週刊「ナビィ、の部屋」第34号
チリ編 DOS
2日目の夕方、教会の中を見たくてうろうろしてたうち達に声をかけてくれたアリシアって女性と20分くらいかけて遠くの教会まで歩いた。
ちょうどミサをやってた教会に入れてもらった。
クリスチャンでもないうち達に、これからの旅に神の御加護があるように、と言って『キリストの肉』といわれるミルク味の御菓子を司祭様からいただける様にしてくれた。
それを頂いたら、うちは素直に「自分の中に神様の一部が入ったから、これからはキリストも守ってくれるハズ」って思えた。
そうアリシアに伝えたら、彼女は力いっぱい抱きしめてくれて、キスをしてくれた。
「別にあなたが信者じゃなくてもいい、神様に守られてると、そう思った事がとても嬉しい」って言ってた。
『神様はみんなのもの』そう思ってるのかもしれない。
チリ3日目はピースボートの乗船者達とオプショナルツアーに参加して、要人、有名人が葬られてる墓地と、一般市民の墓地見学と、『ビクトル.ハラ財団』を訊ねた。
チリは、かって軍事政権に措かれ、政府と相容れない思想の持ち主、表現活動をしている人達がことごとく、スパイ、政治犯として、誘拐され虐殺された。
一般市民の墓地には、やはり政治犯として殺された『ビクトル.ハラ』のお墓もあった。
日本でも『平和に生きる権利』といううたが、チリの軍事政権打倒を支持する人々から広がり始め、ちょっとしたヒットになったらしい。
うちはソウルフラワーユニオンのライブで知ったけど、、、、
いい歌だよ。少しフォルクローレの匂いを感じるし、歌詞もめちゃくちゃいいよ。
ソウルの中川氏の訳もとても素敵だ。
一般市民墓地を見学した後、軍事政権下で誘拐されたり、殺されたりした被害者家族の会の人達のお話を聞いた。
墓地の入り口に大きな石碑があってそこに被害者の名前と被害にあった年齢が彫られている、その前でお話を聞いた。
フィリピンであったQTやパレスチナのラミの事を思い出した。
人は生まれる国や年代は選べない。
幸せに生きる、そのために生まれてくれはずなのに、
生まれた国、年代が違うという、ただそれだけの事で何故この様に生きる境遇が違ってしまうのだろう。
その事実を、どうやって受け止めろと言うんだろう?
うちはかなりつらくなってきて、泣いてしまった。
泣いて、止まらなくなった時、ガブリエラという被害者の会の女性が抱きしめてくれた。
ただ、何も言わず抱きしめてくれた。
彼女たちはこの石碑をもっと意味もあるものにするために動いている。
『チレーノは軍事政権という最悪の政権下で沢山の被害者を出した。私達は軍事政権だけでなく、人々が平和に生きる権利をはく奪するあらゆる行為を許す事はしない、恒久平和の誓いとしてこの石碑をもっと意味のあるものに作り直したい。だから、やらなければならない事は沢山あります。まず、平和の象徴として、石碑の間を水が流れる様に、と計画しているんです』
うちを抱きしめ、そう話しをしてくれたガブリエラは末期癌だ。
ガブリエラには末期癌とは思えない穏やかなムードが漂っている。
別れ際、うちは彼女の手を握って『必ずまた会いましょう』と言うのが精一杯だった。
彼女は『早いうちに実現しないとね』と言って笑って手を握ってくれた。
誰よりも『死』を感じているのは、彼女自身なのだと思う。
昼食後『ビクトル.ハラ財団』へ向かった。
生前のライブの映像や、写真を見、彼の語った言葉や、殺された時、遺体を引き取りにいった奥さんのお話しを聞いた。
ビデオで観た、ギタ−を弾きながら歌うハラはキラキラしていて、妖精でも飛んでいるかの様だった。
「優しい」という事は、本当はものすごく損な事なのだろうか?
何故殺されなければならなかったというのか?
彼の遺体は両方の手首が切り落とされていたそうだ。
「2度とギターを弾けない様に」と、、、、
平和でなければうたさえも歌えない。
歌でさえもだ。
歌っても、踊っても、殺されない今のこの境遇、
この『平和』をもう一度、噛み締めなくてはいけない。
要人のお墓を案内してくれた墓守りのおじぃが話してくれた言葉の中に、軍事クーデターによって殺されたアジェンデ大統領が、自身が殺されると分かって、チリ国民に遺した言葉を教えてくれた。
この通りの言葉ではなかったかもしれないけど、
『チリの人々よ、今は欺瞞に満ち、誰を、何を信じていいのか分からない状況になっているが、決して嘆かず、あきらめず、そして死なないで下さい。新しい道は必ず開かれる。その道を歩き始める事は必ず出来る。そしてその道を歩き始めた時、チリの新しい歴史は始るのだ。だから、嘆かず、諦めず、生きて下さい』
すごい言葉だと思う。自分が殺されると知っていて、こんな言葉中々出ないよ。
彼は本当にチリを愛していたんだね。
チリの人々の優しさや、今の穏やかそうに見える暮らし振りや平和は、彼らが自分達自身の手でつかみ取り、培ったものだと思う。
そして、そんなしなやかな自信が、彼らには在る様に思えた。もっとチリにいたいな、、、そう思った。
サンチャゴを後にして、船の停泊する港町バルパライソへ。
移動の際、いろいろトラブルが発生して、本当はここで2時間くらい散策出来るはずだったんだけど、結局40分もない状況になり、晩ご飯を買うために港の近くを歩いた。
普通のカフェの窓にゲバラの肖像画が飾ってあった。
チリにもゲバラの支援者が沢山いたらしい。
中南米全土に広がった軍事政権と、それと戦う人達のネットワークが、同じ様に広がっていた事を物語ってると思った。
そして、その恐怖政治の中で傷付いた人達の心も、実はまだ癒されてはいないのかもしれないとも思った。