Archive for 2008年11月

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世界不思議発見

病院から戻ってお家でご飯を食べながらぼんやりとテレビ朝日のサスペンスドラマを観ていたら、昨日ミーツーにーにーが「世界不思議発見がバリ特集」って言ってたのを思い出し、15分くらい過ぎていたけどチャンネルを変えて観た。
ケチャ誕生の秘密がテーマだった。

うちが「バリダンスやってます」って言うとよく皆さん「へ〜ケチャダンス?」って言うんだけど、「ケチャ」は踊りの事ではなく、あのチャッチャッ言ってる合唱の事を言うんですよね。

昔はただ男性が合唱だけしてたのをヴァルターシュピースっていうドイツ人が、バリ人と一緒にガムランの替わりにケチャを使って男性舞踊の上演を試みた。
これが大好評。
てなわけで、それが今のケチャの原型となったんだけど、ちょっと時間が短過ぎて、あの番組の作りじゃ〜バリに行った事ない人や、ケチャを観た事ない人にはちょいと解りずらかったんじゃ〜なかろうか?と思った。
まぁ、最初の15分を観ていないので何とも言えないけど。

それにしても、黒柳徹子氏、全問正解だった。
凄いな〜この人。
答えを知らされていないんだとすれば、頭の回転早過ぎ!!
うらやますぃ〜〜〜〜〜〜〜〜

番組の最後に2回のテロ事件の後、バリ島で一番夕日がきれいに見えるというので有名な(行った事ないっす!!)タナロット寺院で、追悼と二度とテロが起こらない様に願いを込めて6000人のケチャをやった時の映像が流れた。
あれは、本物を観てみたかったよ〜
凄かったなぁ〜
しかし、6000人の一番端と端、一番前と後ろはどうやっても声がずれるだろうに、どうやって合わせたんだろうか???
そんなど〜〜〜〜〜〜でもいい事が気になって仕方がなかった。


そう言えば、昔、何かの本で「ケチャ」って言葉と宮古島の「くいちゃー」は同じだって説が書いてあって、興味深かった。
くいは声 ちゃは合わせる
なので、くいちゃーは合唱っていう意味。
その本によるとケチャも「声合わす」という意味なので音も意味も同じだという事だった。
ケチャは疫病を払ったりする儀式に使われていたが、くいちゃーも雨乞いなどの儀式として歌い踊られていたので、その在り様も似ているかも。



昨日は高円寺でジョニーさんと9月の「オキナワナイト」以来共演した。
ジョニーさんってば、やっぱり歌もギターもウクレレも巧いなぁ〜
ウクレレと歌だけで、こんなに聴かせられる人ってそうそういないと思う。
して、うちがジョニーさん大絶賛なのは、なんっつてもカバー曲の対訳の巧さ。
「悲しき雨音」あれは、ジョニーさんが更に名曲に仕上げたと言っていいハズ!!
最近はジョンレノンの「イマジン」にウチナー口の歌詞をつけているんだけど、それが本当にスンバラしい〜〜〜〜
私たちは全員、20万年前にアフリカもいた女性が生んだ子供の子孫であるという仮説が何年か前に発表された。
その説も元に歌詞が出来ている。
「ワン(我)とやー(君)と兄弟どぅや」という歌詞が印象的だ。
「今から20万年前のアフリカに生まれた女性が生んだ子孫なんだよ」と続く。
こんなシンプルで印象的な対訳は誰もが付けるわけじゃないと思うので、やっぱりジョニーさんって天才なんじゃね〜〜〜〜〜〜〜〜???と思う。
会うたび、お金の話しかしない銭モー(銭の亡者の略)な所も含めて『師匠』と呼んでおります。
そんな師匠と、シャイのアニキと来年は北海道ツアーに行きます。
楽しみ〜〜〜〜〜〜〜〜

師匠と弟子

ところで、20万年前のその女性は一体誰から生まれたんだろうか???
どうやって生まれたの??
サルが進化したの??
泥?(それはないか)
宇宙人???
誰か教えてくんろ〜

   

