ダライ・ラマ法皇
今日は朝8時に家を出てパシフィコ横浜へ「ダライ・ラマ法皇 講演会」へ行って来ました。
明日はライブで忙しいし、一昨年くらいから法皇が来日される度に講演会やチベットハウス関係の方からパーティーのお誘いを頂いたりしていたのに、ライブと重なってて全然行けなかったので、今回こそは!!!と思って、ヨーイチくんにはショートステイにお泊まりしてもらい、約半日の長い講演会に参加しました。
午前中は法話会だったのでかなり難しい仏教専門用語もあり、友達と共にこっくり、こっくり船を漕ぎまくり、、、、
途中で「はい!!それってどういう仏様ですか?」と手を挙げて質問したろか?と思った事は4度や5度ではなかったですわい。
午後は一般向けのお話で『幸せの本質』〜共生と共存の未来へ向けて〜というテーマで語られました。
そのお話はとても判り易く、特に「世界は自国の経済の発展を考える時、自分の国の利益だけを考えていればいい時代は終わりました。」という言葉はとても印象に残りました。
2009年から2010年の年明けあたりにふと、私たち全人類にといっての共通の財産って何だろうって考えたら、この「地球」なんじゃないかと思ったんですよね。
どこかの星に移住って話もあるけれど、でも、地球上の生命体はこの星で生きて行くのにふさわしい様に進化して来たんだと思うので、例えば移住して地球環境と違う星で暮らして行くための生命維持装置みたいなのを付けて暮らしたとしても、必ず無理が生じて多分生きて行く事が困難になるだろうし、ほんの一握りの人が生き延びれても、その星で生きて行くのにふさわしい状態になるには、地球で人類が進化した時間と同じくらいの時間を要するんじゃないかと思うんですけど、、、、
まぁ、専門家じゃ〜ないので想像でしかありませんが。
とりあえず、地球での暮らしと同じ暮らしを求めて他の星に移住してみたところで、同じ暮らしは営めないんじゃないかと思ってるんです。
長い時間をかけて、今、うち達の目に写るもの、聞こえるもの、感じるもの、触れられるもの、心が動かされるもの、
どうしようもなく悲しい事や、嬉しい事や、素晴らしい事も素晴らしくない事も、今ここに在る全てが「地球だから」こそ存在し得たもの。
私が、あなたが今ここにいるのも、先ずこの地球ありき、地球があってこそ。
だから、この地球は、どんな民族にとっても、どんな宗教を信仰している人にとっても、皆が大切にしなくてはいけない共通の財産なんじゃないかと思ったわけです。
『地球は全人類の共通の財産』
という視点で環境問題や京都議定書の事を考えたら、「自国の経済優先のために」という様な考えや言葉は出ないだろうと思うし、地球(財産)を守る事が利益となる事を考えるんじゃないかな〜と、そんな事を思ったわけです。
法皇は、あくまでも仏教の教えに基づいて上の様な言葉をおっしゃられていて、それは「全ての生きとし生けるものは互いに関わり合い、お互いの存在がなしに、ひとつの種だけで生きる事は出来ない、という仏教的な観点から見れば、世界経済もまた同じです。全ての国が関わりあっており、意識していてもしていなくも、すでに私たちは「共生、共存」している」というモノ(かなり要約してますが)なので、うちが思っている様な事とは全然違う視点からの言葉なんだけど、何となく、同じ事を言ってる様な気がして、勝手に納得してました。
あと、法皇は著作やインタビュー本の中で「私は仏やブッダの生まれ変わりではなく、ただ一人の僧侶でしかありません。
私に何か特別なチカラがあるのなら、今のチベットのおかれている状況を変える事も出来るかもしれませんが、私にはその様なチカラはないのです。」と言う様な事を常に言われていて、例えば、今日の質疑応答の中で「どうすれば、〜〜の様な自分になれますか?」という様な質問に対して「その答えはあなた自身が一番良く知っているはずだし、あなた自身にしか答えは出せない」という様な言葉をおっしゃられていたのも印象的でした。
そして、他の「何か答えを下さい」というカリスマへの期待が込められた質問に対して全く応えない姿は、見ていて清々しいものがありました。
それとは反対に、「日々、慈悲とは何か、利他の心とはなにか?を学び、実践しているはずなのに、怒りの感情は消えず、何か寂しい気持ちがするのは何故なのか?」という質問や、「子供時代に親の虐待や愛情に恵まれず大人になった人が、慈悲の心や愛情を持って人や社会と向き合うためにどんな事をすればいいのか?」という質問に対して、「少しずつの変化を認める」という答えを出していたのも、印象的でした。
一人目の人には「その事を一番始めに考えた時、実践し始めた時とは、寂しさや怒りの度合いは少なくなっているはず。そうやって変化している自分を認める事」
2人目の人には「愛とは何かを考え、愛を受け取る事、与える事を少しずつ学び、変化をする事」という答えをそれぞれに語った後で、「繊細な問題ほど、変化は微細なものです。赤ちゃんが突然大人になる様な変化はなくても、あなたは少しずつ、少しずつ変化をしている(して行く)のです。少しずつでも変化をしている自分をどうか「良いもの」と思って愛を持って見つめて下さい」と言う様な事をおっしゃっていました。
