Archive for 2006年07月

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明日からバリ〜〜〜〜〜号

こんなの踊って来ます〜<br /> 撮影 足立さん 代々木八幡にて

2月に7月1日の『ペスタスニ』(芸術祭)に出演が決まってから4ヶ月
あっという間にあと約1週間で本番!!
楽しみだなぁ〜〜〜〜〜
バリ人のガムラン隊の演奏で踊れるなんで留学するとか、長期滞在するとか、あとはバリ人から
「も〜あなたの踊り素晴らしいから、うちの村で踊って下さい〜」とでも言われる位の実力でもない限り滅多にないチャンスなんで、しかも、これからうちが留学や長期滞在する事はあり得ないと思うから
これが最初で最後のチャンスだと思うんだよね〜
下手っぴーだけど、本当に精一杯頑張って「楽しかった」っていう思いで帰国したいな〜
また『ナビィの部屋』で報告しますから読んで下さいませね〜
今日は6月23日
沖縄戦終結の日いわゆる『慰霊の日』
1945年、沖縄は日本軍とアメリカ軍の地上決戦地となり、民間人4人にひとりが戦闘に巻込まれてなくなったと言われています。
沖縄戦については、当時の沖縄と日本との植民関係があり、そこには深い「琉球差別」があったからだと私は思うので、全てを同じ様に語ってはいけないのかもしれないけれど、
沖縄の地だけでなく私の生まれた広島も、長崎も、今暮らしている東京も、空襲のあった多くの場所も、
戦地へ赴いた人も、
日本人も、アメリカ人も、ベトナム人も、朝鮮半島の人々も、内戦のあったルワンダも、、、
様々な地球上の多くの場所で、大平洋戦争に限らず、多くの戦争行為によって本当に沢山の命が奪われて行ったけど、
今、生きている私達と繋がる命が生き残ったお陰でこうして私達は生まれて来て、こうして出会った。
生き抜いた人達の話しを聞く度「こんな戦火の中を生きて来れたなんて、すごい」と思うし、ものすごく小さな、些細な、わずかな出来事で「死と生」の明暗が分けられたんだな〜と思うと「奇跡」を感じる。
その「奇跡」がまた「奇跡」と出会って多くの命が生まれた。
そう思うと、私達ひとり、ひとりが「奇跡」なんだと思う。
『慰霊の日』『終戦記念日』『原爆投下の日』
なんかをメモリアルデーにするのではなく、自分の命を想う日にしたいと思いまする。
最近、ホントに「なんでこんな事で殺すの」って事件が頻繁に起っていて、ニュース読んだり、観たりするの
嫌になります。
でもね〜殺した人が「生まれながらにして、ものすごく特殊で歪んだ人格の持ち主」か、っていうと
そうでもない気がする。
その人がその様な行為に至る過程、育った環境が一番大きな原因だと思うけど、この社会の歪みが反映されていると最近つくづく思う。
(殺人を肯定しているんではありません、念のため。)
秋田の少年殺人事件の報道の中で、加害者が壮絶ないじめに遭っていた、というのがあり、
その中で具体的に卒業アルバムか何かに寄せられたクラスメイトから彼女に向けられた言葉を読み上げていた。
色んなひどい、むごい言葉があったが
「これだけいじめてやったから人間が強くなっただろう。俺達に感謝しなさい」
という言葉を聞いた時、何とも言えない、ハラワタが煮え繰り返る様な、怒りすぎて泣きたくなった。
こういう言葉を書けるやつの方が心病んでない????
どんな家庭に育ったらこんな事、言えるわけ?
人の心を壊して、今、この人達どんな気持ちでこの事件を感じているんだろう?
彼女を「鬼母」と呼ぶ人がいたけど、「鬼母」が生まれた原因の一端を担ってるよね、この人達。
それを放っといた教師も学校も親もだけど、、、、、

心を壊され、尊厳を無視される環境に育ったら「絶対に自分は人に対して自分がやられた事をするまい」
と思うか、その逆かのどちらかになると思う。
意識的か無意識かはわからないけど、自分より弱い存在を見つけて同じ事をする。
悲惨の連鎖だ。

「いじめに遭い続けた事は可哀想な事だけど、自分でそれを跳ね返して幸せになる努力をこの人は全然してこなかったと感じる」とコメンテーターが言ってけど、
ごもっともかもしれないけど、人間ってそんなに強いか??
彼女だって「私を愛して下さい、愛させて下さい」と声を大にして言いたいと思った事もあるかもしれないけど、いじめをくり返されている状況で、自分の言葉を、願いを誰かが受け取ってくれるという確信もないのに
そんな心の言葉を吐露出来る勇気がある人なんて、この世界にどれほどいるんだろうか?
「こんな弱味を見せたら増々いじめられる」と思う人の方が圧倒的に多いのではないかと思う。
うちだったらそう思う。
かっての同級生がモザイクで、例の変な声で「お風呂に入ってなくて汚くて、いじめられる雰囲気の人だった」って言ってたけど、正論だと思うなら顔出せ!!って思いました。

どんな環境に行っても、いけ好かないやつ、ムカッ腹に来るヤツ 「あぁ〜もう目障り〜〜〜〜〜〜」と思うヤツには出会うものだと思う。
でも、そんな出会いがあるお陰でと自分ってものが解るんだと思うし、この世は自分とは異質なものとの関わりで出来上がっている、だから、ほんの些細な事でも共感しあえることが喜びなんだと思う。
「何か異質だったからいじめられても仕方ない」なんて事がテレビで平然と流されるこの国が歪んでないか?
いじめてもいいって思う人だって充分異常者でしょ?

「特殊な心の歪んだ人が起こした殺人事件」って報道ではなく、誰が、何がそこまで歪ませたのか?
私達社会全体の問題なんだから、どうすればそういう社会じゃなくなるかって事を考えさせる様な報道をして欲しいし、私達も考えないとね。
でないと、こういう事件は起り続けるでしょうし、その内、うち達もマヒしちゃってもっと恐ろしい事件になって行くような気がする。
先ず、こんな風に簡単に殺される命がある社会って何かおかしい、って認識を持たないとね。
重い話になりましたが「命を想う日」にそんな事思いました。