Archive for 2009年10月

RSS Feeds

新しい暮らし

今度の火曜日、27日から旦那くんとの二人の生活が始まるのだ〜ハムニダ。

この間、発熱、痙攣騒動で中断していた自宅へ外出をしてみた。
彼の様子をみて、やっぱり2階建てのこの家、車椅子を使えないこの間取りで暮らすのは可哀想だな〜とは思ったけど、先ずはここに戻ってから考えようと思う。


新しい身体
新しい能力
新しい暮らし

「私が出会って大好きになった彼とは別人の今の彼」と思うと切なくて苦しくて悲しくて、でも、彼は生きていて確かに、ここに存在しているのに、どうしても元気だった頃の彼に会いたくて沢山泣いたし、自分の運命を呪ったりもしたけれど、それが癒されたのはやっぱり、生きて、変化し続ける彼が傍にいるからなんだろうと思う。

無くなったものも沢山、
でも、新しくなったものも沢山。


この間、韓国に行った時、初めて来た何故か懐かしい国で、「うちは彼の一番の理解者になりたかったんだ」という事に気が付いた。

でも、うちが「理解してあげたい」と思っていた事の殆どが、うち自身が世間様に理解して欲しいと切望している「うち自身の問題」だった事に気が付いた。

よ〜〜〜〜〜〜〜〜く考えてみたら、彼がうちに何を望んでいるか、それが本当によ〜〜〜く解ったのは、ハラの底まで五臓六腑まで染み渡る程理解出来たのは、今年の7月の発熱騒動の時だったし、「お前さんの為なんだよ〜」と罵倒したり、なだめたり、すかしたりしながらやって来た事の殆どを彼は喜んでなかったし、、、、
理解者になってね〜〜じゃん。
して、「どうやら理解してあげれていない自分」を責めていたんだよねぇ、、、、


「理解者にならなくてもいい」と思った時の爽快感は忘れられない!!!
南山に登って、「うおりゃ〜〜〜〜〜〜〜ならなくていいんだぜ〜〜〜〜〜〜」と叫び出したいくらいの気持ちでした。


よ〜く考えてみたら、今の彼がうちに望んでる事は、元気だった時から変わってない気がする。
そう考えると、「な〜んで元気な時に優しくしてあげれなかったかねぇ」と自分の勝手さを責めたくもなるけれど、新しく出会い直しをしたんだと思えば気も楽。
ここから、信頼関係を深めて行って、夫婦になってくしかないよね〜
時間は戻らないんだから、、、、


介護疲れで殺人ってニュースを聞いたり、読んだりすると身につまされるし、「人に甘えられない、こんな怒りん坊のイラチのうちが、人のお世話なんか出来るのか、、、、」と不安になって、暗い闇の中にぽつ〜〜〜んと立ってる様な気持ちにもなるけれど、未知の世界への不安はつきものだし、この2年、旦那くんの事を通して、新しい自分と出会い培った智慧を信じるしかないわなと思う。
何度、不安になっても、この答えに行き着くので、これが真理という事なんでしょう。

して、多くの人達からのサポートがある事を感謝して、自分自身の一番の理解者である事と、のめり込みすぎない様にと旦那くんに怪我をさせない様に、の、この3点を気を付けて、やって行くしかない。

道は続くのだ〜


てなわけで、皆様。
うち自身の生活は変化しますが寿[kotobuki]とバリダンスは続けて行きますので、今後ともどうぞご贔屓に〜
ではでは〜またライブで会いましょう〜








   

息子部長de作戦会議

今日はスンヨン宅で、韓国ライブの上映会をしつつ今後の作戦会議を行いました。


先ずは韓国から帰国して以来、会ってなかったスンヨンと妻と四人でビールで乾杯。
会議のはずだのに…


その後、ヨン様推薦だったかプロデュースだったか上品なマッコリ飲みながら、スンヨン母の手作りのうんまいキムチを食べながら、妻の愛妻鍋を食べながらソウルをブラブラの映像を観る。

ちょうど一月前、たった一月前の事だのに、やけに懐かしい。
はぁぁ〜〜〜
楽しかったなぁ〜

なんかさ〜自分が現地の人とコミュニケーションをとってるのを映像で改めて観てみると、会話が成立してるのかどうなのか怪しいのに(いや、してないはず)欲しいものはキッチリ手に入れてるわけさ。
約20年前、初めてバリに行った時、日本人であれ台湾人であれ、会話が成り立ってなくても欲しいものを手にしてるのはいつも『おばちゃん』だ!と気づいた時を思いだし、
『あ〜そうか〜うちも、もう、、、そうなのか〜〜〜〜』と何となく目頭が熱くなりましたとさ。