その様な言葉を発せられる時の法皇は、本当に熱が込もっていて、聴衆の心に刻み付ける様なゼスチャーがつきます。
それは、その質問が、仏教の「慈悲の心、愛の心を持って生きる」という教えが答えとなるからなんじゃないかと思う。
愛を持って、自分の人生を見つめる。
それは、まさにチベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ14世」だから言える答えで、「ダライ・ラマ」として世界の人に伝えたい事のひとつなんだろうなと思った。
今回初めて法皇にお会いして、「法皇はただ「ダライ・ラマ14世」という自分に与えられた人生(運命?)を全うしようとしているだけなんだ」という事を感じました。
数奇な運命を辿って世界中を巡って、本当に特別な存在ではあるけれど、本人はそのようでありたいとは願っていないんじゃないかと思う。
帰り際、「可愛かったね〜」と言ってる人がいて、悪気はないんだろうけれど、相当な違和感を感じてしまった。
いや、確かにとてもチャーミングで愛らしい方ではあるんだけれど、、、、、
法皇が世界を巡ってチベット仏教の心を伝えている理由は、各国(特に影響力のある先進国)の人々が愛と慈悲を知り、学び、自分自身を愛を持って見つめた時、「他者も愛で満たされる事がなかったら自分も満たされない」と気が付き、共生、共存の心が芽生える。
そういう人が地球上に増えたら、チベットの問題も愛を持って解決する、という希望を持っているからなんじゃないかと思う。
それは、やっぱり相当厳しい人生で、でも、それが「ダライ・ラマ14世」としての運命だと、自分の役目として受け入れて、強く生きているという風に感じたので、やっぱり「可愛い〜」は違うんじゃないかなぁ〜と思ったのでした。
そんなわけで、初めて本物、生 ダライ・ラマ法皇にお会いして、写真で見るのは全然違う、強さや厳しさを感じて帰って来ました。
して、うちは、やっぱり、亡命した多くのチベット人とダライ・ラマ14世や他の高僧たちがチベットの地に帰れる様に。
どうどうとチベットの国旗を掲げ、チベット語を話し、信仰を大切に出来る、
一日も早くそんな日が来て欲しいと思ったのでした。
チベットハウスはダライ・ラマ法王日本代表部事務所内にあるチベットサポート機関です。
興味にある方は是非、サイトを見てみてください。
http://www.tibethouse.jp/home.html
明日は、いよいよお楽しみ、朴保ともの2マンライブです。
お時間あります方は是非お越し下さいませ〜〜
ではまた。
ナビィ
明日はライブで忙しいし、一昨年くらいから法皇が来日される度に講演会やチベットハウス関係の方からパーティーのお誘いを頂いたりしていたのに、ライブと重なってて全然行けなかったので、今回こそは!!!と思って、ヨーイチくんにはショートステイにお泊まりしてもらい、約半日の長い講演会に参加しました。
午前中は法話会だったのでかなり難しい仏教専門用語もあり、友達と共にこっくり、こっくり船を漕ぎまくり、、、、
途中で「はい!!それってどういう仏様ですか?」と手を挙げて質問したろか?と思った事は4度や5度ではなかったですわい。
午後は一般向けのお話で『幸せの本質』〜共生と共存の未来へ向けて〜というテーマで語られました。
そのお話はとても判り易く、特に「世界は自国の経済の発展を考える時、自分の国の利益だけを考えていればいい時代は終わりました。」という言葉はとても印象に残りました。
2009年から2010年の年明けあたりにふと、私たち全人類にといっての共通の財産って何だろうって考えたら、この「地球」なんじゃないかと思ったんですよね。
どこかの星に移住って話もあるけれど、でも、地球上の生命体はこの星で生きて行くのにふさわしい様に進化して来たんだと思うので、例えば移住して地球環境と違う星で暮らして行くための生命維持装置みたいなのを付けて暮らしたとしても、必ず無理が生じて多分生きて行く事が困難になるだろうし、ほんの一握りの人が生き延びれても、その星で生きて行くのにふさわしい状態になるには、地球で人類が進化した時間と同じくらいの時間を要するんじゃないかと思うんですけど、、、、
まぁ、専門家じゃ〜ないので想像でしかありませんが。
とりあえず、地球での暮らしと同じ暮らしを求めて他の星に移住してみたところで、同じ暮らしは営めないんじゃないかと思ってるんです。
長い時間をかけて、今、うち達の目に写るもの、聞こえるもの、感じるもの、触れられるもの、心が動かされるもの、
どうしようもなく悲しい事や、嬉しい事や、素晴らしい事も素晴らしくない事も、今ここに在る全てが「地球だから」こそ存在し得たもの。
私が、あなたが今ここにいるのも、先ずこの地球ありき、地球があってこそ。
だから、この地球は、どんな民族にとっても、どんな宗教を信仰している人にとっても、皆が大切にしなくてはいけない共通の財産なんじゃないかと思ったわけです。
『地球は全人類の共通の財産』
