Archive for 2011年07月

RSS Feeds

お久しぶりでございます。

何だかバタバタの1週間。
忙し過ぎて全く更新出来ませんなんだ。

この間の様々なライブにお越し下さった皆様、お世話になった皆様。
有り難うございました〜
どのライブも楽しゅうございました!!
感謝でございます。

毎日がものすごい勢いで過ぎて行きまする。
よーたんたんは可哀想だが、寿町のライブが終わるまでずっとディに泊まりっぱなし。

よーたんたん(だけでなく脳疾患の人には多い後遺症らしい)は病気をしてから、体温調節が上手く出来なくなったのか、どんなに暑くてもほとんど汗をかかない。
なので、暑い日はどんどん体温が上がり、はたと気がつくと38℃くらいにすぐなる。

なのでクーラーをつけ扇風機を回し、1時間い一回くらいミント入りの氷水に付けたタオルで身体を冷やしたりする。
ひんやりジェルシーツとかも使ってみているが、だいたい1時間もすれば熱々シーツになってるよ。
そんなもんなの?

おまけにどういうわけか、水分を拒否したりする時もあるので、そうなる本当に大変。
とろみをつけたりゼリーを作ったりして何とか水分を摂らせるが、それでも、すぐに関節や脇の下あたりに熱が籠る。

クーラーは冷えるし喉に悪いし本当は使いたくないけど、とにかく「発熱はせっかく回復した機能をだめにする」と散々言われているので、発熱させない様に使うしかない。

夏はお世話する頻度が格段に上がって、割合1日中、彼に事にかかりっきりというか、自分の事に集中出来ないないね。




よーたんたんが居ないと、さすがにバリで鍛えられてるのか暑さに強いらしく、冷房必要なしだし、窓を全開開けっ放しで1日イケます。
がんがん汗かいて、壮快でございます。

よーたんたんが居ないと自分にとっては快適ではあるが、やっぱり寂しくはある。
職員さんが、「時々、お家に帰りたいみたいで窓の外の送迎車を指さしたりするんですよ」と言ってた事とかを思い出すと、どうしてるのかなぁと気になる。

言葉でコミニュケーションをとる事が出来ないので、やっぱりどういう心境でいるのかは解らないし、こちらの事情をどこまで理解してくれてるのかはわからない。
自分の中で想像するに、どうしても「大人」である彼にはならない。
小さな子供が「もうお家に帰れないのかも」と不安になってる状態、そんな心理状況の彼しか想像が出来ない。


寂しい話だけど、やっぱりもう「夫婦」であるという感覚はかなり無くなって、よーたんたんは夫ではなく庇護する対象、子供の様な存在になった。

だから、正直、この先の人生の中で自分が共に暮らしたい別の相手が現れたらどうなるのかなぁ〜とか考えたりもする。

もちろん、うちの事だから自分の幸せを最優先するだろうけど、でも、よーたんたんは自分にとって家族だからねぇ、、、、
だからって、3人で一緒に暮らしましょうって出来るのか?とかね、、、、



まぁ、答えは本当にそうなった時、自然に出るよ、とは思うけど、時々、そんな事もふっと考えたりもする。
でも、そんな別の人との未来を考えた時、「どうなるのかな?」って一抹の不安がよぎるって事は、自分にとって失いたくない存在であるって事なんだなと思う。


何のために出会って、何のために夫婦になって、何のためにこの状況を共に過ごしているのか?
その答えがずっと知りたくて、解りたくて苦しかったけど、この間、バリに居る時、ふっと「その答えは、求めてる限り一生解らないのかも」と思った。

うちとよーたんたんは出会って、結婚して、よーたんたんは病気になって、脳障害が残って、色んな事が自分で出来なくなった、ただそれだけ。
ただ、その事実を日々、生きてるだけ。
ただそれだけの事なんだなと思った。


もっと二人で普通の夫婦の様な時間を過ごしたかった。
旅にも行きたかった、子供も産みたかった、楽しい未来をみたかった。
色んな事を考え、悲しくて寂しくて悔しくて仕方なかったし、その想いはまだある。


でも、夫婦って何なのかなと考えた時、旅行に行く事でもないし、子供が育てられれば面白いだろうけど、それだけでもない。
ただ共に生きるって事がその答えのひとつの様な気がする。

