週刊「ナビィ、の部屋」第39号
暑いってサイコ〜〜〜〜
暑い!!暑いってサイコ〜〜〜〜
すいか、ぜんざい、マンゴー、ナーベラーのみそ炒め、パクチーの大量にかかった汁ビーフン、『ちむ屋』の冷やし沖縄そば。
青い空、沸き立つ雲、通り雨、風鈴の音。
夏を彩る大好きなモノ達よ、永遠なれ、、、、(意味不明)
全然関係ないけど、子供の頃から知らない道、初めての道を通る事が大好きだった。
結果道に迷って帰れなくなって大騒ぎになったり、色んな事があったけど、大好きだった。
今でも大好きで、何度か通った所でも「あれ?この道は知らないかも?」と思うと何処へ続くのか解らなくても、歩いてしまう。
ふらふらと旅に出てしまうこの癖は、その素養は子供の頃からあったのかもしれないね。
そうは見えないらしいけど、うちはさ、実はものすごく怖がりで臆病な人なの。
一度積み重ねたものを、その方がいいと解っていても中々手放せなかったり、、手放した結果、何も新しいものを手にする事が出来なかったらどうしょう、、、って思うからなんだけど、、、、、
まぁ、誰でもそういうのってあると思うけどね。
でも、最近うちは少しずつ変わって来た気がする。
新しくなっていく自分を見てみたい、って思う様になった。
「どうしょう」って恐怖よりも、「楽しみ〜」って気持が勝って来た様な気がする。
新しくなって行くようでいて、実は自分が気付かなかった自分の本質に近付いてるだけなのかも、、、とも思ったりもする。
でもさ、そう思い始めて振り返ってみると、寿[kotobuki]をやり続ける事こそ、それこそが、新しい未知の道を歩く事であったし、自分の本質に戻ってゆく旅だったんじゃないか?と思い始めた。
うちにとって寿[kotobuki]とは沖縄、それもナーグシクヨシミツの沖縄を歌う事であり、歌い継がれた民謡を歌う事であり、、、、
それは「わたし」の中から自然と出て来たものではないから、そのココロを知る事、理解しょうとする事、それを歌う事は、何かを形作っては壊し(壊れ)また作っては壊し、、、のくり返しだったし、自分のモノにするには(なってないかも、、だけどね)時間のかかる事よね。
でも、その度に新しい発見、やり方、関係性を見い出し、喜びや至福に変えてゆけたんだと思う。
「手放すの怖い」って言いながら、いつの間にかそうやっていたんだよね。
そこには支えになってくれる人がいたからってのはもちろんだけど、やっぱりにーにーのうたがあったから続けてこれたんだよね、って思う。
うちもにーにーも器用な人ではないから、自分の引き出しにあるものしか出せないし、「こんなうた作ればもっと売れるのに、、、」とか言われても、そんなの出来っこない、、、
『A-YO』のプロモーションの時「オキナワンソウルミュージックと呼んで欲しい」と言ったら、いろんな人達から「ブラックミュージックだと誤解を受けるから止めた方がいい」って言われた。
二つの魂(ソウル)が寿[kotobuki]の音楽なんだからさ、、そしてその音楽の生まれた場所が沖縄だから『オキナワンソウルミュージック』でいいんじゃーない?って思うし、うち達のソウルミュージックを確立したいし、浸透させたい、って思う。
いいうたを、音楽をやってゆきます。皆様これからも応援して下さいませ。