という視点で環境問題や京都議定書の事を考えたら、「自国の経済優先のために」という様な考えや言葉は出ないだろうと思うし、地球(財産)を守る事が利益となる事を考えるんじゃないかな〜と、そんな事を思ったわけです。
法皇は、あくまでも仏教の教えに基づいて上の様な言葉をおっしゃられていて、それは「全ての生きとし生けるものは互いに関わり合い、お互いの存在がなしに、ひとつの種だけで生きる事は出来ない、という仏教的な観点から見れば、世界経済もまた同じです。全ての国が関わりあっており、意識していてもしていなくも、すでに私たちは「共生、共存」している」というモノ(かなり要約してますが)なので、うちが思っている様な事とは全然違う視点からの言葉なんだけど、何となく、同じ事を言ってる様な気がして、勝手に納得してました。
あと、法皇は著作やインタビュー本の中で「私は仏やブッダの生まれ変わりではなく、ただ一人の僧侶でしかありません。
私に何か特別なチカラがあるのなら、今のチベットのおかれている状況を変える事も出来るかもしれませんが、私にはその様なチカラはないのです。」と言う様な事を常に言われていて、例えば、今日の質疑応答の中で「どうすれば、〜〜の様な自分になれますか?」という様な質問に対して「その答えはあなた自身が一番良く知っているはずだし、あなた自身にしか答えは出せない」という様な言葉をおっしゃられていたのも印象的でした。
そして、他の「何か答えを下さい」というカリスマへの期待が込められた質問に対して全く応えない姿は、見ていて清々しいものがありました。
それとは反対に、「日々、慈悲とは何か、利他の心とはなにか?を学び、実践しているはずなのに、怒りの感情は消えず、何か寂しい気持ちがするのは何故なのか?」という質問や、「子供時代に親の虐待や愛情に恵まれず大人になった人が、慈悲の心や愛情を持って人や社会と向き合うためにどんな事をすればいいのか?」という質問に対して、「少しずつの変化を認める」という答えを出していたのも、印象的でした。
一人目の人には「その事を一番始めに考えた時、実践し始めた時とは、寂しさや怒りの度合いは少なくなっているはず。そうやって変化している自分を認める事」
2人目の人には「愛とは何かを考え、愛を受け取る事、与える事を少しずつ学び、変化をする事」という答えをそれぞれに語った後で、「繊細な問題ほど、変化は微細なものです。赤ちゃんが突然大人になる様な変化はなくても、あなたは少しずつ、少しずつ変化をしている(して行く)のです。少しずつでも変化をしている自分をどうか「良いもの」と思って愛を持って見つめて下さい」と言う様な事をおっしゃっていました。
その様な言葉を発せられる時の法皇は、本当に熱が込もっていて、聴衆の心に刻み付ける様なゼスチャーがつきます。
それは、その質問が、仏教の「慈悲の心、愛の心を持って生きる」という教えが答えとなるからなんじゃないかと思う。
愛を持って、自分の人生を見つめる。
それは、まさにチベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ14世」だから言える答えで、「ダライ・ラマ」として世界の人に伝えたい事のひとつなんだろうなと思った。
今回初めて法皇にお会いして、「法皇はただ「ダライ・ラマ14世」という自分に与えられた人生(運命?)を全うしようとしているだけなんだ」という事を感じました。
数奇な運命を辿って世界中を巡って、本当に特別な存在ではあるけれど、本人はそのようでありたいとは願っていないんじゃないかと思う。
帰り際、「可愛かったね〜」と言ってる人がいて、悪気はないんだろうけれど、相当な違和感を感じてしまった。
いや、確かにとてもチャーミングで愛らしい方ではあるんだけれど、、、、、
法皇が世界を巡ってチベット仏教の心を伝えている理由は、各国(特に影響力のある先進国)の人々が愛と慈悲を知り、学び、自分自身を愛を持って見つめた時、「他者も愛で満たされる事がなかったら自分も満たされない」と気が付き、共生、共存の心が芽生える。
そういう人が地球上に増えたら、チベットの問題も愛を持って解決する、という希望を持っているからなんじゃないかと思う。
それは、やっぱり相当厳しい人生で、でも、それが「ダライ・ラマ14世」としての運命だと、自分の役目として受け入れて、強く生きているという風に感じたので、やっぱり「可愛い〜」は違うんじゃないかなぁ〜と思ったのでした。
そんなわけで、初めて本物、生 ダライ・ラマ法皇にお会いして、写真で見るのは全然違う、強さや厳しさを感じて帰って来ました。
して、うちは、やっぱり、亡命した多くのチベット人とダライ・ラマ14世や他の高僧たちがチベットの地に帰れる様に。
どうどうとチベットの国旗を掲げ、チベット語を話し、信仰を大切に出来る、
一日も早くそんな日が来て欲しいと思ったのでした。
チベットハウスはダライ・ラマ法王日本代表部事務所内にあるチベットサポート機関です。
興味にある方は是非、サイトを見てみてください。
http://www.tibethouse.jp/home.html
明日は、いよいよお楽しみ、朴保ともの2マンライブです。
お時間あります方は是非お越し下さいませ〜〜
ではまた。
ナビィ