Archive for 2009年03月

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7周年 ご卒業おめでとう!!



久々の大阪ツアーから帰って参りました。
出発前にブログ書けなかったんで今頃、23日の『吉祥寺ニライカナイ本家7周年ライブ』の事も書きます。

ニライカナイはお店が出来る前から、同系列のお店でライブをさせてもらったり、その頃ちょうど吉祥寺のGOKスタジオでレコーディングしたりしてた事もあって、建設中のお店を覗かせてもらって、お店で出すメニュー(ソバだけど)の試食したり、開店したらしたで、家に帰る前にお店に寄り、メニューにないのに、ソバによもぎいっぱい入れてもらって、その一杯で深夜まで居着き、そのまま朝まで寝てたりして、、、、、、
まるで、自分の家か店かの様な振る舞いのひどい客だが、何故かスタッフの皆々様と仲良くして戴き、今に至っています。
最近では一年に一回くらいしか行かないのに、「アニバーサリーには寿[kotobuki]」と言ってくれるのが嬉しいじゃ〜ないですか!!
有り難う〜
して、おめでとう!!
ニライカナイは、本当に料理が美味しい!!やっぱり「スバ」美味しかった!!
また行くさ〜今年はいっぱい行くさ〜ね〜

して、25日は京都の「ライトハウス」という視覚障害を持った方々の施設でライブをしました。

ライトハウスに通う訓練生の方から「『前を向いて歩こう』をクリスマス会で歌ったりして、皆大好きなうたです。3月の卒業式、終業式で皆に本物のうたを聴いてもらいたいと思っています」というライブ依頼のメールを戴き、この御縁が出来ました。

その方のメールの内容と、実際に打ち合わせをした職員の方の話で、その式は、中途失明された方々が、就労や日常生活を送るための訓練をし、その中の一部の方が卒業され、在校される方の終業式である事を知りました。

『今まで見えていた世界が病気や事故で突然見えなくなる』
というのは、どんな気持ちなんだろうか?
言葉では到底言い表せない深い哀しみや絶望を知ってる人に、寿[kotobuki]のうたが寄り添えるんだろうか?と一瞬ビビったりもしたけど、大丈夫、きっと楽しんでもらえるはず!!と思ってライトハウスに乗り込みました!!(そんな大げさなもんじゃ〜ないが、、、、)
式が終わった後の茶話会から参加させて戴き、寮生の卒業される方々のご挨拶を聞かせて頂きました。


病気や事故で、突然に視力を失った方、少しずつ見えなくなって行く方。
『失明』と言っても色んな状況があり、色んな心情がありました。
この施設で、杖を使っての歩行や、点字を読む訓練、パソコンの使い方などを訓練されたそうです。皆さん「辛い訓練だった」とおっしゃっていましたが、同時に、それを支えてくれる人達の出会いや、乗り越えられた事で、生きて行く希望が湧いたとおっしゃっていました。
「この施設に来たばっかりの時は辛過ぎて誰とも口をききたくなかった」とおっしゃってた方もいましたが、その方も寿[kotobuki]のライブの時は一緒に歌っておられました。
その方の癒しと変容の日々を思うと、うち達の方が沢山のパワーを注入されている気がしました。

「生きる希望を感じられる」
それは本当に大事な事だよね、誰にとっても。
障害のある人にも、老人にも、失業している人にも、サラリーマンにも、子供にも、主婦にも、株のデイーラーにも、教師にも、政治家にも、ミュージシャンにも。
誰にとってもね。

そして、「癒しがある」という事も。


オーディエンスがうち達の事が見えていない という状況でのライブは初めてだった。
けど、それは、すごく面白い(面白いって言葉じゃないのかもしれないけど)体験だったよ。
純粋に寿[kotobuki]の音楽だけが、身体の中に沁み入ってる感じがした。
そして、不思議だけど、やっぱりちゃんと「見ている」んだよね〜
見えない分きっとフルパワーで声と音だけを頼りに、うちとニーニーをいっぱい感じてくれていて、なんていうのか、それは「見ている」のと同じ事だと思った。
「ナビィさんが、どんなべっぴんさんか見れへんのが残念やわ〜(笑)」って言われたけど、確かにそうなんだろうけど、でも、心の中にちゃんと「ナビィ像」っていうのが広がってる感じがしたんだよね。
それは、初めて感じる事だったから、面白い体験だったよ。
そして、ライブは楽しかった!!いつもの様にね。