冷たい夜ですなぁ〜

すっかり寒い、、、、、
八王子は阿佐ヶ谷より幾分寒いらしい。
八王子駅で停電とかで電車が止まったので近くのカフェでぼんやり過ごして店を出たら、そこは極寒の地。
「ひゅるり〜〜〜〜ひゅるり〜らら〜♪」石川さゆりが似合います。

「去年の今頃はマンションの立ち退きの話が出て、新しいお家を二人で探していたんだったなぁ〜」
なんて思い出したら、寒さが余計に身にしみて、涙が出て来た。
ふにふに泣いて、しょんぼりして電車に乗ったら、手前の荻窪まで爆睡。
阿佐ヶ谷駅に着いたら、なんでかすんごい元気になってた!!
詰まってたものを涙で出したら、緩んで眠くなって、眠って、して元気が出るって、本当にうちの身体は素直でわかり易くていい身体!!
自画自賛。
玄米とイワシの梅煮、ひじきを食べたら増々氣が巡って来た!


嬉しい 美味しい 楽しい 寂しい 哀しい 愛おしい
「しい」が付く感情を感じられるって大事な事よね。
「しい」を味わえる心 受け止められる身体 
心と身体を柔軟にしておかないといけないね〜



ところで、昨日、北大路欣也版「子連れ狼」の再放送の最終回を観た。
絶句の最終回だった。
チャンは不滅だと信じていたのに、、、、、
宿敵”柳生烈堂”との最後の死闘もすごいけど、死ぬ間際に息子”大五郎”に遺した言葉もすごい。
「チャンは死んでもチャンの命は永遠で、来世でも来来世でも、チャンと大五郎は親子だ。だからチャンが死んでもひるむな」って言うんだけど、、、、、
号泣しながらも「そんな事言うたかて、あんた、この子まだ3歳ですけど、、、こんな子供置いて死なんといてぇ〜」と思わず突っ込みもいれました。
江原さん、美輪様もびっくりのスピリチャルな台詞にびっくり。

でも、「子連れ狼」の中に流れる「日本人の精神論」は深い。
日本人っていうより武士道って事なんだろうけど。

やはり、特に”チャン”こと拝一刀(おがみ いっとう)は死客でもあり、柳生に命を狙われ続けて、子連れで日々死闘を繰り返していたら、死は常に隣合わせで、いつ子供を遺して死ぬかわからないわけで、そんな状況下では「どう死ぬか?」という事を常に考えざるを得なかっただろうと思う。
「どう死ぬか?」を考える事は結局「どう生きるか?」を考えるという事。
そんなテーマがこのドラマの根底に流れていた様に思う。
すげ〜ドラマだったなぁ〜
朝10時半からのドラマにしては、確かに重かった様な気もするが、、、

それにしても、孤児になった大五郎、その後どうやって生き抜いたんだろうか???
親戚も殺されちゃったし、、、気になるなぁ〜大五郎のその後、、、、、



寒いぜ、八王子の夕暮れ。夕日が美しい〜

   

InputとOutput

今日は久しぶりに、踊りの大先輩でもあり、人生の師匠でもある幸恵さんと会って、蕎麦ランチを楽しんだ。
うちと、旦那くんの事をずっと心配してくれていたんだけど、お互い忙しい身、メールのやり取りはしていたけど、「会おうね〜」と言いつつやっと1年も終わりに差し掛かって会えた。


話は相変わらず、多岐に渡るんだが結局「Input とOutputのバランスを取る事の難しさ、大切さ」に尽きた様な気がする。
それは「受け取る事と与える事」とも言い替える事が出来る。

最近話題の小室哲哉氏の事で思ったのは、彼の作ったうたは、多くのリスナー、ミュージシャンに愛されていたのに、彼はその『愛』を循環させずに自分のエゴのためだけに消費してしまった。
みんなの愛で得たお金を、愛で循環させていれば、こんな現状にはならなかったんじゃないかと思う。
例えば、自分の富を増やすために事業に投資ではなく、孤児院にピアノを送るだとか、ね。
何でもいいんだとは思うけど、きっと多くのものを受け取り過ぎて、彼の身に余る程手に入れ過ぎて
結局腐れてしまった、って感じがする。
(って、もしも多額の寄付とかしてたらすいません、小室さん)


