Archive for 2009年09月

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サクサク仕上がって行きまする〜



来年の結成25周年記念のアルバム制作中です。
今日はレコーディング3日目。
歌を少し録り直したり、ギターやキーボードを重ねたりと、この間は4人でスタジオ入りましたけど、今日は寂しく2人ぼっちの作業。

でも、サクサク終わって、明日2曲やったら終わりです。
寿[kotobuki]はレコーディングは滅多にやらないので、たまにやると楽しいな〜と思う。
ので、案外あっさり終わっちゃって寂しいなぁ〜


今回のアルバムは、全曲ミーツーニーニーの作です。
20年くらい前に演ってたサイケデリックでプログレッシブな、今の寿[kotobuki]とは随分と違う色彩のうたばかりです。
んが、かっちょいい!!!
ニーニーが本気でエレキ弾いたら、すごい事になりまっせ!!

是非爆音で聴いて欲しいっす。



20歳を過ぎて、うちは初めて沖縄に行ったけど、その頃の沖縄は何か、混沌としてた。
何度目かの「オキナワブーム」がやって来て、沖縄はとても解り易いものになった気がする。


決して解り易くなかった頃の沖縄の混沌さ、がこの頃のミーツーニーニーの楽曲にはよく表れていると思う。
20年近く、全く演る事なかった楽曲も数曲あるけれども、全然色あせてないです。
このメンバー、この楽曲で、沖縄の「ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバル」に出たい!!
そんな妄想、膨らんでるこの頃です。


ではでは、またライブでね〜〜〜〜






   

韓国ライブ


(韓国版 地下鉄のパスモ?)



大変だった片付け第一弾(まだまだ片付いちゃーいないのよぉおおおお)も無事終わり、リハビリの先生達の家屋評価も終わり、元々賃貸なので大した改修は出来ないと言ってはおりましたが、その予想を上回る改修の必要のなさに安堵しました。


さて、韓国のライブなんですけど、この間のブログにも書いた様に、本当に初めて来た国の感じが全然しなくて、それは、多分、うち達が、李政美ねーさん、パギやん、朴保親分や、今までに色んな在日のミュージシャンと仲良くさせて頂き、そのコミュニティーの中で沢山楽しませてもらっていた事も多いに影響あると思うし、今回、招いて下さった『ジャバルテ』の皆さんが、志や笑いの沸点がすごく近かったってのは、うち達を本当にリラックスさせてくれました。

3泊4日の短い間で、どんだけ爆笑した事か。

ライブの会場となったのは仁川(インチョン)市の芸術会館ホールで、もう10年も続いている「ウォルミド平和祭」の音楽祭に参加したのでした。

(ホール入り口)

(音楽祭の旗)

主催の「ジャバルテ」とは job art playの3つの単語で作られた造語で、韓国の貧困家庭の子供達に伝統芸能の伝承や文化教育の場を提供する事や、色んなアーティストに仕事の場を提供する目的で作られた団体です。


音楽祭は、時間の仕切りはともかく、内容は濃いもので韓国の実力派ミュージシャンの他に、地元のジャバルテで学ぶ子供達の歌の参加もあり、うち達のライブの後には辺野古を中心とした沖縄の映像も流れたり、歌詞も事前に渡してあったのでパワーポイントで対訳が映し出されたりと、ちゃんとしてました。
いや、ちゃんとしてましたってのも失礼なんだけど、今までの海外ライブが凄過ぎたのかもしれない、、、、


そして、ライブは、すごく盛り上がったし、楽しかったし、何よりお客さんがうち達の音楽を期待して待っててくれた感がすごくあって嬉しかったっす。

今回は通訳(有り難うね〜ミスデストロイ!!)に恵まれ、前日の金先生と李先生のご指導、ご鞭撻のお陰で「皆一緒に〜」「もう一回」をハングルで言った事がこれまたウケて更に盛り上がり、色んな方々のお力でいつもの寿[kotobuki]で演れました。
これって凄い事なんですよね。
言葉の通じない国で日本と変わらない気持ちで歌えるってことは。
だから、前回も書きましたけど、関わってくれた全ての人に感謝です。
皆さんのチカラがなかったら成功してないですもん。


