Archive for 2010年01月

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毎日、毎日ワッフル!!

最近の朝食はワッフル。


例のマクロビオティックのレシピで卵、砂糖、バターなしで、全粒粉と薄力粉、そして、そば粉や玄米粉、コーンミールなどその日の気分で変えてみる。
そば粉は万能くんで、ワッフルやパンケーキなどのお菓子も美味しいけどポタージュスープを作ってみても美味しかった。
最近、そば粉もヘビロテですな〜

何故突然ワッフル作りに目覚めたかというと、かつて愛ちゃんというすんごく素敵な女性が吉祥寺と西荻窪の「梅田洋品店」で玄米粉のワッフルの自転車販売をしていたんだけど、それがむっちゃ美味しくて、美味しくて、大好きだったんだけど去年の夏、ほかにやりたい事がみつかってワッフル屋を廃業。
そんなわけで、あの美味しいワッフルが食べたい〜〜〜〜〜〜と悶絶し、自分で作るしかないわなと思い毎朝しこしこ作ってます。

でも、全然、愛ちゃんのワッフルみたいにならん!!
愛ちゃんのはイーストや酵母も入ってないのにふっくらもちもちの食べ応え100%の、あれはもうおやつ用ではなく1食に匹敵するボリューミーだったね。
そして、粉や豆乳の甘みがふんわり。
う〜〜〜〜〜ん、ハラがなるわい。

愛ちゃんが廃業する時にレシピを聞いたら「あれは、何年もかかって作り上げたレシピだから、いくらナビィさんでも教えられないよ〜」と言われ、うううううううむ、んじゃ〜うちも何年もかかって作り上げねばなるまいと思い、修行僧の様に作ってます。


入ってる素材は殆ど同じ(愛ちゃんは砂糖を使ってた)なので、あとは配合の問題と焼き方の問題だはず。

1週間作り続けて、今日、やっと、外側ぱりっと中もっちりに近いのが出来た!!
今日のは強力全粒粉、薄力粉、玄米粉、4・4・2で作ってみた。
美味しかったけど、あのもちもち感はないなぁ〜〜〜〜

旦那くん、毎朝大量の野菜とワッフルの朝食でどう思ってんだか知らないが、うちは今後も作り続けるぜ〜〜〜


先日の『ニライカナイ』での「さよならヨースケライブ」にお越し下さった皆様、有り難うございました。
ヨースケは『ニライカナイ』を辞めて吉祥寺で自分で店を開く事になってるらしい〜
セクハラ店長、略してセク店と呼ばれていたので(ミーツーニーニーにだけだと思うが)新しいお店の名前を勝手に考えてあげた。
『スナック セクテン』
ヨースケ喜んでいたけど帰り際に新しいお店の名刺をくれたらお店の名前『BAOBABU』だった、、、
『スナック セクテン』じゃ〜〜ないのぉおおおおおお?????


ではでは、皆様、今日は雨らしいので寒さに気を付けて下さいましよ〜

   

それって?????

今日、お昼ご飯のあと、旦那くんとゴロゴロしながらテレビを観ていたら、タイガーウッズがセックス依存症の治療で入院しているという新聞の情報を放送していた。
その中で、治療の経過で「セックスをすると怖い目に遭う(痛い目だったかも)」という事を教え込むうち、セックスの事やエッチな考えると反射的に罪悪感を感じる様になる、という電気ショック治療があるという情報も流しておりました。
お〜〜〜〜〜〜い、それって非人道的なんじゃないのぉ?????
治療が終わって、その治療を受けた人って普通に暮らしていけるんだろうか?


随分前に同じ様な悩みを持つ人に会った事がある。
友達の友達という少し遠い関係だった。
その頃はこんな療法があるって事自体が知られてない頃だったので、彼女はとても苦しんでおりました。
詳しい事情や深いココロの中の事が判らないうちから見たら、ただのセックス好き、もしくは寂しがりやくらいにしか思ってなかったけど、彼女を良く知る友達に聞いた話では、そんな自分への嫌悪や罪悪感がものすごく「時々死にたくなる事があるらしい」との事で、改めて「そりゃー大変だな〜」と思った。