ライブの映像はスンヨンが手持ちで撮ったのを中心に観たんだけど、カメラの内蔵マイクで撮ったとは思えない音質。
ナ〜イス!
ライブも改めて観たらいいライブだったしオーディエンスの表情もすごく良かった!
この映像が残せて良かったと思うんで、スンヨンとの再会に感謝感謝なのでした。


食後、スンヨン息子も参加して今後の作戦会議。


息子部長も、ウーとかダーとか積極的に自分の意見を述べてました。
有り難うございます〜


来年のライブDVDの製作、リリースが楽しみになって来ました。
皆様も期待してお金貯めて待ってて下さいなー
一人20枚くらい買ってみるのもいーんじゃない〜?
オホホー


ではではまたライブで会いましょう〜



   

秋のお薦め本

台風、相当でかかった様ですけど、皆様大丈夫ですか〜?
阿佐ヶ谷周辺は夜中は大雨、午前中は強風でしたけど、自転車乗れるくらいだったので大したことなかったんだはず。

久しぶりにお薦め本です。

うちのブログなんかで紹介したからってそうそう売れたりしないと思うが「ブログで紹介して下さいな〜」と本を下さる方が最近おりんすよ〜

扶桑社のKさんからもこの本が送られて来ました。沖縄繋がりという事でしょうかね〜?


西表やまねこ診療所
岡田豊 著  扶桑社


この本を書かれた岡田さんは、大学病院の外科医として忙しい日々を送りつつも違和感を感じ「もっと患者に近い医療現場で働きたい」と望む様になり、そこで選んだのが「へき地の診療所で働く」という事だった。
職場を探してめでたく西表島の診療所に勤務となった。

大学病院の様な高度医療中心の職場なら必ずあるであろう医療設備もなけりゃ〜、どうにかある設備も台風で停電になったら使えない、そんな職場で、しかも外科医一筋でやって来た岡田さんの患者は、老若男女、島人から観光客。
急性アル中から脳卒中から、虫さされまで、誰が何時、どんな状況でやって来るかわからない。

専門分野一筋でやって来た人が、突然、総合医として働くっていうのは、それはものすごく勇気のいる転職だと思うし、この1冊の本の中には書き切れない経験や想いもあると思う。
「患者に近い現場」という理想郷にたどり着いたけれども、そこには「ここでは治療は不可能」というへき地診療所の現実と、日本の現代医療の闇の様なものにぶち当たってもいて、その時の葛藤や無力感などはここに書かれている言葉だけではないであろうな〜と想像する。

そんな8年の格闘と島の人達との交流の日々が、まるで風が吹くかの様にさら〜〜〜っと書いてある。
魅力的な一冊でした。


今の日本は昔だったら死ぬしかない病気も医療技術発達のお陰で延命が出来る様になり、でも、そのお陰で、難病を抱えたまま生きる事を余儀なくされたり、後遺症や合併症など、病気を複雑にしているし、それとは別に化学物質過敏症や太陽の光に対する過敏症など普通に暮らす事が困難な人もいたりして、どんどん高度医療が必要な社会になっていると思う。
確かにそれは必要だとは思うんだけど、それ以上に必要なのは「安心して診てもらえる」という事の様な気がする。

この西表島の様に沖縄や各地方の離島やへき地には、高度医療を必要としていても受けられない人は沢山いるはずだし、沖縄の場合は那覇に行けば治療が受けれるんだろうけれども、それに伴う金銭や身体のリスクは大きいから、離島だろうがへき地だろうが都会だろうが、そういう医療を必要としている人がいつでも受けられる様な制度は必要だと思う。
でも、「病気になっても安心して診てもらえる人が傍にいる」と思える事も必要な事なんじゃないかと思う。


岡田さんの場合、元々素養があったのかもしれないけれど、「安心して診てもらえる人=岡田医師」と島人に思われる様な医者になったのは、やっぱりこの『やまねこ診療所』の環境と島人が彼をその様な医者に育てたんじゃないかと思う。

