事故以降、吐血をしてぶっ倒れた人が100人いれば皆、恐怖を感じるんだろうが放射能は目には見えないし、何も考えない、感じないようにしていれば普通に過ごす事が出来るし、政府も県も何も無かった事に出来る」という事を口にしていました。
政府、東電、原子力の専門家、誰でもいいけど、きちんと福島の放射能の被害の大きさを公式に県民に説明するべきだし、帰れない地域がある事、それは残酷なようでも真実を伝えるべきだし、例え汚染されても残りたいという人にはどうすれば被曝を最小限に食い止められるかを伝え徹底するように訴えるべきだと思う。
私達が育てた政治家達は広瀬さんの様に「共に生き延びよう」とは言ってくれないし、そもそも思ってないのだろうと思う。
そんな人達を許して来た私達自身を問わないといけないとも思います。
3月10日と11日に福島へ行く事が決まりました。
3月10日は今回宿泊させて頂いた伊達市霊山町の『りょうぜん里山がっこう』でやります。
http://
date-satoyama.com
天然木の香りが漂う、本当に気持ちのいい空間です。
是非、お時間があればお越し下さい。
詳細はまだ未定ですが、多分3時くらいから始めます。
また決まればお知らせします。
(こんな所でございます)
昨日、帰宅してすぐは、福島原発事故の現状に苦しむ人達の想いに圧倒され打ちひしがれていましたが、朝、目が覚めて、広瀬さんの言葉の様に「共に生き延びたい」し、そこに希望がある様に音楽だけじゃ足らないんだろうけど、そう在るように、寿[kotobuki]が出来る事をやってゆきたいと思いました。
福島だけでなく、他の被災地域も、沖縄にも、親に愛されず苦しむ子ども達にも、子どもを愛せず苦しみ親にも、介護中の人にも、介護をされる事になった人にも、そこに希望があるように。
その想いが音楽となって伝わって共感し合えるように。
ではでは、また。