彼女は随分小さい頃に両親が離婚し、母親は生計をたてるために水商売というか、かなり身体をはった仕事をしていたらしく、いつも一人でいるか、知らないおっさんと母親の3人でいるかだったらしい。
思春期の頃、父親に1度会ったけど、とても迷惑そうで傷ついたという話をしてくれた事があったんだけど、友達から彼女の悩みの深さを聞いた時、彼女がしてくれたその話と結びついた。

寂しくて泣いていても誰も抱きしめてくれなかったから、誰でもいいから抱きしめてくれる人を求めていたんだな〜と思う。
だけど、誰も彼女の中の子供をココロからぎゅっと抱きしめてはくれないので、次から次へと相手を探してしまう。
その虚しさは彼女自身が一番良く判っていたんだろうな〜だから苦しんでいたんだなと思う。


その後、全く会う事のない彼女はどうしているんだろうか?
ふっと、タイガーウッズのニュースを観ながら思い出した。

ウッズも、あれほどの富と名声を得、家族がいてもセックスで埋めなくてはいけない空洞がココロにあるんだろうか?



生まれ育った環境を変える事や、振り返りたくもない過去を消すは出来ないけれど、『今』が幸せで「生まれて来て良かったな〜」とほんわか思える時間があれば、過去も何となく楽しかった事が倍増して思い出され、楽しかった事にねつ造出来るはずと思う。


オノヨーコの新刊を買うつもりが友達が貸してくれたので読んだ。
とっても勇気が湧いて来る名著だと思う。
ウッズにも読ませてあげたい。


今あなたに知ってもらいたいこと
オノヨーコ著


   

夜が明けたら〜

一番早い汽車に乗るから〜♪
浅川マキさんが亡くなった。

浅川さんの歌を知ってる人は「初期の寿[kotobuki]はコピーしてました」ったらびっくりするだろうけど、「カモメ」とか「不幸せと言う名のねこ」とか「夜が明けたら」など数曲をコピーしていました。
かっこいい人だったな〜と思う。
ご冥福をお祈りします。


今日は誕生日。
お友達からお花が届いたり、近所の韓国料理のお店でご馳走になったり、メール沢山もらったり、、、
皆さん、有り難うございます〜


子供の頃はこんなに長生きするとは思ってませんでした。
漠然と30歳くらいで死ぬんじゃないかと思ってました。
根拠なし。

せっかく根拠なしの寿命より長く生きてるんだから人生を楽しんで、いいうたを歌い、踊り、いっぱい愛し合いながら生きたいと思います。


去年、韓国に行ったくらいからなんとな〜〜くココロに変化が表れて、旦那くんと2人暮らしになって生活も変わって、年が明けて何やら大きな変化がやって来た!!!
「ビックウェ〜〜〜〜〜〜ブ来たど〜〜〜〜〜〜〜」って感じがビッグウェブのくせに静かにフツフツしてます。
夜が明けたんやね。


旦那くんといると本当にイライラするし、すんごいヒステリーも起こすし、ヒス起こすとどっと疲れるし自己嫌悪に陥る。
けど、この間、夜、眠る前に、「こんなうちも、こうして旦那くんに許されて毎日過ごしている」って事に気が付きました。
旦那くんがキィ〜〜〜〜〜〜〜〜ィとなって、うちもキィ〜〜〜〜〜〜ぃとなって、大ヒステリー大会になって、うちはその後、数時間、下手したら何日も落ち込んで、でも、また同じ様にヒスにヒスで対抗したりして、また落ち込んで、、、、、
でも、旦那くんは、そんな大会のあとも疲れもみせず「ご飯まだかな〜?(と言って様に聞こえる)」とキラキラ子供の様な目でうちを見つめたり、目が合うと「ふふふ」とか笑ったり、パズルに熱中したり、、、全然引きずってない!!!!!
怒りたい時に怒って、「何で今、笑えるんだよ???」って時でも笑いたければ笑い、あるがまま。
こいつ、人生の達人????

