(韓国版 地下鉄のパスモ?)
大変だった片付け第一弾(まだまだ片付いちゃーいないのよぉおおおお)も無事終わり、リハビリの先生達の家屋評価も終わり、元々賃貸なので大した改修は出来ないと言ってはおりましたが、その予想を上回る改修の必要のなさに安堵しました。
さて、韓国のライブなんですけど、この間のブログにも書いた様に、本当に初めて来た国の感じが全然しなくて、それは、多分、うち達が、李政美ねーさん、パギやん、朴保親分や、今までに色んな在日のミュージシャンと仲良くさせて頂き、そのコミュニティーの中で沢山楽しませてもらっていた事も多いに影響あると思うし、今回、招いて下さった『ジャバルテ』の皆さんが、志や笑いの沸点がすごく近かったってのは、うち達を本当にリラックスさせてくれました。
3泊4日の短い間で、どんだけ爆笑した事か。
ライブの会場となったのは仁川(インチョン)市の芸術会館ホールで、もう10年も続いている「ウォルミド平和祭」の音楽祭に参加したのでした。
(ホール入り口)
(音楽祭の旗)
主催の「ジャバルテ」とは job art playの3つの単語で作られた造語で、韓国の貧困家庭の子供達に伝統芸能の伝承や文化教育の場を提供する事や、色んなアーティストに仕事の場を提供する目的で作られた団体です。
音楽祭は、時間の仕切りはともかく、内容は濃いもので韓国の実力派ミュージシャンの他に、地元のジャバルテで学ぶ子供達の歌の参加もあり、うち達のライブの後には辺野古を中心とした沖縄の映像も流れたり、歌詞も事前に渡してあったのでパワーポイントで対訳が映し出されたりと、ちゃんとしてました。
いや、ちゃんとしてましたってのも失礼なんだけど、今までの海外ライブが凄過ぎたのかもしれない、、、、
そして、ライブは、すごく盛り上がったし、楽しかったし、何よりお客さんがうち達の音楽を期待して待っててくれた感がすごくあって嬉しかったっす。
今回は通訳(有り難うね〜ミスデストロイ!!)に恵まれ、前日の金先生と李先生のご指導、ご鞭撻のお陰で「皆一緒に〜」「もう一回」をハングルで言った事がこれまたウケて更に盛り上がり、色んな方々のお力でいつもの寿[kotobuki]で演れました。
これって凄い事なんですよね。
言葉の通じない国で日本と変わらない気持ちで歌えるってことは。
だから、前回も書きましたけど、関わってくれた全ての人に感謝です。
皆さんのチカラがなかったら成功してないですもん。
このライブの模様は、スンヨンが撮ってくれたので来年発売になるライブDVDの中に収録される予定ですんで楽しみにしてて下さいな〜
うちが、今回の旅で得たものは本当に大きかったんだけど、そのひとつは念願だった生のパンソリを聴けた事。
『
パンソリ』は、韓国の伝統芸能のひとつで、うたと身振りと太鼓とで物語を語る芸能で、日本の浪花節なんかに似てると思うけど、うちがノレの会のOさんに「韓国で生のパンソリが聴きたいんだけどどこに行けば聴けますか?」というメールを送ったら、ジャバルテのリーダーに聞いてくれ、そしたらなんと、うちの為に国立劇場とかで歌っているプロの歌手を仁川まで呼んでくれる事にしてくれたのでした。
うおぉお〜〜〜〜なんて事!!
チョンマルカムサハムニダー!!!
そしてやって来てくれたのがこの方↓
ウ・ジヨンさん、うちと同い年の42歳。
とにかく、すごい声、すごい迫力。
うちは瞬きするのも忘れて、見入ってしまっていましたが、何曲目かに何故か涙がほろり。
こんなに凄いものがナマで聴けて本当に幸せでした。
彼も寿[kotobuki]のオリジナルのうたが聴きたいと言ってくれたので、ギターを借りて歌ったら凄く喜んでくれて、求婚されました(笑)
いや〜うちも旦那くんがいなかったら、結婚して毎日、この声を聴いていたいわ〜と一瞬思ったりもしたが、毎日ってのも辛いかもな〜と3秒くらいで熱が冷めました。
でも、同い年って事もあって、何かお互い感じるものがありました。
最後に「お互い、いい歌を歌い続けましょう」と言って握手をしてお別れをしました。
また、韓国に行ったら会いたい一人です。
ジャバルテの打ち上げはうた、うた、うたで、その場に居た全員が一曲歌いました。
その時もキム・キョンアさんという女性がパンソリを聴かせてくれましたが、これまたすごい声で、眠気も吹っ飛んで身震いしました。
あぁ、キムチもお豆腐も旨いし、歌も巧いし、マッコリも旨くて最高!!でした。
皆、歌が巧いよ、本当に。
そして巧い上に楽しそうに歌うよ〜
この夜よ終わらないでくれ〜〜〜〜〜
しかし、翌日も朝6時にホテル出発、小松でライブなんで深夜2時にはホテルに帰りましたが、頭の中は皆の歌声や前日のパンソリの声が鳴り響いて、大興奮。
中々寝付けませんでした。
それくらい、ウ・ジヨンさんの声は強烈だったのです。
それでも何とか3時間くらいは眠って、早朝、寝ぼけ眼のうち達を、これまた飲み過ぎで目が真っ赤なジャバルテのヨンテクさんがお友達のタクシーで空港まで見送ってくれました。
そこで、この旅の全てがはかなく消えてしまう様な大事件が起こりました。
ヨンテクさんは全く日本語が喋れず、うち達といい加減な英語で会話をしておりましたが、ヨンテクさんのお友達の運転手さんは、兄弟が日本に住んでいて日本にも行った事があるとかで、「日本の歌大好き」と言ってカセットをかけ始めましたらば、それが「
ポンチャック」というスッポコリズムに乗せて歌う「釜山港へ帰れ」で、それは睡眠不足のうち達には強烈ビーム。
頭の中からはあのパンソリの歌声は消え、このスッポコで一色。
運転手さんはポンチャックが大好きらしく、「釜山港へ帰れ」が終わっても次から次へと延々と続くポンチャック。
空港に到着するまでの約50分間、後部座席でうち達はポンチャックビームを浴び続けておりました
。
小松空港に着いても、小松のライブに呼んでくれたyamaさんのお家に行っても、昼寝して目が覚めても頭の中はスッポコスッポコ♪
ちきしょ〜〜〜うちの感動を返せ!!
小松、川北町のライブ会場の集会所に着くまで、頭の中はスッポコでしたけど、集会所の前に広がる、韓国で観た景色とは全然違う日本の秋一色の景色を見たら心が静まり、いつのまにやらスッポコリズムは鳴らなくなってました。
(日本っていい国だなや〜〜〜と思わせるこの景色)
そんなスッポコ話はいいとして、今回の旅は本当にいいタイミングで、いいものを得る事が出来ました。
そんな話もまたおいおい、つらつら書いてみたいと思います。
ではでは、長々書きましたが、読んで下さり有り難うございました〜
この旅に関わって下さった全ての方に感謝を込めて〜