高度医療が充実している環境作りも重要だと思うけれど、そのような人材の育成、医療従事者の教育も本当に重要な課題だと思う。

どうでもいい話だけど、うちが男に生まれたらやってみたかった事のひとつ「棒術」など島の芸能を散々学べてる事がうらやますぃ〜〜〜〜〜〜



チベットチベット
金昇龍(キム・スンヨン)著 河出書房新社



寿[kotobuki]の結成25周年記念のライブDVDの映像監督、スンヨンの書いた本です。
身内を誉めて、最終的にDVDの宣伝なんじゃ〜ないのぉ?と思われたらシャクだが、いい本と思うのでお薦めします。


元々この「チベットチベット」は映画になってて、その映画とリンクした書き下ろしの本なんだけど、映画だけでは感じられないスンヨン「素」が色んな意味で感じられて、彼を知ってる者としては面白かったけれど、知らない人でも充分目からウロコが飛び出る様な本なんじゃないかと思う。

内容がバレたらつまんないので細々とは書きませんが、チベットの現状を撮影するための2年間の放浪の旅の最後に彼が「在日韓国人でいる事をゆっくり味わおう」と思うに至った変容ぶりや、そうなるまでの過程や人との出会い、感情の振幅など、民族とか国家を越えて「人はどう生きたらいいのか?」という問いにひたすら全力で向き合ってる感じが、いろんな人にとっていい刺激になる本なんじゃないかと思う。


この本を出版する事や映画制作を通して彼が願っている事は「チベット民族と国家の存続」なので、
チベットの現状や、人々の想いは丁寧に書かれているし、チベット人に寄り添おうする彼の行動が書かれている事で、例えば亡命するチベット人がいかに死ぬ思いで決行しているのかが良くわかるとか、など、チベットの問題を書いた本としても、とてもいい本だと思う。
うちも、彼の様に自分の身体でチベットを知ってるわけではないが望んでいる事は同じだし、それは中国人だけが意識が変わればいいのではなく、中国を取り巻いてる世界が変わらなければと思うので、先ず、知って感じて、自分の出来る行動を長く続ける人達が増えて行くためにも、多くの人に読んで欲しい一冊です。

そして、もちろん色んな感情を持った在日がいると思うけれど、「こんな風に感じて暮らしているんだ」って事を知れる本でもあります。
色んな事を言う人もいますけど、現状は在日韓国、朝鮮人をはじめとする多くの「日本人以外」の人達が暮らしていいるのが事実で、その人達の語る日本も「日本の姿」
だから、日本人として彼らがどう日本を感じているかを知る事はとても大切な事だと思うので、この切り口からも読んで欲しい一冊。
お断りしておきますけど、誹謗中傷したりする言葉は全然ありませんので。
念のため。


そして、やっぱりこの本で一番「!!」だったのは、放浪の旅のはじまりと終わりに訪れた彼の故郷「韓国」でのエピソードだ。

大爆笑!!!


言葉で語られていないし、うちの勝手な思い込みだけど「オレって韓国人で良かったな〜」って思ってる気がする。
そんな感じがするから、すごくこの行が好きなんだと思うな。
なんていうか、大爆笑だから好きなわけじゃなくて、何か「希望」を感じるんだよね。


この間、スンヨン家族とソウルを歩いている時、スンヨン息子がスンヨン妻に手をひかれ、よちよちしてる姿を見て「ここは君の祖国だよ〜」って言葉が出て来て、自分の言葉に何故かすごく胸が熱くなって泣きそうになった。
その理由は全然、その時は解らなかったけど、この本に感じる「希望」をスンヨン息子に感じたんだと思う。


チベットの問題は大きい。
でも、人は必ず変われるし、人が変われば、選ぶものも変わり、社会も変わる。
そういう意味では人が生きているという事が「希望」であり、全ての「種」なんだと思う。



この2冊に共通しているのは「変容」
変容する男達とでもいいましょうか?
自分の身体を通して社会や世界の闇を知り、そこに関わる事で自身が変わり、多くの人を巻き込んでいるという点で二人の人生はとても似ていると思う。

そして、やっぱり、人は誰しも「やるべき事」があり、それは多分、「やりたい事」なんだろうな〜と思う。


うちも今、大きな夢がぽわん〜と膨らんでます。
その事を考えると、何やら目がキラリ〜ンとして来ます。
また、この夢に関しては書きますね〜
多くの人の協力が必要なので〜
フヒヒ〜


てなわけで、秋の夜長、「変容する男達、その自身の人生に対する愛と信頼」に関する(?)2冊の本。
読んでみて下さいね〜