最近のチベット仏教徒僧侶による暴動で「ダライラマ14世」の名前をほとんど毎日ニュースやワイドショー耳にしますね。
殆どテレビを観れていないのにこんなにだから、 ね、すごい事です。
去年の夏ダライラマ14世のインタビュー集『抱くことば』(イーストプレス出版)を買った。
うちは高校2年の時、仏教に興味があったので図書館で「ダライラマ自叙伝」を読み、初めてチベット仏教の事、ダライラマの事を知った。
それからもダライラマ14世の著書、インタビュー集は何冊か読んだけど、この本はすごく作り方が巧くて、何度も読み返そうという気持ちになる。
ダライラマ14世の言葉は元々難解ではないと思うし、すごく「人としての生き方、ものの考え方」を説いているんだと思うけど、それを自分の日常に活かすのはやっぱりものすごい想像力が必要で少々難しいよな〜と思う。
でもこの本はとっても短い簡単で反芻出来る言葉で書かれていて、はっと思い出す事が出来る。
すごくいい本だと思う。
チベット仏教とはなんぞやって事を知りたい人にはもの足らないと思うけど、、、、、
あるワイドショーでダライラマに何度もあった、というコメンテーターが「ダライラマ14世は、これ以上中国人の心に憎しみを植え付ける様な暴力行為はやめてくれと言っていますが、これは、世界中の人達が中国人、中国に対して反感を持ち、バッシングを繰り返す事で、チベット自治区内にいる中国人がチベット人に対して圧力をかける事が懸念されるのでこう言っているんですね」
と言っていたけれど、、、、、、そうかなぁ〜
それもあるかもしれないし、うちはダライラマに会った事ないから間違ってるかもしれないけど、心に憎しみを抱えて生きる、という事を例え中国人であったとしてもして欲しくないという意味なんじゃないかな〜と思う。
高校生の時に読んだ自叙伝の中に「家族、同胞を殺された怒り、悲しみはもちろん私の中にある。でも、私は中国人の心の平穏を日々祈っています。」という言葉があった。
それは、うちにとってアンビリバボーな言葉だったけど、それを読んでいたからそう思うのかもしれない。
心の平穏っていうのはとても難しい言葉だけれど、うちなりに考えるとそれは「自分の感情を他者に支配されない」って事ではないかな〜と思う。
人と人が関わり合って生きているので、それは本当に難しい事だけれど、例えば他者からの心ない言葉や悪意よりも自分の中の小さな喜びの方を優先し、その事で心をいっぱいにしなさいね、って事だと思う。
チベットにも色んな時代があり、いろんなダライラマの歴史があるんだろうけど、ダライラマ14世はやっぱりチベット仏教最高僧侶としても数奇な運命を与えられた人だと思う。
(ダライラマを継承する事そのものが数奇な運命だと思う)
中国の侵略、亡命、がなければ、ダライラマ14世がこんな風に世界を回る事もなかっただろうし、うちたちがダライラマ14世を知る事、その言葉を聞く事もなかったと思う。
ダライラマ14世の中にも、苦しみと悲しみと怒りがあり、それでも敵の心の平穏を祈り自分の心の平穏を選ぶという言葉、その生き様を受け止めたいと思う。