そんな事を思っていたら上の行の様に「あぁ、うちは毎日、毎日、瞬間、瞬間に許されているんだ」と気が付いたわけです。
有り難や〜〜〜〜〜〜

して、多分、自覚なしだけど、うちも旦那くんを許している。
だから、一緒に居られるわけで。
お互い「許し、許され」毎日が過ぎているんだね。

あとは、ヒスを起こす自分を許すだけ。
自分を許さないから引きずるんだよね〜きっと。


それと収穫もうひとつ。
キーキー、ヒスを起こしていたら、メーターが振り切れたのか祭りの後なのか「あれ?そんなにヒス起こすほどの事?」と、すんごい冷静になった瞬間がありました。
うちにとっては意味がないように思える事(多分、たいていの人にとってもだと思うが)も、今の彼にとっては意味があり、それを充分にこだわる必要があるんじゃないか?と思った。
こだわって味わって味わい尽くさせてあげればいいんじゃないかと、そんな風に思いました。
どうしたって、うちは理解出来ない事だからね〜
旦那くんの事は本人にお任せ〜でいいのかな〜と。


身体も大きい、重い、して、右手が動かない、右足の動きが悪い旦那くんのヘルプは本人の協力が得れないと本当にキツい。
想像してたより10倍はキツかった。いや、そりゃ〜大げさだな、2倍かな?
出来れば手が3本になりたいし、分身の術とか使ってうちの人数を増やしてぇええええとか真剣に思う。
ただでさえ、キツいんだから感情面まで厳しい状況に自分で追い込むのはしんどさ倍増だからやめよう〜と思ったのでした。


ところで、誕生日なんだから自分の好きなケーキを焼くぞ!!と思って、足立区のFさんからリンゴを戴いて以来、ハマっているリンゴケーキを焼いてみた。
今回こそ、黄金レシピ!!と思ったけど、う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、美味しいのか美味しくないのか?
どうなんだろう?これって味だった。
また研究しよう。


(ケーキはともかく、お豆腐と豆乳、てんさい糖で作ったホイップクリームはめちゃウマでした)


ではでは、みなさま。
長いブログを読んで下さり有り難うございます〜
明日は今年初!!旧正月ライブのリハで皆と会えます〜楽しみ。
ではまた、ライブで会いましょう〜

   

広島に行ったんじゃ〜

14日、父の仕事の関係の会社の方達の新年会に招かれて歌いに行って来ました。

主催の方に散々美味しいものをご馳走になり、実家にも帰り、両親、叔母、そして90歳になる祖母にも会え、嬉しい、楽しい、美味しいの3C祭りの2日間でした。
Sさん、どうもお世話になりました。
有り難うございました〜

広島駅前のホテルに5時頃集合だったんだけど、飛行機がちょうどいい時間に着くのがなく、3時前に到着。
とにかくお腹がすいた我々2人は駅ビルの「みっちゃん」でお好み焼きを食べる事に。

(ふぉ〜〜〜〜〜〜ボリューミー)

そして、やっぱり旬の牡蠣は食べにゃ〜いかんじゃろ、という事で「牡蠣焼き」もオーダー

(海の味がする、とヨシミツ談。どうせなら生や殻付きも食べたかったのぉ〜)

本当に久しぶりに地元広島でお好み焼きを食べたけど、そのボリュームの多さにびっくり。
ライブが終わって9時過ぎてもまだ胃の中を占拠してました。
しかし、そんなボリューミーなもんを小学5年生の頃にはぺろりと食べてたのかと思うと、それにもびっくり。
うちとニーニーは最初の勢いは3分の2を食べた所で終わり、最後は二人とも無言で食べてました。


その後、We Love ドトールの我々は広島駅構内のドトールでドトリング。
うかつにも歯ブラシセットを忘れてしまったわたくしは、ニーニーをドトールに置き去りにし、ドラッグストアーを求めてふらふらと旅立ちました。

ドトールは地下にあったのですが、エスカレーターで地上に上がると、そこは、子供の頃に見慣れた駅前の風景とは全く違う広島駅前があり、しばしその光景をぼ〜〜〜〜〜っと見ていました。

うちが東京に出て25年の間、徐々に再開発やらなんやらで変化しているのは知ってはおりましたが、新幹線口や飛行場に向かうバスの乗り場は駅ビルを挟んで反対側なので、最近はそちら側の景色を見る事がほとんどありませんでした。


うちが子供の頃の駅前は、路面電車やバス、タクシー乗り場、そしてその向こう側は、今は「福屋」というデパートが出来ていますが、パチンコ屋、果物屋さん、『カレーのオアシス』などがならぶ商店街でした。
その頃の広島駅前は、原爆投下後に大慌てで復興し建てられすでにぼろぼろになった建物と、新しく建てられたものとがごちゃごちゃと建ち並ぶ、今思うとそれはそれは、アジアな町並みでした。