愛情でも、お金でも、何でもそうだけど、「受け取る事と与える事」その出し入れが巧く行っていれば、気持ちのいい循環が生まれ、自分が心地良くいられるんではないか?と思う。
水が一所に留まると腐ってしまう様に、循環がとまると腐ってしまうものなんだよね。
きっと。


まぁ、そんな事をつらつら思っていたこの頃だったので、今日の話題は非常にタイムリーでした。


別れ際、病院へ行く時間までほんの数分、駅前の大きな教会に二人で入ってみた。
礼拝堂では、ラッキーな事にちょうどパイプオルガンの練習をしていて、時空を越える様な音楽に包まれながら、二人とも一言も話さずじ〜〜〜っと座っていた。
気持ちよかったなぁ〜
都会に生きてるいると、静粛にしなくてはいけない、って事があんまりない。
でも、ただただ、礼拝する人に気を使ってしずか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜にしているだけなんだけど、
それだけで、何か、自分の中が洗われて行く感じがしたよ〜
やっぱり、散々喋って発散した後は、内省が必要って事かね?
バランス、大事やねぇ〜




   

久々のウチナー


本部のホテルで、神奈川県からの修学旅行生のためのライブというお仕事で約一年ぶり(いや、一年余ってるなぁ〜)に沖縄へ行きました。
たった二泊三日だったけど、楽しかったなぁ〜

なんとか5杯ウチナースバを食べれたし、結婚式を挙げた波の上宮にも行けたし、ピクチャーズで衣装は買えたし、会いたい人には会えたし、新しいいい出会いもあったし、、、、
いい旅でーびたん。

去年までは、それ以前の10年間、那覇の宇栄原にお家があったのでホテルなんてここ何年も泊まった事なかったのに、久しぶりに那覇でホテルに泊まってすごく変な感じがしたんだけど、月日が流れるっちゅ〜のは、ああ無情って〜のか、なんなのか?今回はホテルに泊まるのに、な〜〜〜んの抵抗もなくなっていた。
到着してすぐ、波の上宮に行くついでに、鳥居の目の前のスバ屋「シーサー」に入ってみた。

この店は、ちむ屋のいっこーネーネーから「あんたも絶対好きはず」と薦められていたのだが、何度行っても休みで今回やっと念願叶って食べれたのだ〜。

う〜〜〜〜〜〜〜ん、これは、かなり美味しい。
オリジナルの麺はもちろんの事、スープがさ、本当に旨い!!もう極上の旨さ
何なのこれ?美味し過ぎません???オーナーさん。


初日からこんな美味しいスバ食べたら、後はどうすれば、、、、、
結局、久茂地『抱瓶』波の上『だるま』 本部『流木民』 古波蔵『こどら』
どの店もその店のこだわりありで、美味しかったっす。


今年の2月に高円寺『抱瓶』の那覇支店が久茂地に出来たので、顔を出して来ました。

ママのセンスが光るいいお店でした。
炎の居酒屋、男臭ムンムンの「抱瓶本店」とは違って(ごめんよ〜誉めてるんだよぉおおおお)落ち着いて沖縄の昔からある味を楽しめるお店って感じでした。
二階のゴージャスな昔のモダンなダインングテーブルが本当に素敵〜〜〜〜〜でした。

「田芋(たーんむ)りんがく」これはタロイモのきんとんみたいなやつなんだけど、本当に美味しかった〜
また食べたい!!