このライブの模様は、スンヨンが撮ってくれたので来年発売になるライブDVDの中に収録される予定ですんで楽しみにしてて下さいな〜


うちが、今回の旅で得たものは本当に大きかったんだけど、そのひとつは念願だった生のパンソリを聴けた事。
パンソリ』は、韓国の伝統芸能のひとつで、うたと身振りと太鼓とで物語を語る芸能で、日本の浪花節なんかに似てると思うけど、うちがノレの会のOさんに「韓国で生のパンソリが聴きたいんだけどどこに行けば聴けますか?」というメールを送ったら、ジャバルテのリーダーに聞いてくれ、そしたらなんと、うちの為に国立劇場とかで歌っているプロの歌手を仁川まで呼んでくれる事にしてくれたのでした。

うおぉお〜〜〜〜なんて事!!
チョンマルカムサハムニダー!!!

そしてやって来てくれたのがこの方↓

ウ・ジヨンさん、うちと同い年の42歳。


とにかく、すごい声、すごい迫力。
うちは瞬きするのも忘れて、見入ってしまっていましたが、何曲目かに何故か涙がほろり。
こんなに凄いものがナマで聴けて本当に幸せでした。


彼も寿[kotobuki]のオリジナルのうたが聴きたいと言ってくれたので、ギターを借りて歌ったら凄く喜んでくれて、求婚されました(笑)
いや〜うちも旦那くんがいなかったら、結婚して毎日、この声を聴いていたいわ〜と一瞬思ったりもしたが、毎日ってのも辛いかもな〜と3秒くらいで熱が冷めました。


でも、同い年って事もあって、何かお互い感じるものがありました。
最後に「お互い、いい歌を歌い続けましょう」と言って握手をしてお別れをしました。
また、韓国に行ったら会いたい一人です。


ジャバルテの打ち上げはうた、うた、うたで、その場に居た全員が一曲歌いました。
その時もキム・キョンアさんという女性がパンソリを聴かせてくれましたが、これまたすごい声で、眠気も吹っ飛んで身震いしました。
あぁ、キムチもお豆腐も旨いし、歌も巧いし、マッコリも旨くて最高!!でした。
皆、歌が巧いよ、本当に。
そして巧い上に楽しそうに歌うよ〜
この夜よ終わらないでくれ〜〜〜〜〜


しかし、翌日も朝6時にホテル出発、小松でライブなんで深夜2時にはホテルに帰りましたが、頭の中は皆の歌声や前日のパンソリの声が鳴り響いて、大興奮。
中々寝付けませんでした。
それくらい、ウ・ジヨンさんの声は強烈だったのです。

それでも何とか3時間くらいは眠って、早朝、寝ぼけ眼のうち達を、これまた飲み過ぎで目が真っ赤なジャバルテのヨンテクさんがお友達のタクシーで空港まで見送ってくれました。


そこで、この旅の全てがはかなく消えてしまう様な大事件が起こりました。

ヨンテクさんは全く日本語が喋れず、うち達といい加減な英語で会話をしておりましたが、ヨンテクさんのお友達の運転手さんは、兄弟が日本に住んでいて日本にも行った事があるとかで、「日本の歌大好き」と言ってカセットをかけ始めましたらば、それが「ポンチャック」というスッポコリズムに乗せて歌う「釜山港へ帰れ」で、それは睡眠不足のうち達には強烈ビーム。
頭の中からはあのパンソリの歌声は消え、このスッポコで一色。
運転手さんはポンチャックが大好きらしく、「釜山港へ帰れ」が終わっても次から次へと延々と続くポンチャック。
空港に到着するまでの約50分間、後部座席でうち達はポンチャックビームを浴び続けておりました


小松空港に着いても、小松のライブに呼んでくれたyamaさんのお家に行っても、昼寝して目が覚めても頭の中はスッポコスッポコ♪

ちきしょ〜〜〜うちの感動を返せ!!