そして、その商店街の裏手の川沿いにはいかがわし〜〜〜〜〜〜「お父さん、あれは何するお店?」と聞こうものなら「見んでもええ!!」と怒られる様な、エロエロなお店も並んでいましたし、ちょっと離れた所には在日朝鮮、韓国人の住むバラック建ての集落があり、その様な光景はもう滅多に見る事はなかったのでやはりどきっとしたものでした。

中学生になり、あんなに出来らんぬ〜だったうちも、夏休みは駅前の塾に夏期講習に行ったり、高校生になったらバンドの仲間と怪しいネオンギラギラの街角のスタジオで練習したりと、その周辺近くに行く事が増え、大人には「行ったらだめよ」と言われてはいるものの、自分の住んでる熊野町(本当に自然しかない町よ〜〜〜)にはない光景にドキドキし、好奇心でいっぱいのうちは「あそこは何があるんだろう?」とネオン街に入り込んで、厚化粧のおばちゃんに「子供の来る所じゃないわいね」と怒鳴られてみたり、やくざのおっさんに威嚇されてみたり、何故かコーラをもらったり(バンドのメンバーと「覚せい剤が入っとるかもしれんけん、飲まんとこーや」と捨ててしまった。すまん、おじさん)と、色々ありましたな〜としみじみ。
ごちゃごちゃと猥雑だったり、ちょっと危なかしい光景の中で、ギラギラとイキイキと生きる人達の生活の匂いがありました。
そして、何故か、その匂いがうちは好きでたまらなかった様に思います。


寒い1月の風に吹かれながら、目を閉じるとその頃の景色がイキイキと甦って来ましたが、目を開くとその様な景色はどこにもなく、ツアーで訪れる日本中の、どこにでもありがちな駅前の光景が広がっていました。


あの厚化粧のおばちゃんも、やくざのおっさんも、朝鮮、韓国人集落に住んでた人達も、『カレーのオアシス』のおじさんも、みんな、みんな、どこへ行ってしまったんだろう?
そして、あの、昼間なのに薄暗い世界に充満していた匂いも消えてなくなってしまったんだろう。

二度と会えない人たち、二度と会えない光景、二度と感じる事の出来ない匂い。

ライブの前に、何とも切ない様な寂しい様な気持ちになったのでした。














   

マニフェストって何だろにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜????

う〜む。
選挙前は、海外移設、もしくは県外移設と言っていたんじゃ〜なかったのか???
普天間基地の移設問題。

昨夜、小沢一郎氏が「下地島には滑走路があるだろう」と言ったとかで平野官房長官が視察に行くらしいとのニュースを聞いた。

下地島、宮古諸島ですよ〜
沖縄県内ですよ〜
いくら東京よりフィリピンが近いったってフィリピンじゃ〜ないですよ〜


沖縄県民の負担軽減と言うが、強いられてる負担は騒音問題だけじゃない。
環境破壊だけでもない。
「基地は必要ない」と思っているにもかかわらず自分達の払った税金の一部が『おもいやり予算』となり、基地を存続させ軍事演習を支える事となり、「戦争」を支え、「殺人の加担」を強いられている事が辛い、そう思っている人に、うちは沖縄で沢山出会った。
それは、日本にいる納税者は同じ状況にいるんだけれど、身近に基地がある事でよりそのお金の流れがダイレクトに見えるのは沖縄をはじめとする、基地周辺に住んでいる人達なんだと思う。

本当はうち達も、自分達の暮らしを支える為に納税しているにも関わらず、もれなく全員、正義の名の下の殺人に加担させられているわけです。
だから、普天間の問題は日本の納税者全員の問題なんだと思う。


でも、民主党が悪いのか?と言えば、結局は今までこの問題を全く解決しようとして来なかった自民党の負の遺産の処理を民主党が、今、やっと手を付けたというだけの事。
10年以上、「辺野古の建設ありき」でお金ばらまいたり、そんな事しかやって来なかった問題を、根本から見直そうってんだからそりゃ〜大変な事だとは思う。