二日目は雨の中、本部の修学旅行の生徒さんが待つホテルへ。
知り合いの知り合いの方に音響と本部までの送迎をお願いしたんだけど、本当にいい人で助かりました。
有り難うございました〜Nさんご夫妻。
おまけに、古宇利島に移住したばかりの友人Aが「ライブ観たい!」と言って電話をくれたのをいい事に「音響の仕込み時間が短くて人手が足らないから手伝って!!」と、スバ一杯でこき使い、、、
助かったよぉ〜有り難う、Aさん。

修学旅行の生徒さん達は、残念な事に雨続きの旅で、せっかく沖縄に来たのに海関係のツアーは全部中止だったと聞き、楽しんでもらえるライブにしたいなぁ〜と思ったので、帰って来てサイトの掲示板を見て安心しました。
途中で『HY歌って』って言われて『はっ?????』って固まってしまったが、落ち着いて考えたら沖縄のロックバンドだってわかってるんだけど、正直曲は全く知らないし、うちとにーにーの間では「東屋慶名(ひがしやけな)」と覚えているので急に言われてもわからんのじゃ〜
『わからん』っていう、このうちにドン引きの生徒さん、、、、、
すまんのぉ〜


その日は南風原の友達の家に泊まり、なんだかんだと夜中までユンタクヒンタク。
翌日は、スバを食べて空港へ送ってもらった。
空港に着いて車を降りたら、またしても妙なものを発見。
沖縄って道路に必ず、こういうのが落ちてる、しかもいつも片方だけ!!


なんでだば〜〜〜〜〜〜〜〜????

   

明日から

沖縄じゃ〜
とりあえず宿の確保をしないとね〜
すっかり忘れてた。

戻って来てからも、かなり予定がパッツンパッツン
なので、しばらくブログはお休みかもにゃ〜

昨日は急にパンダねーさんとはるちゃんと夜に会って新宿で飲んだ。
二人はやっぱりパワフルだなぁ〜
相変わらず、小さい事から壮大な宇宙の果てくらい大きな事まで話題のテーマを広がるわけだが
最終的に落ち着くのは先は大爆笑。

パンダネーサンが前髪だけのウィッグを付けていて、そのきっちり切られ具合が「子連れ狼」の大五郎の様で面白かったので借りて付けてみた。
こうなった



一応昭和のアイドルを意識してみた。

今度の旧正月ライブは全員この前髪付けてみようかね〜?


ではでは、温かいはずのウチナーでスバ満喫して来ます〜


追伸:昨日はあんな寒い中「いこいの森公園」にバリダンスを観に来て下さった方々、有り難うございました。
裸足、肩出し衣装のうち達も震えましたが、じっと座って観てるのもキツかった事と思います。
風邪などひかれませんように〜
有り難う!!
またね〜

   

下栗

一時間かけて書いて全てが消えた下栗ライブについて書きますわ。
送信する前にコピペしよっと。


下栗の里は、新宿発8時のバスに乗り、約4時間半かけて着いた「飯田市」からひとつ山を越えた「上村(かみむら)」からまた更に峠をのぼり、山を越えかかる手前にある人口200人くらいの集落です。
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段々畑に住居が並んでいて、まるで、バリやタイや中国の山岳民族が暮らす村の様でした。

ライブ会場は廃校になった小学校の体育館。
ステージには、まっ黄色に色づいた葉の樹があって「すんごいオブジェですね〜」と言ったら
「やっぱりステージには樹があった方がいいってなって、さっき切って来た」とあっさり。
今まで色んな所で歌ったけど、こんなに大きな生木のオブジェは初めてどす〜


そして、古いピアノが一台。
これは、昔、昔、先生と父兄がえっちら、おっちら担いで山の麓から運んだというピアノで、廃校以来ずっと仕舞われていたものを、ジャズピアニストの佐山雅弘さんが来られた時、2日かけて調律をし復活したものなんだそうだ。
「そんな思い出深いピアノだから、弾かなくても是非飾ってやって下さい」と言われるので、こちらも是非是非という事で、だ〜〜〜〜〜〜〜れも弾かないけど我々のライブに出演して戴きました。
入学式、卒業式、色んな催し物でこのピアノは活躍したんだろうね。
そして、そんな催し物や子供達のためにピアノを運んで来た大人達の想いがうち達のライブをサポートしてくれた気がしますよ。


下栗の人達は(集落外からも来てくれた方もいました。遠い所を有り難うございました)毎年、こんな風に、有名、無名のミュージシャンを呼んで、自分達でコンサートを企画、制作をしている人達だけあって、「知らない音楽でも楽しむ」術を身につけてる人達って感じでした。
そして、打ち上げは体育館で山の恵がふんだん、てんこ、盛りの美味しい料理、大好きないづつワインもある、長野県、下栗の里でしか味わえない贅沢な打ち上げでした。

