Archive for 2011年03月

RSS Feeds

悔しいのだ。

原発、、、、、、怖い。
もうこの際、日本中の原発を止めたらいいと思うが。

こんな時になんだけど、最近、本当に「何で?」と腹ただしく悔しい来事があったので、その事を書こうと思います。

去年の11月から通い始めたデイサービス。
前にも書いたけど、旦那くんはこの施設というより、職員さんと気が合っていたのか、デイサービスに行く事が楽しくて仕方なかった様子で、お迎えが来ると自ら車椅子に乗るし、送ってもらった時、職員さんから「今日はボーリング大会に参加されて2回ストライクを出しました」と日中のレクレーションの様子を写真で見せてもらったり、クリスマスや誕生日にはお祝いしてる様子を写真に撮って下さり、誕生日はとても嬉しそうな笑顔の写真で、心温まるメッセージカードも下さり「あぁ、いい人達に出会えて良かったな〜」としみじみ思ったものです。

笑顔も増えたし、何より、レクレーションに参加出来るなんて夢の様な事だったので、4月から杉並区に唯一ある「高次脳機能障害のリハビリ訓練デイサービス」に通いたいと思って応募していたんだけど、この施設でもう少しコミュニケーション能力を回復出来てからにしようと思い、職員さんにもその意向を伝え「一緒に頑張ろう!!」って10月に延期したんだけど、、、、、、

なんと、よーたんたんを見守り、時には3m歩行訓練するなど厳しく、そして関心を持って見守っていて下さった職員さんが突然解雇になったのです。


元々、この施設はフランチャイズの施設なんだけど、大元の会社のサイトを見ると「低額出資で高収入」みたいなコピーがあって、この施設のオーナーもこのコピーに踊らされて施設を開所したらしい。
福祉に特に興味があるわけでも何でもない人の様で、職員の給料の未払いや、よーたんたん達利用者の食事の仕入れを職員にさせ、その立て替えたお金を返してないなど、お金のトラブルや、夜間の職員が1晩中、利用者さんのおむつを替えなかったとか、よーたんたんも「抗てんかん薬」をきちんと処方量を飲ませてもられてなかった事も発覚、、、、
この問題ありの職員はオーナーの親戚だか、古くからの友人なんだかで、他の職員が注意しても「彼女は介護のエキスパートだから」とオーナー自ら注意もせず、クビにもせず、、、、

この職員さん、ライブが終わった後、夜10時過ぎに着替えを届けに行った時、もう寝てる方もいらしたので「ここで失礼します」と玄関先で帰ろうとしたら「いいから、いいから、國貞さんに会ってあげて」と言われ、そんなに言うならと思って部屋に入ったら、何度もトイレに行こうとするおばあちゃんがいて、その方の事を「この人、何にもわかってないから自分がトイレに行った事も忘れちゃうのよね〜嫌になっちゃう」と、のたまったのでした、、、
信じられん、、、、


そんなこんなが積もり積もって、職員一同がオーナーにクレームをつけ、クビになったらしい。

発病してから、よーたんたんは、小さな変化は沢山ありましたけど、「出来なかった事が出来た!!」っていう、レクレーションなんかに参加出来なかったのに出来る様になったっていう様な劇的な変化はこの施設に通うまでなかったし、何より、在宅になってから、本当によーたんたんに興味を持ってくれる施設職員さんには全然出会えず、ショートステイ先でも連絡帳にやんわりと「正直、どう接していいかわかりませんわ」みたいな感じの言葉があったりして、八王子の病院、川越の病院の様に入院中はいい職員さんに恵まれても在宅になっていないんじゃ〜辛いなぁ〜と思っていたところに、この施設が見つかり、うちにとっては頼れる大切な存在だったわけです。
たった数ヶ月でしたけど、、、、、



オーナーにとっては、利用者はただの利益の対象でしかないんだろうけど、利用する側は、色んな想いを持ってるし、うちは場合はまだ若いのに十分なリハビリも受けれない中、頑張ってくれる職員さんの存在は本当に有り難く、頼れるし、何よりも「支え」になってくれていたのに、突然解雇するって、それがどういうダメージを利用者に与えるのか?その事を少しでも思い至れない様な人が介護の仕事なんかやるな!と言いたい。

解雇するにしても、それを利用者に説明する義務があるだろう?と思う。
何が問題で解雇し、今後どのようなケアをするのか?誰が送迎に行くのか?
それを納得した上で利用して下さい、というのが筋なんじゃないか?