卒業される方々は、やっぱり不安でいっぱいだろうなと思うな。
世間は障害がある人にとって暮らし易くは出来ていないな〜と思うこの頃。
制度を充実させる事、街づくりとかも大事だと思うけど、やっぱりその根幹に想像力が必要だと思う。

夫が病気になって気づかされたけど、いわゆる「健常者」と「障害者」の壁はそんなに高くもぶ厚くもなかった。
今は「健常者」と言われる人でも、何らかの原因で「障害者」となる可能性は誰にでもある。
「もし、自分になんらかの障害があったら」という想像力や視点を持つ事はすごく大事な事だと思う。
多くの人がそうなったら、おのずと制度も街づくりも充実したものに変化して行くんじゃないかと思う。

そして、「見えない」というのは、ただ目を固く閉じる事と一緒ではないだろうし、「聞こえない」という事は耳を塞ぐ事と同じではないと思う。
メンタルな部分も含めて障害を持つってどういう事なのかを知る事や、同じ障害を持っていても心情、状況はみな違うだろうから、必要なサポートも違うだろし、なんというか、そこに寄り添うというか、気持ちが必要な気がする。
やっぱり「気持ち」が不在なものは、あまりよろしい結果に結びつかないと思うな。
『介護保険』も然り。
ただ制度があるだけだなぁ〜と思う。


ライトハウスに居たのは数時間だったけど、考えた事や得た事は大きかった!!
これを御縁にまた歌いに行けたらいいな〜と思う。
皆さん、出会ってくれて有り難う!!お世話になりました。

ではでは、長いブログを読んで下さって有り難う〜

大阪ツアーの話はまた後日。
またね〜


(京都ライトハウスの皆さんと)















   

ハードデイズ!!

昨日、旦那くんは無事転院しました。
今週はすんごい忙しくて、疲れ過ぎて眠れずヘトヘトに疲れ、昨日ついに友達のうしちゃんに鍼をやってもらいましたわ〜
有り難う、牛ちゃん。
して、抱瓶ライブにお越し下さった皆様方、有り難うございました。


病院があった八王子某所は、阿佐ヶ谷周辺では考えられないくらいの広いお庭と、でかい家が建ち並ぶ住宅地でした。
庭には、最近はジンチョウゲや梅や蜜柑が成ってたりなんかして、ちょっと実家のあたりを思い起こさせる懐かしい、心落ち着く風景がいつもありました。
 

旦那くんを「よーちゃん」と呼んでいたNファミリーともお別れ。
やっぱり泣けた。

奥さんはよく、面会が終わるとロビーでコーヒーや栄養ドリンクを買って待ち伏せして「ちょっと時間あったらお話しましょう」と言って色んな話をしてくれた。
育った奄美の話や、旦那さんの病気の話、子だくさんだったので大変だったよ〜とか、、、、、
かなり大爆笑な話もあって、神妙な面持ちの人ばっかりの病院のロビーで、うちは笑い過ぎてお腹が裂けそうなくらいだった。

一番いつも胸に響いていたのは「自分が旦那の様な病気になったら、どんな気持ちだろうかと考える。今は本人は自分の事に必死で家族の支えとか、叱咤激励とか、全然有り難がらないだろうけども、やっぱり、心から応援して支える事は家族にしか出来ないから家族が諦めたらダメだよ」という言葉。
旦那さんが前に入院していた病院で、家族に諦められ、孤独になり、どんどん本人の生きる気力がなくなった患者さんを見て来たので余計にそう思うらしい。
「孤独にさせたらダメ」
と、いつも言っていた。
そして、「奥さんが毎日の様に来るから、よーちゃんは、どんどん良くなって来てるね」と言ってくれた。

いつも、いつも励まされてばっかりだった気がする。
有り難い出会いでした。


でも、去年9月の終わりにリハビリ病院から、この間退院した病院に移った時は不安で仕方がなかったと今振り返ってみて思う。
転院する数日前から、泣けて泣けて仕方なかったし、転院するタクシーの中で旦那くんの手を握って
「大丈夫だよ〜」とか言ってたけど、自分に言ってたんだな〜あれは。
今回は、それが全然なくて、大きな転機でまたひとつ大きな回復がある予感がする。
別れは辛かったけど、何か希望がすごくある。
旦那くんを見ているとそんな感じがする。

沢山の人が心配をしてくれて、本当に感謝です。
先日の三砂さんとの対談に来て下さった方々からも「何か出来る事があれば手伝います」と言って下さる方もいて有り難いです。
大変な時は、白旗を上げるので宜しくお願いしま〜〜〜〜す。

