Archive for 2009年08月

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明日は

選挙ですな〜

どこに、誰に投じるかを、決めてる人も
決まらない人も、自分の参政権を無駄にしない様に投票に行きましょうね〜


ところで、先日の25日、旦那くんが痙攣を起こし、今度は救急病院に搬送されました。
一時はどうなる事か思いましたが、今は回復して来ました。

この間は発熱、今月は痙攣、、、
心安まる暇もないよ〜〜〜〜〜と思って、かなりぐったりしておりましたが、「先ず彼が生きている事を感謝しよう」と思ったら、少し気持ちが落ち着き、
今は、彼は大変だったし、しんどかったかもしれないけど、お家に戻って2人暮らしになる前に、現在の彼の身体の事が知れて、ある意味良かったな〜と思いました。

脳の病気の人は「再発」「痙攣」「発熱」は特に注意しないといけないそうで、今まで大きな痙攣が起こってなかったから「この人は痙攣起こさないんだな〜」とたかを括ってましたけど、そんな事もなく、、、、、
起こす事があるって覚悟が出来た事は良かったし、今のうち看護婦さんから色々聞いて、勉強しよう〜と思います。


25日の「南ぬニライカナイ」にライブにお越し下さった皆様。
有り難うございました。
そんなわけで、ちょっといつもと違うライブにあの日はなっちゃったけど、皆さんからパワーを頂き、元気になりました。
本当に有り難うございました〜
して、猛烈に心配をかけたスタッフの皆様とニーニーにお詫びをです。
すいません〜〜〜〜〜〜〜〜
して、歌わせてくれて本当に有り難う〜
特によーすけ!!
あんたのお陰で歌い続けられました。
あの状況での勇気あるアンコールに感謝です。



ライブの翌日、旦那くんに会いに行って、ふにゃ〜としてる旦那くんの顔を見たら、何故か「今まで、うちがこの人を助けてると思っていたけど、本当はうちの方こそが助けられていたんだな〜」と思いました。
理由は全然解りませんが、、、、、

でも、彼が病気になってから、壁にぶち当たりながらも少しずつ「ナビィの本来の生きる道」みたいなものを発見し、歩き始めている気がします。
実は、そう仕向けているのは他ならぬ、旦那くんの様な気もします。
今回も、一瞬、「今度こそ危ないかも」という状態になったけど、生きて、また、うちに大きな何かを経験させてくれている様に思います。
そう考えると、なんて強い魂なんだろうか?と思います。

自分の方ばっかりが全力疾走している様な気になっていたけれど、「もらったり、あげたり」しながら、ちゃんと2人で歩いていたんだねぇ、、、、
すいません、、、


そんな言葉を彼にとつとつと語り「いや〜うち達ってナイスカップルじゃん!!」と言ったら、ニヤリと笑ってました、、、、、
これ以上ない満面の「ニヤリ」でしたわ。
はははは〜


8月ももうすぐ終わり〜
早いなぁ〜〜〜〜
来月5日は、ついに!!(涙)師匠の振り付けが完成した創作バリ舞踊を大船観音で踊ります。
いや〜めっちゃ面白いし、男ども、カッコいい振りになってますわよ!!
お暇な方、お暇じゃ〜ない方も是非来て〜〜〜〜
夜はニーニーのソロだすよん。
して、翌日6日は久しぶりに地元、阿佐ヶ谷「うねり亭」でライブです。
こちらも来て〜〜〜〜

ではでは、皆様
またね〜




   

これはニュースだす!!

のりぴーと押尾学ばっかりニュースにしてないで、これも大騒ぎして欲しい〜

諸宗教関係者が慰霊祭=米神父も参加−長崎原爆忌
(時事通信社 - 08月08日 23:02)

 爆心地にある長崎原爆落下中心地公園(長崎市松山町)では8日夜、仏教やキリスト教、神道など諸宗教の関係者による「原爆殉難者慰霊祭」が開かれた。式典には米国人神父らも参加した。

 長崎県の宗教関係者でつくる「宗教者懇話会」が主催したもので、今年で37回目。キリスト教の賛歌や神社の舞が犠牲者にささげられ、同懇話会代表の緇荘悌嗣氏が「どんな人間に対しても認め合い、理解し合うことが平和への道と信じる」とあいさつした。

 ローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長のジャン=ルイ・トーラン枢機卿は「8月9日の朝、死んでいった人の家族に慰めと、現在を生きる人に和解を与えてください」と祈りの言葉を述べた。

 式の最中には、爆心地上空に虹が懸かり、ため息をついたり、手を合わせたりする人の姿も見られた。

 また、カトリックの平和団体「パックス・クリスティ」に所属する米国人、ロバート・クッシング神父らも献花。同神父は取材に対し、「われわれは謝罪するため長崎を訪れた。原爆投下は必要ではなかった」とする一方、「米国ではわれわれは少数派にすぎない」とも述べた。 


これは、すごいよ。
全ての神は「分かち合い、解り合いう事を我々人間に望んでいる」とうちは思うので、そんなうちにとってはべりべりービック&びっくりニュースです。

最近、買った本で『聖地へ』という美しいフォトエッセイ集があるんだが、その中でウクライナの教会で牧師様が言った言葉がすごくで、この言葉がこの本の全てを語ってると思いました。
興味のある方、是非、買うもしくは図書館で借りるかして 是非、ご自身で読んでみて!!