が、マニフェストって何だろ???
何なんだろうにゃ〜〜〜〜
ここまで来たら、もう公約なんて、ぶっちゃけ守んなくてもいいじゃんって思ってのかなぁ?
(だいぶマニフェスト違反しとるもんね)

普天間の問題以外にも、うちが知らないだけで、マニフェストにその問題の解決が挙げられ、希望を持ったって人は日本に沢山いるんだろうなと思う。
それも「圧勝」のひとつの要因、いや〜大きな要因だと思う。

「最低でも県外移設」という言葉の重み、沖縄で何十年も「基地はいらない」って闘って来た人達、闘わなくてもそう願って来た人達の身になって感じてみて欲しい願う。











   

宣伝2つ

今年も売りま〜〜〜〜す。
バリ島養護施設支援カレンダー。
昨年は、年明けから三月も過ぎての販売だったのに多くの方に購入頂き本当に感謝です。
今年も、わたしくめが、、、、、又しても動き始めるのが遅くなり何と1000円のところ500円と半額で販売という事になりました。
有り難う〜AJAさん〜
ライブで販売しますので、よろしかったら是非是非、お買い求め下さいませ〜
詳細は『バリ・スカラシップの会

9月にコーラスのはるちゃんとパンダねーさんがバリの孤児院に訪問ライブに行って、その報告会で踊らせてもらってその模様の映像を観たら、いつもウブドに居る時いつも通っている場所に孤児院があり、びっくり。
現代バリ事情をあんまり良く判ってないのね〜と反省。




それと、もうひとつ、度々このブログにも名前が登場してます、寿[kotobuki]ライブ盤DVDの映像監督キム・スンヨンがインドにあるチベット亡命自治区『ダラムサラ』へのスタディーツアーを企画。
参加者を募集しています〜
うちも、行きたい〜〜〜〜ところだが、、、、出発日が王子のハイビスカスでのライブ、、、、、しょぼん。
赤嶺さんをダライラマと思って歌うか〜ってそりゃ〜無理だろ。
詳細はスンヨンのブログを観て下さい。

3月10日は中国の侵攻に対してチベット人が蜂起した日という事で世界中でフリーチベットのデモが行なわれる。
このスタディーツアーではダラムサラで行なわれるデモにも参加する予定だそうです。
最後の日はデリ−観光もあります。
興味と時間とお金のある方、是非行かれてみてはどうでしょうか?
もしくはご友人などにお知らせしてみて下さいませ〜
きっと、いつもとは違う、特別なダラムサラになっているのではないかと思います。

ではでは、宣伝ふたつ。
どちらも宜しくお願いします。

   

テレビの思うつぼ〜〜〜〜〜

昨日、バタバタと用事を済ませ、旦那くんの寝静まった夜9時過ぎ。
テレビを付けたらいきなり、むっちゃ太った女の人が500gの明太子スパをモリモリ食べてる姿が、、、
「なんじゃこりゃ?」と思ってそのまま観てると、その番組は体重が100キロを越えた女性が「痩せていたあの頃に帰りたい」とダイエットを敢行、痩せたぜ〜〜〜ひゃっほう!!って〜のだった。

で、その彼女は10代の頃は55キロだったのに、なんとその番組の企画に参加した時は190キロ。
10年くらいかけて135キロ増。
最初から観てないからよく判らないけど、多分1年くらいで100キロまで痩せてた!!
すごい〜90キロ減。

その彼女以外にも痩せた女性が数人出演していたけど、体重90キロ後半のB子さんって人が出てる時、「190キロってたらこのB子さんほぼ2人って事?」って思ったら、恐ろしくなりました。
そして、痩せた目方もB子さん、1人分、、、、

でも、その190キロの彼女はなんちゅうか、とっても愛らしい人で観てたら「頑張れ〜〜〜〜〜」ってココロの底から応援し始め、すっかりテレビの思うつぼ、、、、、
最後まで観ちまいました。


しかし、、、、、100キロ越えた人達の食生活は凄かった。
うちも自分で「良く食べるな〜」と思うけど、全然、赤子の様なもんですよ、うちなんて。

唐揚げを一回に800gぐらい(あれ?1キロだったかな?)揚げて食べちゃう人や、姉妹ふたりで豚しゃぶ5キロとか、、、
それって、何?給食の仕入れの話???