今日は、「黒潮ロック」の第二弾
ライブ、本編も楽しかったけど、終了後のほぼ関係者のみで行った、ボブマーリィ、ブルーハーツ、ジョンレノン、RCサクセション大セッション大会。
そして、トドメのフォーク大会が最高に大笑いで大盛り上がりでした。
いや〜音楽って本当にいいね〜
そして、酔っぱらいって世界最強だね。
あれ達に敵う人間はそうそういないね。
それを受け入れ、おまけに、誰よりも楽しんでた「パワーズ2」のスタッフも最強ですわ。
楽しい夜でした。
来て下さった皆様方、ありがとうさまりょた〜

   

明日は発表会!!

はぁ〜毎日、毎日練習が大変だったけど、楽しくもあった日々でした。
明日はいよいよ発表会ですわ〜

今回は大好きな『Legong Lasem(レゴン・ラッサム)』を踊ります。

これはバリでは有名な物語で、ヒーロー、パンジ王子の許嫁、ランケサリー姫が森で迷っている所をダハ国の国王に助けら、宮殿で居候(?)しているところを息子のラッサム王に言い寄られ、もちろん婚約者のいる姫は拒絶するんだが、拒絶されたラッサムは怒り、「婚約者のパンジともども、お前の国を滅亡させてやるわい!!」と戦争をしかけます。
戦に向かう道中、カラスが飛んで来ます。
そのカラスを「不吉な予兆」とラッサムは考え、追い払おうとしますが、払えず、必死になって払っているうちに馬から落馬して死ぬって話です。

なんじゃそりゃ!!!

でも、そんなラッサムですけど、うちは大好きで、大好きで。
ここの教室の発表会で踊るの2回目です。

明日は、友達の冠を借りて踊らせてもらいます。
うちのは、譲ってくれた先輩が昔の形を再現して作ってもらった特注品なので、あまりに一緒に踊る人を合わないので借りる事にしました。
サイズが合ってなくて小さくて、初めは孫悟空の輪っかの様に痛くて死ぬかと思ってけど、(なんつっても、額の一部が内出血してこぶになったくらいやからね〜)
お香を立てて「仲良くして下さい、痛くなく被れる方法を教えて下さい」とお祈りしたら、あ〜〜〜〜〜〜〜ら不思議。
被れる様になりました。
有り難う〜神様、本当の持ち主、祐子さん。

(すいません、どうすりゃ〜写真の向きが変えられるかがわかりません。左のが自前の冠)

てなわけで、お時間有ります方、午後は日野市万願寺の安養寺へ
夜は駒込『どぅたっち』のナーグシクヨシミツ、久々のソロライブへ!!
春の嵐の中、来てくんしゃい!!

   

サプライズ三昧

野球に(というよりスポーツ全般に)興味のないうちは、もちろんWBCなんぞ興味もないので、昨日の中継も観てなかったんだが、夜のニュースで日本が韓国にコールド勝ちと聞き、びぃいいいっくり!!
あの点数差って、、、、、すごいね。
して、映像を観ていて更にびっくり。
イチローって足が速いんだねぇ、、、、今更何言ってんの?あんたって言われると思うが、、、、

昔読んだ、何かの身体調整法の本の中で、その著者がイチローの身体の使い方を褒めちぎっていたっけな〜と思いだした。
その人が見るに、イチローは丹田つまり身体の中心にボールを引きつけ、そこから背骨、腕、バットへと力のベクトルが瞬時に伸びて行き、身体のどこもねじる事なく、ごくわずかな力でバットを振り、飛んで来たボールの勢いを利用する形で打っている。
だから故障もなく、あんなすごい記録も出せる、良い身体の使い方を熟知し実践しているすごい選手だ
という様な事が書いてあったと思う。

小さい動きで大きな流れを作るって〜のは踊りにも歌にも通じるなぁ〜
いいなぁ〜


まぁ、とにかく、そんな事やCMとかでイチローの事は知ってるけど、試合観ないからね〜
なんで、イチローが世界を賑わせて早10年以上が過ぎた今頃になって、その偉大さを知ったのでした。