ではね〜
ナビィ

   

日々のつぶやき

毎日暑いですけど、皆様いかがお過ごしですか?
先日、いつもライブに来てくれるSネーネーから頂いた「マンゴーカレー」をついに食べた。


タイ風と書いてあったので「やはりタイ米で食べねば」と思って、荻窪のタイ米を売ってるお店に寄ろう、寄ろうと思いつつ、ひと月くらいが経ち、ある日、外は雨、買い物もめんどくせーと思って、家にある五穀米で食べる事に。



うま〜〜〜〜〜い!!これうまいよぉ〜〜〜
ありがとう!!Sネーネー
っていうか、マンゴーの味、しないさ〜

あんまりにも旨いので、少し旦那くん(タイカレー大好き男)に持って行ってみた。
うちってば、かなり辛さに鈍いというか、辛いもの大好きなんで全然辛いと思ってなかったけど、無言で食べてる旦那くんの、額から鼻から汗がじんわり、、、、、
すまん、辛かったんだね。



本当は7月20日にこっそり3泊5日でバリに逃亡しようと計画していたわけさ〜オイラ。
知り合いが20日出発限定のワケありのチケットをかなり安くして3万円くらいで販売してくれるってんで、「ちょうど20日から5日間空いてるし、こりゃー行くしかないっぺな〜」と思っていたら旦那くんの発熱騒動で(感づかれたのか???)行けず、、、、

バリに行ったら、辛い辛い、焼き、もしくは揚げ魚をバリバリと喰ったるわい!!うひひ〜
と楽しみにしておったのに、夢破れて山河あり、、、、、、
あまりに残念で近所のタイ料理屋さんの「辛い魚」(名前が覚えられん)で我慢してます。



ある日鍼灸師のうしちゃんとこの店で食べるて以来、やみつきに。
「定食かい?」ってくらいの勢いで他のメニューに目もくれず、この魚とご飯を食べてます。
あぁ、しみじみ辛いものは旨いねぇ〜


今日は「ヤスクニ」イベント。
お越し下さった方々、有り難うございました。

冬ソナのキム次長役で有名になったクォン・ヘヒョさんと今年もご一緒しました。
歌は巧いし、何とも人柄が素敵〜
今年は疲れたので打ち上げは行かなかったけど、去年の打ち上げでは何とうち達のCDを買ってくれ、おまけに日本語で「サイン下さい」と言ってましたよ!!あんた!!
「冬ソナ」に全くハマらなかった寿[kotobuki]2名は、始め「キム次長」と聞いて「キム・ジチョー」さんかと思っていたくらい全く認識なかったのに、すっかりファンになってしまいました。
っても未だに観てないけどね、冬ソナ

何かでインタビューの記事を読んだら、どんな俳優になって行きたいか?という質問に対して「今、韓国では父親の威厳がなくなってるので、いい演技をし、いい仕事してる姿を見せる事で子供達に尊敬される人になりたい」と言っていました。
う〜〜〜〜ん、何か惚れます、こういう人、、、、

そう言えば、昔、寿[kotobuki]でベースを弾いてる三輪ちゃんの息子さんがライブに来てくれて「お父さん、かっこいい!!」って客席からかわいい声で言ってたなぁ〜
いい親子だぁ〜

ってなわけで、次のライブは横浜寿町です!!
三輪ちゃんも出るぜ!息子は来ないが。


ではでは、長々失礼〜〜〜〜〜
またね。
ナビィ

   

世界で初めての日

今日は8月6日
世界で初めて『原爆』が投下された日です。

広島は、夏休み真っ盛りのこの時期、8月6日は登校日だった。
暑い中、朝礼と同じ様に校長先生の話や被爆者の方の証言を聞いた。

64年前の今朝は、とても青い青い空が広がっていたそうで、そんな空の下で昨日や一昨日と変わらず新しい朝を迎え、まさか8時15分に原爆なんて新しい爆弾が落とされ、まさか自分の人生がこんな一瞬で終わってしまう事など想像していなかったであろう。

一瞬にして溶けて壁のシミになった名もなき人。
何が起きたか解らず、苦しんで苦しんで亡くなった人。
無数の無名の人達の苦しみや恐怖や無念が伝わって来る。

『そんな人達の魂はどうなってしまったんだろう?』
黙祷の間中、そんな事を考えて、夜が来たらそんな人達の魂が、呼べばこの小さい部屋いっぱいに集まって来そうで恐ろしくて、怖くて「天国で幸せに暮らしています様に」とひたすら祈り続けたのが、うちの8月6日です。


数年前、ピースボートの仕事でインドで行われた「8月6日 広島、長崎を忘れない会」に参加した時、広島から参加された被爆者の方が「こんな風に沢山のインドの人達が想ってくれた事、原爆で亡くなった多くの人達も喜んでいると思います」とおっしゃった時、歌う役目を頂いて参加した事で初めて「天国で幸せになっててくれよ〜」と願った人達に寄り添えた様な気がしたし、子供の頃からの祈りがやっと届いた様な気がした。


して、うちは、何故、寿[kotobuki]をやり続け、歌を歌い続けるのか?
何故インドでこの集会に参加し歌っているのか?
『自分の道』みたいなもの、それが全部、一瞬にして理解出来た。


うちはずっと、子供の頃に感じた「無数の無名の人達の苦しみや恐怖や無念」を忘れた事はなかったんだね。
うちの中にずっと彼らがいたんだね。



今日、8月6日は「多くの人が焼け死に、その後、今もなお後遺症で苦しむ人や、被爆4世、5世を生み続けている世界で初めて原爆が投下された」日です。
日本人としてその事を、どうか忘れないで下さい。

そして、多くの人が感じたであろう、恐怖や苦しみや痛みを、うちやあなたが、今後、決して味あわないために何が出来るかを、わずかな時間でも想ってみて下さい。

ではでは、またね。