辞めさせられた職員さんとよーたんたんのこれからに期待をしていた、「チーム國貞で頑張ろう!!」と思っていたうちの、このがっかりな気持ちなんぞ、あのオーナーにはわからんはず。
本当に落ち込んだよ。

また、新しく施設を探さなきゃならないし、また1から同じ事を繰り返し説明し同じ様な事を心配し、、、、、
もういい加減、落ち着いて暮らしたい。



職員さんの解雇後、色々あって、その対応も本当に、あまりにも腹ただしいので、ケアマネージャーさんと相談して連名で杉並区に訴える事にしました。
今後利用しなけりゃ〜いいって話じゃない。


でも、まぁ、こんな話、さんざんある事なんだろうと思うな。

川越の病院に入院する前に3回通ったデイサービスの施設も本当に最低だったし、ケアマネージャーさんに「うちの利用者さんは絶対におたくには通わせない!」と言わせたくらい、酷かった。
オーナーも職員にも「何で福祉の仕事なんかしようと思ったの?」って聞きたくなる様な人達が揃ってて、逆に関心した。
「よくぞ、ここまで揃ったな」と。


だいたい、どこのデイサービスの施設もフランチャイズで見学に行くと「あんた本当にここで働いてるの?」つぅくらい、設備とかシステムとかな〜〜〜〜〜んも説明出来ない職員がいたり、パンフレットにはいい事ばっかり(当たり前か)書いてるけど夜間の職員1人で泊まりの利用者6人じゃ〜そんな素晴らしいケア出来なくない?と、ど素人のうちが突っ込みたくなる施設とか、、、、

どこもな〜、面談の時はいい事ばっかり言うんだよね、、、
綱渡りみたいだけど、実際利用してみないとわからない。
こっちはこっちで、ライブの度のヘルパーさんを呼んでたら金銭的に厳しいから、それよりは安く利用出来るデイやデイの泊まりは利用したい。
切羽詰まってるから見抜けないのかなぁ、、、


なんかなぁ〜〜〜
皆でお金を出し合っていい職員さんに勤めてもらって、利用者も働く人も心地いい、小さい施設が作れないかなぁ〜


原発が大変な時に、こんな話ですいません。
当事者じゃなきゃ何の共感も興味もない話かと思いますが、あまりに悔しかったので書きました。
ほんとうに切実なんですよ、、、、

お世話になったEさん、Hさん。
もし読んでらしたら連絡下さい。
せめてお礼だけでもちゃんとお伝えしたいです。

こんなブログですいません〜〜〜〜
ではでは、また。


















   

共感するということ

広島出身のうちとしては、常日頃から「核」「放射能」というものに認識について、違和感を感じる事が多いです。

昨日、ちらっと観たテレビで、そのコメンテーターは「地震、津波により」と言いたかったんだろうとは思いますが、福島原発の事故を「我が国初の未曾有の事故」と言ってました。

けど、戦争か生活のためかという利用の仕方は違えど「核や放射能の恐怖」というものは、ヒロシマ・ナガサキという2つの都市に原爆を投下された歴史があり、人間の想定外の事故が起きた時、想定出来る事をはるかに越える事故になる事は「東海村」の臨海事故で知ったはず。
世界のどの国よりも事例が多く、過去に学べばこの様な人災(そもそも地震大国にこれほどの原発を作る事自体、おかしいと私は思いますが)を防ぐ事ことは出来ていたのではないでしょうか?
まるで自然災害の様に言っている事に違和感を感じました。

バリから戻る飛行機の機内誌の表紙に「放射能が来る」という言葉がありました。
来るも何も、今、放射能に汚染された地域の中にいる人が存在するってのに、、、、
それは、「東京」という離れた場所で編集をする人が選ぶ言葉の様に思え、そこにもとっても違和感を感じました。


帰国して色んな人と話すうち、「共感する」という事について考える様になりました。

人に苦しみ、痛み、哀しみに共感出来る能力は、人間の持つ素晴らしい能力だと思いますが、恐怖心、罪悪感は、入って来る情報を歪ませ、不要な行動を生み、何より負のエネルギーを生みます。

この様な大惨事になり、犠牲になってでも被害を最小にとどめようとしている人が居てくれる中、私は東京で殆ど普段と変わらない生活を送れています。

いつもと変わらず、洗濯が出来ること、電車に乗れること、お湯が使えること、こうしてブログが書けること、ご飯が食べられること、、、
それは、涙が出るほど感謝をするべき事の様に思います。
「感謝をする」
それもひとつの共感だと思います。

生きているものには、直接の被害者ではないものには、その努めがあると思います。

私は私の事をちゃんとやり、必要なものが必要とする人のもとにちゃんと届けられる様、物資、お金が回るように、日本の経済活動が普通に戻る様に、元気でいる事が私の努めかと思います。