して、びっくりっていうか、もう呆れてるんだけど、やっぱり日本の政治家って、、、、、、

うちは、自民VS民主の二大政党制なんかなんない方がいいと思っているし、民主党にそんなに大きな期待(議員個人に対してはある人もいる)はないので、小沢氏を擁護しようとは思わないけど、あんな事って特に自民党の議員なんてやってる人いっぱいいるんじゃ〜ないかと思うが、、、、
まぁ、それはともかく、会見の中で「国家権力」って言葉を小沢氏が使っていたけど、その中枢にいるのがお前さん達、いわゆる「大物議員」じゃ〜ないのかぇ?と思って呆れたなぁ。

それと、「追い風!!」とか言ってる自民の議員の姿も情けないものがあった。
スキャンダルでしか相手を倒す事が出来ないんかい?
マイク握ってヘラヘラ笑って「追い風が吹いてます」って言ってる姿は、まるで子供。
いや、子供も方がまだ沢山の人に観られている緊張感はあるはず。
それと、一度もらっておいて、やばくなったら返金して「お返しするのが筋かと思う」みたいな事言ってる議員。
どいつもこいつもよ〜ちっせぇ〜んだよ。
「おれたちゃ〜利権が欲しくて政治家やってんだよ〜文句あんのか?」くらい言ってみて欲しい。
本音で生きろや!!
選挙の時も、薄っぺらいきれいごとばっかり言ってないで「私利私欲のために頑張りますのでどうか宜しく」って、それくらい潔くいて欲しいと常々思う。
どうせ、きれいごと言うんだったら、定額給付金も「私たち議員はいりません。国民としてカウントせず、その分ひとりひとりへの給付額を多くしましょう」とか言えばヒーローになれたかもしれないのにね。

政治家の中には、信念もあり、一生懸命やってる人もいるんだろうに、そういう人の姿が見えて来ないってのも『政党』がある事の弊害の様にも思う。(それゆえの良さもあるのかも知れないけど)
いっその事、ひと政党10人制とかにして、議員ひとりひとりの顔、政策が良く見える様にして、小さい政党が沢山あり、その政党がどういう理念を持ってるのかが解る様にしたらどうかと思うけど、意味ないかしらねぇ〜

   

開花宣言

真冬のブーゲンビリアがついに咲きました。

お前さん、世界は寒いよ、何を考えておいでだい??

旦那くんは再び卒業が決まり、今の八王子の病院から荻窪の病院へ転院する事になった。
入院も一年を過ぎて、かなりのストレスが溜まっているんだろうから、短期外泊してみたらどうだろう?と思っても、やっぱり八王子からはタクシーでほいほい帰れる距離じゃないし(お金もすんごいかかるしね)新たな可能性を見出したくても、チャレンジしたくても、いかんせん遠すぎる、、、、

なんで、前々から自宅の近くへの転院を希望していたんだが、どこもかしこも空きがなく、やっと3月中旬に転院が決まったのだ。

又しても、卒業。
して、新たな始まり。

今の病院のリハビリの先生達には本当に良くしてもらったと思う。
足のリハビリのS先生に、初めてお会いしてお話をした時、「あぁ〜この先生に会うためにここに来たんだ」と、直観で思った。
手、言語、それぞれの先生も、今の旦那くんにとても合った(本人達はどう思ってるか知らないけど、、)キャラ(?)で、リハビリに関しては転院して早い段階で安心した。
回復期の終わった患者のリハビリは週に2〜3回、一回20分で、言語、手、足のどれかしか受けれないと脅されていた様な事もなく、確かに回復期リハビリ病院の時に比べたら、一回の時間は減ったけど、3種目ほぼ毎日診てもらってるし、何より密度の濃いリハビリになっている気がする。

旧正月ライブに来れたのも、S先生の発案のお陰だった。
夜遅く、夜勤の人手の足らない時間に病院に戻って来るって事が問題になり、一時は行けない可能性もあったけど、看護士のSさんが休日返上で付き添い、病院に戻ってからのケアーも引き受けると言って下さったお陰でライブにも来れた。
その他、病院のスタッフの皆さんの協力のお陰で実現した大きな一歩だったと思う。
本当に感謝、感謝、です。

気が付けば早、半年。
使った交通費は一体幾らだ???
良く通ったよぉ〜


旦那くんのお向かいの患者さんの奥さんが奄美出身の方で、うちが一人で病院で島唄ライブして以来仲良くなって、本当に良くしてもらっている。
奥さんは旦那くんを「よーちゃん」と呼ぶ。
「よーちゃん、偉いね〜」「よ〜ちゃん、頑張ったね〜」「よ〜ちゃん、ヒゲ剃ったらかっこいいね〜」
この人52歳のおっさんでっせ。
奥さん曰く「よーちゃん、何か可愛らしいのよね〜」
旦那くんもなかなかまんざらでもない感じ。