そしてさ〜下栗の人達ってば、自分の里の事すごく大好きなんよね〜
「ここはいい所」って思ってるんだな〜ってのが話をしていてすごく伝わって来た。

「ここの年寄りは、ここで採れるものの旬、一番美味しい時期を熟知していてそれを美味しく戴く術も知っていて。それを本当に尊敬している」って若者が言ってた。

沖縄に通い始めた頃、海で働く海人は実は裏の山の事も熟知してる。
自分の足で歩ける範囲の島の事はな〜〜〜〜〜〜んでも知っていて、それがすごくかっこいい!!と思った。
その時の気持ちを思い出した。
沖縄だけじゃなく、日本でも世界でもどこでも、そういう年寄りは沢山いたはず。
そして、下栗にも確実にいて、継承してるうち達世代の人もいる事がすんばらし〜なぁ〜と思った。
うちも、そういうかっこいい人になりたいなぁ〜

翌朝も、六時に里を出て7時のバスに乗らなきゃ〜ならんので21時前に解散。
お風呂に入って大爆睡。
よ〜〜〜〜寝たわ。

朝6時 里を後にする時の朝焼け

本当に神々しかったね〜
日本人は山岳信仰もあるわけだが、東京にいたら当たり前の様に朝を迎えてバタバタを一日を始めているけれど、こんな朝焼けを見たら、思わず手を合わせたくなるよな〜と思いました。

今回も沢山人にお世話になって短い下栗の滞在を終え、10年続いた相模原メイプルホールラストライブのため、再び新宿に向かったのでした。


帰って来たら、打ち上げで食べた野菜があまりに美味しかったので、「売れ残ったCDと一緒にだいたい500円分買って送ってくれ〜」とお願いしたら、ものすごい量の野菜が届きました。
ちなみに米なす、写真を参照下さい。
このでかいのがごろごろ5本も入って50円。

下栗を去っても、まだまだ山の恵旨いものツアーは続いているのでした。

お世話になった皆々様。感謝を込めて〜
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南アルプス山脈の美しい山の形


   

呆然

今の今まで一時間かかって書いた、下栗ライブの原稿がアップしようとしたらエラーで全部消えた、、
呆然、、、、、、、

もうひとつ呆然の出来事。
9月27日から10月31日までにかかった八王子の病院までの交通費を、先日計算してみたら、何と
あんた!!
おまえさん!!!
3万円を越えてた!!!
あぎじゃびろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

んで、慌てて今日、通勤定期を買ってみたらば、なんとひと月で16000円。
今まで何をやってたのかしら、、、、、、と呆然。

てなわけで、今日ももう寝る!!!!

   

長野&相模原ハードツアー

1日土曜日は朝八時新宿発の長野県飯田市行きのバスに乗り、揺られる事約4時間半。
バスターミナルから更にお迎えの車に揺られて約1時間。
上村(かみむら)下栗の里に行って参りました。

して、2日(今日)は朝、6時に下栗を出て、やはり同じ行程を辿り、12時半に相模原に着き、10年続いたメイプルホールラストライブで歌って参りました。

ハードなツアーだったなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜

ドツカレン子なんで詳細はまた後日。

下栗は、天空の村の様なすごく素敵な所でした。
迎えて下さった地元の方々も、この土地で暮らす知恵を沢山携えていて、そして音楽が大好きな人達で、もっと、もっと色んな話をしたかったなぁ〜としみじみ思いました。
山の暮らし、山の事、もっと教えて欲しい事沢山あるので、また必ず行きたい場所になりました。
そんな話もまた明日以降に。
今日はもう、寝る!!!!


下栗に入る手前の上村に入ったばかりの所にある蕎麦屋「村の茶屋」
そば粉の味が濃くて本当に美味しいおそばでした。
近所のおばちゃん達が地元の採れたものだけを使って揚げた天ぷらも美味しい。
山の恵が有り難い〜〜〜〜〜