司会のさまーずが「すごいね〜胃が丈夫!!」って言ってたけど、胃腸もだけど、うちが気になるのは一体食費はひと月どんなよ?って事。
皆さん、一体何の仕事してるんだろ?


そんなこんなで昨日はほかにやる事もあったのに、テレビ会社の術中にハマってしまったのでした。





   

元旦キラキラ〜

皆様
明けましてお目出度うございます〜
日本各地は大雪やらで大変な年明けだったみたいですが、東京、杉並区阿佐ヶ谷はちょっと風は強かったものの穏やかなハレの日となりました。

旦那くんが、いつもに増してイライラヒステリーがすごく、こちらは、お正月のためにここ3日くらい忙しかったので疲れも絶頂。
付き合い切れない。
あぁ、ひとりになりたい、、、、と思って寝室に使ってる部屋に入ってみたらば、あ〜た!!!!
映像監督キム・スンヨン妻のソフクがくれたサンキャッチャーが部屋の壁一面にキラキラ〜〜〜〜



写真じゃ〜ちっともその美しさが伝わらないのが残念で仕方ないけど、それはそれは、天空の星達の様な輝き。
一瞬にしてココロが6畳一間から宇宙へと広がりました。(行った事ないけどね)


大晦日は強風で空が洗われて満月で本当に夜空が美しかった。

夜9時過ぎくらいに友人が訪ねてくれて、そんな時のためにキープしておいた『井筒の生ワイン』を開け、旦那くんも参加して(旦那くんはリンゴジュース)新年を迎えました。

友人をお見送りをした時、あまりの空の奇麗さに寒さも忘れて一時、吸い込まれる様に見入ってました。
寒い中、色んな事を考えた。


2008年、2009年と必死になって、自分の事はそっちのけで旦那くんの事を第一に、必死のパンチでやって来た様な気がするが、それもそろそろ終わりにしないといけない気がする。

2008年に息抜きと、一人になって色々考えたいと思って1週間バリへ行ったけど、確かに息抜きにはなったけど「一人で楽しんじゃ〜旦那に悪い」とか「何か起きてなければいいけど、、、」としょっちゅう携帯の着信をみたりとかしていた。
一人で行くのが怖くて、友達も誘った。
(今思うと、そうだったのよね)
今となっては、あの時は仕方なかったとは思うけど「それは違うだろう、ナビィ」と突っ込みをいれたくなる。
全面的に手放しで「バリ」を楽しめば良かったのにぃ〜と思う。
まぁ、その事が今、こうして「何で楽しめなかったのか」という事を想う時間となってるのでプラスになってると思うけども。


「楽しめる」という事は生きる上で大切な能力だと思う。
うちは、その能力はある方だとは思うけども、やっぱりこの2年間「楽しんでいいのか?」という罪悪感の様なものと「いや、楽しんでいいに決まってんだろ!!」という自分とが常に闘っていたし、そして夫と楽しい時間を過ごしたいんだという気持ちも強かった。

だから、なるべく旦那くんの欲求を感じ取り、満たしてあげたい、楽しませてあげたいと思っていたけれど、それはそれで傲慢かつ大変ハードルの高い事を自分に強いていたもんだと思う。


人の事はどうにも出来ないのよね、、、、、、
人のココロを満たしてあげるとか、癒してあげるとか、喜ばせてあげるとか、、、、
そんな事はやっぱり人に「してあげる」事ではなく、自分が自分にしてあげれる事なんよね。

「自分の人生の中で、確かに2008年はキツい年だったけれども、それでも、私の人生は楽しいものだった!!」と死に際に思える様な生き方がしたい。

そして、「楽しめない」というのは、人のせいではないと思うので、今後は「楽しめる自分」を更に深めて行きたいと思う。


そのためにも、自分の中をちゃんと見つめて必要な時に必要な滋養を与えられないとな〜と思う。
2010年、巻き返しやで!!!
自分の人生を自分のチカラで切り開いて行かねば!!
そして、それが出来ない事を人のせいにしてるバヤイじゃ〜〜ない!!

元旦キラキラ〜
うちもキラキラ〜
ココロが自由である事を自分に許して、前進しますわ〜
これ、2010年新年の誓いにしよ〜。

ではでは皆様、2010年もどうぞ宜しく〜
またね〜