ここんちのお孫さんも、うちの旦那くんが好きらしく、来るたびに何やらちょっかいを出して来てびっくりしてるけど、お孫さんが帰る時「バイバイ〜」と言われると「バイバイ〜」と笑顔で応えるらしいので、こちらもまんざらでもないらしい。

この家族と別れるのも寂しいなぁ〜
この家族との関わりもリハビリのひとつになってる気がするし、なによりも、楽しかったんだよね〜
一緒にいると。
寂し過ぎて、まだ転院の事が話せていないのでした。


そんなわけで、また寂しい気持ちが高まってるこの頃だけど、春には別れがつきものって事で、陽一号に乗って新しい発進です。
ここからの波は、病院から外の世界に向かっての、今までの転院とは違う新しい波。
うちは、毎日朝晩正座して、ハラを強くして波の到来を待ってるぜ!!
カモ〜〜〜〜〜〜ン、波!!!!
でも、なるべくユルくお願いしますね〜

ではでは、またね〜












   

ラララ♪沖縄ナイトツアーだよ〜その3




釧路市内のゲームセンター跡の会場にはいつの間にか、満杯のお客さんが。
いつもの様にシャイのアニキのそっくりさん"瀬底真也"さんの司会に続き、シャイのアニキのライブから始まりました。

10年前にアニキの発案で横浜サムズアップから始まったこの沖縄ナイト。
始めた当初からアニキは「沖縄ナイトで日本全国歩きたいよなぁ〜」と言っていた事を思い出し、大阪、名古屋の楽しかったツアーの事も思い出し、アニキとの出会い、沖縄ナイトに寿[kotobuki]を誘ってくれた事、ジョニーさんとの出会いに感謝すると共に、アニキの想いの強さに感謝!!と一人感慨にふけっておりました。
んが、またしても楽屋では、いつの間にか超常現象話が浮上し、それに続き、沖縄芸能人秘話、健康話と続き、結局あんまりアニキのライブを聴いてなかった失礼な3人、、、、、
すいません、アニキ。
して、楽屋に戻って来たアニキーに「シャイ坊、今よ〜三人で話していたんだけどもさ〜」と明らかに聴いていなかった事をなぁ〜〜〜〜〜〜んの悪気もなくしゃべってしまうジョニーさん、、、、、
それを「おう」と笑って聞いてるアニキ。
二人の友情に乾杯。


アニキの後は、地元の中学校の生徒さんのエイサー隊が出演して盛り上げてくれた。


沖縄に行った事もなく、教えてくれる人もいないのでDVDを観て練習した、と言うだけあって、確かに上手くはないんだけど、すんごい純粋で清らかなエネルギーがバンバン!!
皆、中学三年生で、担当の先生も「受験真っ盛りでここでエイサーやってる場合じゃない」と言っていて、会場大爆笑だったけど、本人達はいたって楽しそうですごくいい雰囲気だった。


して、自己紹介をする場面で「夢はイリオモテヤマネコを飼う事です」と言ってる少女がおり、天然記念物だから飼育出来ないんだよ〜と突っ込みいれたくなりましたが、あまりの可愛らしさにおばちゃん黙っちゃいました。
出演してくれて有り難うね〜
皆、受験は終わったかな〜


その後、ジョニーさん、寿[kotobuki]と続き、楽しかった二日間のライブも終わって、あとはお楽しみの打ち上げへ!!

釧路の実行委員の方がやってスナックで、お寿司やざんぎ(鶏の唐揚げ)やら、むちゃくちゃ美味しいもののオンパレード。
ニーニーは甲殻類アレルギーのうちの隣で、無口がさらに無口になって、毛ガニにタラバに甘エビと、「あんた蟹になるよ」ってくらい食べてました。
うちは、アレルギーがあり甲殻類が食べれないハンデを乗り越えるべく、赤貝、ほたて、いくら、イカ、のにぎり寿司を独り占め。
いや〜美味でしたわ〜
前日の芦別ライブの打ち上げのほたて三昧で「もうほたては当分いいわ〜」ってくらい食べたのに、食べれるもんですなぁ〜
釧路の実行委員の皆さん、企画、制作、準備に後片付けに、打ち上げまで本当にお疲れさまでした~感謝です。
有り難うございました!!