小松、川北町のライブ会場の集会所に着くまで、頭の中はスッポコでしたけど、集会所の前に広がる、韓国で観た景色とは全然違う日本の秋一色の景色を見たら心が静まり、いつのまにやらスッポコリズムは鳴らなくなってました。

(日本っていい国だなや〜〜〜と思わせるこの景色)


そんなスッポコ話はいいとして、今回の旅は本当にいいタイミングで、いいものを得る事が出来ました。
そんな話もまたおいおい、つらつら書いてみたいと思います。

ではでは、長々書きましたが、読んで下さり有り難うございました〜
この旅に関わって下さった全ての方に感謝を込めて〜






   

秋やのぉ〜

夏はいわゆる根菜類なんぞ、食べたいと思いもしませんが、やはり秋になると食べたくなりますなぁ〜


大根、ごぼう、根菜類じゃないけど、レンコン、カボチャなど。

昨日、近所の自然食品屋で大根が目に入った瞬間、「パリパリと沢山食べたい!!」と思い、これを作ってみました。↓


お酢と梅酢とゆずの絞り汁、お醤油、鷹の爪、料理酒、昆布を火にかけ、塩揉みした大根ぶつ切りを入れ、火を止めて、そのまま蓋して出来上がり!
これ、旨いっすよ〜〜〜〜〜
やっぱりゆず入れて大正解!!

無農薬の大根だから皮付きのまんまつくりましたけど、塩揉みして柔らかくなった部分と皮のある部分とでパリパリとしんなりのふたつの食感が楽しめます。

玄米に良く合うし〜〜〜〜〜

漬け汁が残るので、これで湯豆腐でも食べようかと。イヒヒ〜美味しそう〜


ところで、韓国ライブの事を書こうと思うが、旦那くんが10月下旬に自宅に戻る事になり、今度の金曜日にリハビリの先生の家屋調査が行われる事に、、、、、
約2年。
この1軒家を一人暮らしなのをいい事に、ひろびろ自分の思うがママに使って来たので、配置換えをしないといかんぜよ〜
あぁ〜ブログ書いてるバヤイじゃ〜ないっす!!

てなわけで、韓国ライブの話はまた後日。

ではではまたね〜

   

アンニョン ハイサイ カムサハムニダ〜

昨日、25周年記念エレキバンド編成レコーディングのベーシック録りが終わり、この長かった1週間が無事終わりました。

韓国から小松へ移動し、東京に戻って翌日は旦那くんが元居た病院へ転院し、その翌日からレコーディングと、「休みって何すか?」みたいな日々でした。

韓国の3日も小松のライブもそして、久しぶりのエレキ編成2日で7曲レコーディングも耳鳴りスゴかったけど、本当にチョンマル楽しかった!!!
皆々様、感謝です〜〜〜〜〜〜


韓国でお世話になったコンサート関係者、ジャバルテの皆々様。
日本から出演者として参加したにも関わらず、寿[kotobuki]2人の保護者の様にお世話して下さった『ノレの会』の皆様。
韓国在住の宮内さん
通訳のデストロイちゃん
本当に有り難うございました〜

(『ノレの会』の皆様と主催者の一人チャヨン氏)

韓国のオーディエンスの皆さん、主催者のみなさん、寿[kotobuki]のライブがとても良かったと誉めて下さいましたが、日本で歌う時と変わらずリラックスして歌えたのは、皆々様のお陰です。
交流会でも、楽屋でも、色んなトラブルを笑いに転化させてしまうのは、とても沖縄に似ていて、うち達はここが「初めて来た国、初めて会う人達」という事を忘れてしまってました〜
『成功』はひとえに皆様のお陰でございます。
チョンマルカンサハムニダー

キム・スンヨンと妻子の金一家にもお世話になりました。
スンヨンたちが子連れだったお陰で、韓国の人達がいかに子供が好きか、大人達だけの旅では出会えなかった韓国人の優しさに出会えました。
撮影も楽しかった!!
そして、旨かった!!