そう考えると、やっぱりうち達はまだ夫婦なんだなと思う。

蒸し蒸しの朝、そんな事をふっと思ったのでつらつら書いてみました。
今日も、これから1日、忙しいざます。
ではでは〜〜〜ん、皆様も体調管理を大切に〜
またね。





















   

ありがと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜う

17日のチャンプルフェスタでお会いした皆々さま
スタッフの皆様、有り難うございました〜
ゲストで参加してくれた「島唄クワッチー」の皆様、有り難う〜

今年は通りすがりの人も含め、多くの人に、寿[kotobuki]を聴いて欲しいと思って、今までとはちょっと違う気持ちで参加しました。
ライブの後、色んな方から話しかけて頂きましたけど、やっぱり、今回の震災と原発事故で色んな想いを抱えてる方が沢山いて、そんな方が「希望が湧いた」と言って下さった事はうちにとっても支えとなります。

今回チャンプルフェスタに参加した福島県いわき市のじゃんがら太鼓の青年団の人達が「今回の震災、原発事故を、忘れないでくれ、対岸の火事にしないでくれ」と最後にスピーチをした時、本当に胸が詰まりました。

原発事故は何も収束していないし、多くの人の日常は帰って来ないままです。
その事を同じ日本人として忘れてはいけないと思うし、失っていない私たちは出来る多くの事があるはず。

もし、その「出来る事」のひとつに、歌う事で心にアカリを灯す事であるならば、それをやり続けたいと思います。



今年も旦那くん、ヘルパーさんと一緒に聞きに来てくれました。
去年は、うちと一緒に介護タクシーでうちの入り時間に合わせて行ったので、本番まで1時間以上も待ち、本番前は絶好調で上機嫌だったけど、本番始まったらもう〜〜〜待ちくたびれたらしく「帰りたい〜」と泣き叫ぶの図がステージから見え、がっくし、、、、

今年はライブの前にバリダンスの練習があったのでヘルパーさんにお任せしてぎりぎりの時間に連れて来てもらったので、ライブの途中までニコニコの上機嫌。

そのうち皆が踊りだしたらびびりだして、表情がかた〜〜〜くなってたけど、それでも、帰りの電車の中では何やら思い出し笑いをし、自宅に戻ってからヘルパーさんと親睦会を兼ねて自宅で飲み会(旦那くんは”こどもビール”で乾杯)
皆が帰る頃には満面の笑みを浮かべて眠ってました。
やっぱり「楽しいな」と旦那くんが思える時間を共有したいですな、これからも。

そんなハッピースマイルだった旦那くんも又してもお泊まりディサービスに預け、18日は長野へ行き、バリダンスを踊って来ました。

長野駅前のアジアレストラン『Cho Bali Bali(チョーバリバリ)』というお店の10周年記念でした。

オーナーのデウォちゃんは初めてバリへ行った時に出来た最初の友達。

5月に友達のAちゃんと長野に行った時に一緒に遊んで、その時から「10周年記念で踊って〜」と言っていたのに、全然連絡ない。

もう無い話なんだなと思っていたら7月10日、突然その話はやって参りました。
あぁ、びっくり、、、、

でも、踊らせてもらえる、その機会が与えてもらえるって幸せな事ですな〜
今回も例のハイテンションダンス『タルナジャヤ』を1部、2部で2回踊らせてもらいました。
あぁ、楽しかった。

パーティに参加された方も楽しんでいただた様子で良かった。
おまけに、バリ人と日本人の間に生まれたお子さん連れで来られてた方が帰り際に「バリの芸能に興味のなかったうちの子が今日のダンスを観て、踊りがやりたいって言ってます、有り難う!!」と、しかも2人も言って下さいました!!!
きゃ〜〜〜〜〜〜こんな嬉しい褒め言葉がありますかい、ちょっとあんた!!
踊って良かった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

長野に住んで半年、バリからやって来たアユさんも、歓迎の踊りを踊ってくれ、最後に一緒にジョゲブンブンというバリ版カチャーシーも即興で二人で作って踊りました。
20110720-110718_2241~01.jpg
アユさんは12年ぶりに踊ったらしいけど、ちゃんと覚えてるしやっぱり、バリ人のあの手の動きの美しさ、腰のしなやかさは素晴らしい、、、、


デウォちゃんのお家へ着替えに戻ったら、娘さんが絵を描いてくれました。
20110720-110720_1306~01.jpg
うちとアユさんと、歓迎の踊りの時にお花を一緒に撒いたココちゃん本人。
ダンサーも楽しそうだが、観客も楽しそうの図。有り難うね〜