その後、うちは打ち上げ会場を後にし、温泉へと繰り出しました。
釧路市内にあるホテルの(宿泊先ではないのよ〜とほほ)屋上に露天風呂があり、何気なく髪の毛あらって露天に浸かってたら、空気の冷たさで髪の毛がフローズン気味に、、、、
慌ててドライヤーで乾かし再度露天に浸かりましたけど、アイスランドの屋外温泉でもそんな体験なかったんでびっくりでした。
2時間半くらいいたけど、お客さんはうち一人でした。
700円でなんという贅沢!!
お湯もうちの大好きな海水が混じってるタイプで大満足でした。

いや〜いい旅でした。


翌日は、和商市場に寄り、前日の余韻がお腹に残り過ぎて残念ながら「勝手丼」は食べれなかったけど、大好きなタラコを5キロも買い占め、お土産も買い、挨拶まわりで残ったアニキ以外の3人は一路、釧路空港へ。

ツアコン・アニキの『30分前行動』のお陰で遅刻のなかった今までツアーだったが、釧路発の飛行機の出発が遅れ、羽田の到着が30分遅れる事になってしまった。

そのまま沖縄に帰るジョニーさんは、元々羽田での乗り継ぎが1時間しかなかった上に、釧路からの飛行機と航空会社が違うため、一度手荷物を受け取り、再度チェックインという行程をこの遅れでいくとわずか15分くらいでしなければならず、羽田到着前からスッチーに事情を話し、何とか間に合う方法はないものかと検討した。
んが、「航空会社が違うため無線で連絡を取り合う事が出来ない」とか「提携していないので手荷物をそのまま沖縄便に積み込む事は出来ない」とか、、、、、まぁ、そうなんだろうが、あれもこれも出来ないと言われ、うちは少々キレ気味に。
最初は「遅延証明」を出す事さえも拒んでいたんだが、こちらの過失ではない事を証明してもらわにゃ〜困る!!と思い、何とか発行してもらい、スタッフに沖縄便の航空会社のカウンターまで付いて来てもらう事にしたんだが、タラップから移動するバスも乗客がいっぱいになるまで待たされ、手荷物も事前にタグの番号を調べていたにも関わらず、普通に他の乗客の荷物に混じって流れて来て、そんなこんなで飛行機を降りて次の航空会社のカウンターへ行けるまで20分近くかかり、結局ジョニーさんは乗り遅れてしまった。
「遅延証明」があったお陰で、代金は払わず次の便への振替が出来たけど、あの対応はなんとかならんかったんだろうか?と思った。
その会社、飛行機を降りる時「乗り継ぎのお客様も現地まで無事に到着される事をお祈りしています」みたいな事必ずアナウンスするのによぉ〜
まぁ、それは、自分とこの飛行機で乗り継ぎする人の事を言ってるんだはずね。


そんなわけで最後に、ヒヤヒヤする出来事はあったけど、ツアーは本当に楽しかった。
ツアーはだいたい楽しいもんだけど、沖縄ナイトツアーは格別楽しい。
それも、アニキとジョニーさんの人柄故な気がする。


アニキとジョニーさんは、10代の頃「ハートビーツ」というロックンロールバンドを沖縄で結成し、メジャーデビューと共に上京し、活動していたんだけど上手く行かず解散し、アニキは東京に残り音楽活動を続け、ジョニーさんは沖縄へ帰りしばらくは音楽と無縁に暮らしていたらしい。
ジョニーさんがまた沖縄で音楽活動を再開し、アニキーとジョニーさんも再会し、最近は沖縄ナイト以外でのジョイントは減ったけど、長い時間を経て音楽を共にする様になった。
10年前の初めての沖縄ナイトの時、うちはそんな二人を観て、売れるとか売れないとか関係なく、自分の中にある音楽を奏で続けながら年をとって行く事は、すんげ〜素敵な事なんだ!!と、そう思った。
そして、お互いに「顔を見るのも嫌だったから解散した」と言っていたのに、こうやって許せてるっていうのも素敵だと思った。
ニーニーも多分同じ様な気持ちだろうけど、うちは、この2人のシージャー(先輩)達から、自分らしく有り続ける術とか、それを音楽にどうフィードバックさせて行くのかとか、そんな事を学んでいる様な気がする。
だから、一緒にやってるんだと、そんな事を確認したツアーだった様に思う。


長い長い、ツアーのお話、読んで下さって有り難うございました。
芦別、釧路のスタッフの皆さん、お越し下さった皆さん、イッペーニフェ〜デービタン!!
またね〜