7周年 ご卒業おめでとう!!
久々の大阪ツアーから帰って参りました。
出発前にブログ書けなかったんで今頃、23日の『吉祥寺ニライカナイ本家7周年ライブ』の事も書きます。
ニライカナイはお店が出来る前から、同系列のお店でライブをさせてもらったり、その頃ちょうど吉祥寺のGOKスタジオでレコーディングしたりしてた事もあって、建設中のお店を覗かせてもらって、お店で出すメニュー(ソバだけど)の試食したり、開店したらしたで、家に帰る前にお店に寄り、メニューにないのに、ソバによもぎいっぱい入れてもらって、その一杯で深夜まで居着き、そのまま朝まで寝てたりして、、、、、、
まるで、自分の家か店かの様な振る舞いのひどい客だが、何故かスタッフの皆々様と仲良くして戴き、今に至っています。
最近では一年に一回くらいしか行かないのに、「アニバーサリーには寿[kotobuki]」と言ってくれるのが嬉しいじゃ〜ないですか!!
有り難う〜
して、おめでとう!!
ニライカナイは、本当に料理が美味しい!!やっぱり「スバ」美味しかった!!
また行くさ〜今年はいっぱい行くさ〜ね〜
して、25日は京都の「ライトハウス」という視覚障害を持った方々の施設でライブをしました。
ライトハウスに通う訓練生の方から「『前を向いて歩こう』をクリスマス会で歌ったりして、皆大好きなうたです。3月の卒業式、終業式で皆に本物のうたを聴いてもらいたいと思っています」というライブ依頼のメールを戴き、この御縁が出来ました。
その方のメールの内容と、実際に打ち合わせをした職員の方の話で、その式は、中途失明された方々が、就労や日常生活を送るための訓練をし、その中の一部の方が卒業され、在校される方の終業式である事を知りました。
『今まで見えていた世界が病気や事故で突然見えなくなる』
というのは、どんな気持ちなんだろうか?
言葉では到底言い表せない深い哀しみや絶望を知ってる人に、寿[kotobuki]のうたが寄り添えるんだろうか?と一瞬ビビったりもしたけど、大丈夫、きっと楽しんでもらえるはず!!と思ってライトハウスに乗り込みました!!(そんな大げさなもんじゃ〜ないが、、、、)
式が終わった後の茶話会から参加させて戴き、寮生の卒業される方々のご挨拶を聞かせて頂きました。
病気や事故で、突然に視力を失った方、少しずつ見えなくなって行く方。
『失明』と言っても色んな状況があり、色んな心情がありました。
この施設で、杖を使っての歩行や、点字を読む訓練、パソコンの使い方などを訓練されたそうです。皆さん「辛い訓練だった」とおっしゃっていましたが、同時に、それを支えてくれる人達の出会いや、乗り越えられた事で、生きて行く希望が湧いたとおっしゃっていました。
「この施設に来たばっかりの時は辛過ぎて誰とも口をききたくなかった」とおっしゃってた方もいましたが、その方も寿[kotobuki]のライブの時は一緒に歌っておられました。
その方の癒しと変容の日々を思うと、うち達の方が沢山のパワーを注入されている気がしました。
「生きる希望を感じられる」
それは本当に大事な事だよね、誰にとっても。
障害のある人にも、老人にも、失業している人にも、サラリーマンにも、子供にも、主婦にも、株のデイーラーにも、教師にも、政治家にも、ミュージシャンにも。
誰にとってもね。
そして、「癒しがある」という事も。
オーディエンスがうち達の事が見えていない という状況でのライブは初めてだった。
けど、それは、すごく面白い(面白いって言葉じゃないのかもしれないけど)体験だったよ。
純粋に寿[kotobuki]の音楽だけが、身体の中に沁み入ってる感じがした。
そして、不思議だけど、やっぱりちゃんと「見ている」んだよね〜
見えない分きっとフルパワーで声と音だけを頼りに、うちとニーニーをいっぱい感じてくれていて、なんていうのか、それは「見ている」のと同じ事だと思った。
「ナビィさんが、どんなべっぴんさんか見れへんのが残念やわ〜(笑)」って言われたけど、確かにそうなんだろうけど、でも、心の中にちゃんと「ナビィ像」っていうのが広がってる感じがしたんだよね。
それは、初めて感じる事だったから、面白い体験だったよ。
そして、ライブは楽しかった!!いつもの様にね。
卒業される方々は、やっぱり不安でいっぱいだろうなと思うな。
世間は障害がある人にとって暮らし易くは出来ていないな〜と思うこの頃。
制度を充実させる事、街づくりとかも大事だと思うけど、やっぱりその根幹に想像力が必要だと思う。
夫が病気になって気づかされたけど、いわゆる「健常者」と「障害者」の壁はそんなに高くもぶ厚くもなかった。
今は「健常者」と言われる人でも、何らかの原因で「障害者」となる可能性は誰にでもある。
「もし、自分になんらかの障害があったら」という想像力や視点を持つ事はすごく大事な事だと思う。
多くの人がそうなったら、おのずと制度も街づくりも充実したものに変化して行くんじゃないかと思う。
そして、「見えない」というのは、ただ目を固く閉じる事と一緒ではないだろうし、「聞こえない」という事は耳を塞ぐ事と同じではないと思う。
メンタルな部分も含めて障害を持つってどういう事なのかを知る事や、同じ障害を持っていても心情、状況はみな違うだろうから、必要なサポートも違うだろし、なんというか、そこに寄り添うというか、気持ちが必要な気がする。
やっぱり「気持ち」が不在なものは、あまりよろしい結果に結びつかないと思うな。
『介護保険』も然り。
ただ制度があるだけだなぁ〜と思う。
ライトハウスに居たのは数時間だったけど、考えた事や得た事は大きかった!!
これを御縁にまた歌いに行けたらいいな〜と思う。
皆さん、出会ってくれて有り難う!!お世話になりました。
ではでは、長いブログを読んで下さって有り難う〜
大阪ツアーの話はまた後日。
またね〜
(京都ライトハウスの皆さんと)