奥さんのみきさんもバリで踊りをちょっとやってらした事もあり、娘のココちゃんもバリダンスがやりたいそうだが、長野に先生がいないとの事。
どなたか、長野近郊にいるという情報をお持ちでしたら教えて下さいな〜〜〜〜

ではでは〜
次のライブは27日、オーガニックの神髄を極めたほうとう屋さん「へっころ谷」でのライブです。
来てね〜〜

その前に、25日は葉山のオアシスでバリダンスライブです。
お越し下さいませ〜












   

怒濤の3日が終わりました〜

7月1日の高橋真樹くんの新刊『観光コースではないハワイ〜楽園のもうひとつの姿〜』の出版記念のイベント
2日の荻窪『ナタラジ』でのバリ舞踊ライブ
3日のアースガーデン ピースマイルステージでのライブにお越し下さり出会って下さった皆々様。
有り難うございます〜
関係者の皆様も有り難うございました〜

うちにとって、デビューもあり、濃密な3日間でした。


出版記念のイベントでは、著者本人の『我ったーネット』熱唱あり、辻真一さんの白熱トークあり、熱い夜(?)でした。
震災後、うちも含めて多くの人が今までの価値感を変えざるを得ないと感じていますけど、じゃ〜どうすれば?って人は沢山いると思います。
答えはそれだけではないけれど、ハワイや他の先住民の生き方、哲学から学ぶものは大きいなと思います。
でも、きっとそれは、日本人にとって『新しい価値観』なのではなく、私たちの奥底にあるなじみ深いものの様な気がします。

3日のライブは、空は青く、葉のミドリはつやつやに輝いて、人の笑顔と重なり合う声は素晴らしく調和がとれて美しい!!
それは、それは、生きているということ それだけで素晴らしい、と心から信じられる様な光景でした。

ライブの後の、はからめの鈴木夫妻、アウトドアライターの鈴木さん(ビール、ご馳走様でした〜)、とりまとめ役のぐらするーつの鈴木くんと、鈴木だらけのトークショー。
暑い中、ずっと聞いていて下さった皆様にも感謝です。

はからめのお二人のお話(先日の相馬市の関さんもでしたが)は、やっぱり、私たちの暮らしと被災地の暮らしの温度差を痛感するものでした。
でも、うちの暮らしも被災地の暮らしも、どちらも『日常』ではあると思うし、その日常をそれぞれが、日々生きる、ただそれだけの事とは思うけれど、これが、同じ日本という国の中の事である、という事をあまりに簡単に私たちは忘れてしまえるという事。
考えない、感じないでいられるという事が、多くの問題を生むという事を実感しました。

でも、その温度差を縮めていくために、音楽で出来る事をやりたい!!と、ピースマイルでのライブも含めて、その様に心が固まった1日でもありました。

トークショーで得た情報などは、また後日改めて書きます。


バリダンスのデビューは、後で撮ったビデオを観たら、はぁ〜〜〜〜〜〜〜ってなる所も沢山あったけれど、楽しかったし、やっぱり「タルナジャヤ」ってすんごい踊りだなぁ〜。
バリ人ってすごいわ、良くこんな音楽と踊りを考えつくよ〜って、踊りながら感心、感動し、自分の中にあるこの踊りがもっともっと引き出せる様に頑張ろ〜と思ったのでした。

中盤、中腰のむっちゃキツい体制で2分くらい踊るパート(うちは田植えと呼んでいる)があるんだが、そこが鼻血が出てるんじゃないかと思うくらいキツくて「ナビちゃん、もうお家に帰りたい」みたいになった瞬間もありましたが、その後、扇子をぐるんぐるん振り回すパートで持ち直し、最終的には「踊るって素晴らしい〜生きてるってサイコ〜〜」みたいになりました。
そういう意味でも、超強烈アメとムチのこの展開、、、良く出来てます。


31日に友達のCD発売記念のイベントの前座で踊らせて頂く事になりました。
踊る事は随分前から決まってましたけど、何を踊るかを相談して「タルナジャヤ」のyoutubeの画像を送ったら「これくらい激しいのがいい!!」とのお返事。
さすが、ロッカー
詳細はまた後日、美味しいベトナム料理屋さんでです。

ではでは〜
20110705-110702_1932~001.jpg
(ぼけぼけだが、こんな感じです「タルナジャヤ」 ムムさんのお友達さん、写真を送って頂き有り難うございます〜)