久々ですじゃ!!号
みなさまお元気でしょうか?
『アイスランド日記3』が掲載されて実に一月以上、『ナビィの部屋』が更新されておりませんでしたのぉ〜
とにかく忙しい、、、、、
何がって例のバリでの芸術祭に参加するためのバリダンスの練習が週に2回、
それとは別の練習が1回
んで、三線の練習もあり、ライブあり、家事もやらにぁ〜ならんし、打ち合わせもあるし、、、
まぁ、こんな職業ですからヒマで暇でしょうがない、ってよりはいいけどさ〜
「心を亡くす」と書いて「忙しい」
漢字ってのはすごいよね。本当にその通り。
忙しさの余り、うちは心亡くしてギスギス、トゲトゲしておりましたよ、ええ、はい。
一日の中で何を優先してやればいいのか?がわからなくなって、家事が終わらない事や、充分に練習出来ない事や(今は三線の練習が充分出来てないなぁ〜)自分がうまく時間を使いこなせない事や、、、、
そんなこんなでイライラが募るわけだが、、、
本当はさ、うただって、踊りだって、結婚した事も、家事をする事も自分がやりたくてやってる事なんだよね「唄う事大好き、踊る事大好き、料理するの好き」とかさ、「好きだからやってる、自分がやりたくてやってる」そういうシンプルな事を、自分の心を忘れちゃう
人のためにやってるわけじゃ〜ない。
「喜ばせたい」のは「喜ぶ顔を見ると自分が嬉しい」からだし、練習するのは巧くなりたいからだし、、、
そういう大切な心を見失う事、それを昔の人達は「心を亡くす」言ってたんじゃないかな〜と。
まぁ、ひとそれぞれに忙しくなった時、うちと同じシチュエーションになるとは限らないだろうけど、
うちの場合、割と心が乾くというか、ギスギスしがちだわけよね〜
潤いや水分や潤滑油とか、そういうモノが足りなくなる感じ。
んで、な〜んか自分が枯れてゆくような感じがして、すご〜〜く寂しくなったり、、、、
そういう気持ちが占める面積の割合が心の中で広がって、ますます自分の本当の気持ちが見えなくなる。
そんな悪循環にハマるってのが割とパターンの様ですなぁ〜
寿[kotobuki]の「我うたう愛のうた」の歌詞じゃないけど、あげてもなくならない。
心を縛って閉じ込めてながれて行かない様にしたら、愛も水も油も腐って、枯れて無くなって
心の養分がなくなる。
でも、そうしなければ、永遠に続く水の流れの様になくなりもしないし、渇れもしないんだよね。
あぁ、、、、そんな事、日々唄っているのにねぇ、、、、、しょ〜んぼり。
自分で自分を追い詰めた時、がんじがらめになった呪縛を自分で解いてあげる優しさや、空虚や寂しさに気がついてあげる目が必要なんだなぁ〜とつくづく思う。
人から優しくしてもらうのは確かに気持ちいいんだけど、「私の泉は渇れてしまったのぉおお」
って悲観に暮れてる心は、まかり間違って厳しいお言葉なんて言われようものなら、例えそれが自分の事を思って言ってくれた言葉であっても「なんでそんな事言われなきゃなんないのよ」と逆恨み、、、、、
大変めんどくさい人になっちゃったりなんかして〜〜〜
うぉ〜〜〜〜耳痛い!!
どんなに忙しくても、自分への愛情を忘れたらいかんぜよ、と反省のこの頃なのでした。