ではでは、また。










   

JALのマイルで出来る義援金寄付

一口7500マイルで支援が出来ます。
http://www.jal.co.jp/shien/
12000マイルあったので一口寄付しました。

JALのマイルはバリへ行ったの以外はツアーで使ってたまったものなので、そういう意味ではライブを企画、制作して下さった方々、ライブに来て下さって方々がいてたまった様なものです。
みなさまのお陰で寄付出来ました。
有り難う。

   

アースデー東京で始めた支援

宮城県石巻にトラックで支援物資を運ぶ予定でアースデー東京が下記の物資を集めています。
くれぐれも注意事項、締め切りを守って、余っている方は是非、ご協力下さいませ。
宜しくお願い致します。


お疲れさまです!引き続き、石巻への救援物資のお願
いです。

1)ロウソクを使えず、暗闇の恐怖や不安で夜を過ご
されていると聞きました。
そこで「電気ランタン(予備の電池つき)(中古でも
可)」もしくは「ソーラーランタン(中古でも可)」を
お持ちの方はぜひ分けてください。

2)被災地の非常に悪い衛生面で、特に女性の方々か
ら要望があります。
「ウエットティッシュ(新品)」をお持ちの方は、ぜ
ひ分けてください。

3)支援活動や復興作業などでケガをされる方々が多
いです。
そこで「絆創膏(新品)」「包帯(新品)」「ガーゼ (新品)」「消毒液(新品)」「風邪薬(新品)」をお持ちの方は、ぜひ分けてくだ
さい。

4)水道も出ない状況なので、災害地での飲料水は、
とっても貴重です。
けれども女性は髪を洗いたい。
そこで「水なしシャンプー(新品)」(普通のシャン プーは不可です)をお持ちの方はぜひ分けてください。


ご協力できると言う方は、
3.26(土)15:00まで必着で、以下の住所までお送りください。

何卒、よろしくお願いいたします。

〒105-0011東京都港区芝公園4‐2‐8 東京タワー1F内
「アースデイ東京タワー・ボランティアセンター(準備室)」

   

帰国しました。

久しぶりに長期間 バリへ行き、毎日毎日、ひたすら踊り続けて
自分だけの時間がある幸せを満喫している頃、現地の友人からの電話で今回の地震の事を知りました。

インドネシアでも、連日、被害の状況や原発の爆発事故など報道されていたので、だいたいの事は解り、事態の深刻さと、直後は旦那くんの施設や家族とも連絡がとれなかったので、一瞬、帰国するべきか悩みましたが、残る事に決めました。

毎日、朝と夜、部屋の中で、時々お寺でお祈りしていました。

平穏が戻ること
必要なものが必要とする人の元に届くこと
日本人が心を合わせてこの困難を乗り越えられること


被災地の方でもしもネットが使える様な状況ならば、足りないものやケアーをして欲しい事があれば、是非、寿[kotobuki]のサイトの掲示板も利用していただけたらと思います。

亡くなった方のご冥福と被災された方に平穏が戻るよう、心が癒されるよう お祈りしています。

バリで沢山、いいパワーをもらいました。
日本でこのパワーを活かしていいエネルギの循環が出来る様な事を沢山やりたいと思います。


今回は3月5日が『ニュピ』というバリのお正月で初めて体験しました。
その翌日、先生の住むバトゥアンという村で儀礼があり、女性が踊る奉納舞踊が面白いでの観においで、と誘って頂き観きました。
延々とひとつの踊りを2時間近くかけて、村人が踊っているのを観ていたら先生に「交じって踊れ!!」と言われ、見よう見まねで踊らせて頂きました。
初めてバリのお寺で踊らせて頂きました。
ナマのガムランが本当に気持ちよくて、それは、海も越えて全てを越えて人も動物も全て、皆、ひとつに繋がっているという事が目の前に絵巻の様に現れて来て、その絵巻に描かれている道を皆で前進している様な感覚でした。
それは、不安のない、生きているという事、それだけで幸せという様な、そんな世界でした。

あの気持ち、忘れたくないなぁ。


最後に踊ったご褒美に、お菓子を頂き、その日は先生のお家に泊めて頂き、ウブドとは違う夜の虫や鳥の声を聞きながらウトウトしつつも、興奮して眠れませんでした。

またバリの話も折をみて書きます。

ではまた。

20110323-110306_2352~01.jpg
(お寺で戴いた黒米にやし砂糖の蜜をかけたお菓子)