(南天門市場ぶらり旅を撮影中)

(放火され修復中の国宝南大門とナッツぎっしり、餡の味が濃い〜あんまんをがっつくナビィ)
(しこたま屋台で食べた後、更にタコ鍋をつつく我々。旨すぎる!!)

(ライブ前にチャヨン氏に連れて行ってもらったサムゲタン屋。カクテキがあまりにも美味しくてうちとチャヨン氏だけで4回おかわりしてしまった)


とまぁ、相変わらずの食い倒れツアーとなったわけですが、2日目の夜からは主催者の皆様からの歓待を受けまして、日本で「韓国行ったらあれが食べたい〜」と思っていたものは食べれなかったけど、用意されていたものは全部、どれもこれも美味しく、この国にマズいものなし!!って感じでした。

あと、うちはあんまり浅漬けのキムチが好きではなく、どちらかと言えば賞味期限も切れて2週間くらい経った酸味バリバリのが好きなんだけど、キム家と行った牛骨スープ(?)『ソルロンタン屋』では、うちの苦手なかなりぱりぱりしたキムチがで出来たんだけど、これが合うわけよね〜
このスープに。
サムゲタン屋のカクテキも、大根の甘さと辛さがあのスープに合うわけよね〜
キムチ、奥深し、、、、
して、何年も古漬けにしたキムチを煮干しと一緒に蒸し煮した、ちょ〜〜〜〜〜すっぱいキムチがむっちゃ旨くて、最後の最後までテーブルに余ったそれを食べ続け、生マッコリも飲み、翌朝のうちのお腹では新しい発酵食品が出来上がるんじゃ〜ないか?ってくらいぽこぽこ発酵してました。


そして、意外というか、海に囲まれてるんだから当然と言えばそうだけど、お塩が本当に美味しい。
市場で1キロ買って来た。

それから楽屋に差し入れで届いた韓国有機農法のりんごと桃が、アジュマシソヨ〜
それからそれから、米粉で作った餅、豆乳、朝、空港で食べたサンドイッチが、これまたマシソヨ〜
あぁ、3泊4日は短すぎる。
何でうちは分身の術が使えないかねぇ〜〜〜〜〜〜
20人くらいに増やして、もっと食べたかったわぁ〜〜〜

韓国版 食いしん坊バンザイの話はこれくらいにして、次は肝心のライブの話など書きますわ〜
ではでは〜とりあえずアンニョン〜

   

明日から韓国!!

アンニョンハセヨ〜
初韓国だけども、ゆっくりも出来なさそうな感じのスケジュール。
でも、楽しみだにゃ〜
せめて薬膳料理だけでも、ヨモギ蒸し風呂だけでも〜〜〜〜〜〜〜〜


来年リリースするライブDVDに韓国の映像も入れたいのでキム・スンヨンにも同行してもらう事になりました。
妻子をつれてついでに里帰りの彼は、エアーも宿も自分で取ってくれたので、初日のソウルはスンヨン達と同じ宿を取ろうと思い、ネットで検索。
満室、、、、
近所のゲストハウスは軒並み満室、、、、
安いホテルも満室、、、
諦めて6000円くらいのホテルを探すが満室、、、、、
そんなに9月10日にソウルに観光客が来るんかい????

全く土地勘もなく、ハングルも読めず、しかも、ソウルの地図も持ってないのでいちいち宿の日本語対応のホームページ探し、最寄り駅の情報を頼りにスンヨン泊の宿の近くかを確かめながら探す、
とても疲れる。
かれこれ、1時間半くらい経った頃、疲れてショートしてしまったので、旦那くんの病院へ行きがてら、前々から気になっていた新大久保の韓国系旅行代理店へ行って取ってもらう事にした。

看板にハングル文字があったので勝手に韓国系と思ったが、どうやら中国系だったらしく、店に入った途端中国語で話かけられ、ぽか〜〜〜〜〜〜ン。


でも、皆様、ものすごく日本語が巧くて会話には困らなかったし、「地図を持ってないからホテル周辺の地図をくれ!!」と言ったら店にいいのがないからとネットで検索しプリントアウトまでして下さりました。
すいません。


して、これはなかなか笑えました。


日本語で「発券したエアーチケットやホテルのクーポンなどの日にちや便名などの詳細は店内で必ず確認して下さい。後から間違ってた〜と言われても対処出来ないっすよ」みたいな注意書きがとても丁寧な文章で何行と書いてあるんだが、そんな文章も中国語で書いたらこんなに少ない。

おまけになにやら命令口調。
最後の「責任自負」ってのがむっちゃ解り易いが、この漢文3行だけ読んだら、何に対しての責任が自負なのかが解らんだろうに?と思うが。
それとも、大概の中国の人は「そりゃ〜この場でこう書いてあったら旅行に関しての事項に決まってんだろ?」と思うのか?

そんなこんなで旅立つ前から異文化体験を満喫しました。


旦那くんの事は気がかりではあるが、自分のいい経験となって更にいい歌に成って行く様に頑張って来たいもんです〜
ではでは、皆様。
行って来ます〜




   

想う事つらつら〜

もうすぐ例の大船観音での本番なので、電車に乗っても公演で使う曲ば〜〜〜〜〜っかり聴いていて読書もとんとしていなかったこの頃ですが、最近読んだ勝間和代さんの「起きてることは全て正しい」という本が以外にも面白かったので、友達にお薦め〜と思ってネットで出版元などを調べておるうちに、読者のレビューにたどり着きました。

ふ〜〜〜〜〜〜〜む、、、、、、
最近思う事だけど、世の中、批判家が多いねぇ、、、、
あぁ〜おそろしや〜〜〜〜


うちがこの本を面白いと思ったのは、例えばエリートの世界などは、やっぱり家柄とか家庭環境とか、「あらかじめ用意されたものが決定する」感があり、もちろん本人の努力もあるとは思うけど、やっぱりその人本人の資質というよりは外的な資質がものをいう感じがするんだけど、この本に書いてある事はどちらかと言えば自己啓発やスピリチュアル系の本に書いてある様な「自身の見方を変える事をすれば、同じ状況に陥っても結果が変えられる」という様な事が中心に書かれている様に思えた所。


今までだっていないわけじゃ〜ないけど、経済界の人がそういう切り口で言葉を綴っている事が面白いと思うし、うちの感覚では「スピリチュアル=経済にうとい」みたいな(すいません、大雑把なくくりで、、、)、して、逆に経済に強い人は反スピリチュアルな感じがするんだけど、対局にいる人、お互いの心に響くものはある様な気がするので、そう言う意味では橋渡し的な役割は果たしている様にも思います。



どんな職種でも、目に見えるものと見えないものとの双方を感じ取るチカラと、そのバランスが取れる事は大事な気がするので、こういう本はいいんじゃ〜ないかな〜と思います。


あと、この人生の大半を「起きている事に意味がある」と思って生きて来たけれど、「正しい」とは思っていなかったので、「あぁ、意味があるって事は正しいって事なんやな〜」と納得し、んじゃ〜起きてる事に間違いはないって事で、、、、
やっぱりそれを淡々と受け止めて、「ここから最善の道を行こう」と決めて進むしかないんやなぁ〜と、本を読まずしてこのタイトルだけで思いました。



旦那くんの入院中の病院に置いてあった雑誌に、世界トップレベルの日本人脳外科医のインタビューが載ってて、その中で「最終的には神に祈る」とあり、その言葉が「この患者にとって最善が起こる様に私のチカラを使って下さい」みたいな言葉で、すごい納得するものがありました。


結局、皆、今起きてる事は、自身の書いた地図がその様になっているんだろうし、今、やっている事は、自身が選んで自らそれをやっているわけで、、、、
なので、自分のやっている事が善き事に成って行く様に、祈る様に生きるしかない様な気がしますし、誰でもその様に成して行けるパワーを持っているんじゃないかと思う。


そんなわけで、今後もうちは、一回一回のライブや公演で、自分の最善を尽くす様に心がけて参る所存でございます。
ではでは、またね〜