Archive for 1998年11月

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『ナビィ』からの手紙 第5弾

皆々様、がんじゅーですか? ナビィは元気っスョー
 2月16日、あのゴージャスなメンバーでクアトロライブやりま〜す。

 この日はウチナーの旧正月。ハレルヤーなライブにしたいですな…

 さて今回は、「ナイチャー イズ ネイバース?」(仲村梁シンシア著)という本について書きましょう。

 2回読んでやっぱし空しくなってしまった… 学ぶところもあるのですが...

 とにかく、怒りまくってるのです。この人は。「しょせん、大和人は、沖縄のことなど理解できないし、理解しようとも思っとらん無神経な民族なのだ」という様なことが書きたかったのか、全編、こんな調子です。

 『民族』ということで言えば、どんなに私がウチナーを好きでもウチナーに住もうが、大和人なのでこの人の怒りや、琉球民族としての痛み、怒りは心底理解することはできないと思うけど、『個人』ということで言えば、私がどの様に沖縄を好きでも、何を好きでも、誰にもケチはつけられない!と思うのです。

 それを他人が判るかどうかということは別として、個人の感性を「まちがっとる」ということはある種の暴力だと思うのです。が、この人はこの暴力を一冊の本にくり広げてました。

 余談になりますが、私はけっこうこの手の暴力の中で育ちました。特に、母親が期待する言動が出来ないと、「あんたはくだらない」とか「なんであんたはそうなのか」とかネチネチと責められたものでした。

 実際よく手もあげられたし、今となっては「なんでお母さんの好きなものを私が全部好きにならんといけんの?」って思うけど、子供の頃は、何でこんなに責められるのか理解できず、自ら道化のように振舞ってなんとか親に愛されようとしてたし、それが報われないんだと判ると、家には居ないようにするとか、なるべく部屋にこもって会わない様にするとか、「もう断絶」ってやり方を選んだり、多かれ少なかれ皆あることとはおもいますが…

 上京するまでこんな感じでした。

 上京して色々な人と出会って27才の頃、自分には強烈な「劣等感」があり、常に「私は誰からも受け入れてもらえない」という淋しさと不安と怒りが支配していることに気付きました。そしてそれは子供の頃、両親、とりまく社会から与えられたメッセージだった ということを認めなければならなかったし、傷ついたことを認め、受け入れ、自分でいやし、自身を認めるという努力をしなければと思いました。

 今もその過中ではありますが、唄ったり踊ったりすることは自分を信頼するということに結びついていると思いますし、周りの人々の愛情も支えになっていると思います。「世界は自分を否定するだけではない」と思えたことは本当に有難く、大切なことでした。

 目には見えない愛情を沢山受け取っていること、私も人々に与えていること、それを感じ得たことはとても大きく、自分の道を広げていると思います。随分長々と私のことばかり書きました、が、私が、この本を自分の問題に置き換えただけかもしれませんし、多分40才位の彼女が、いやされてこなかった日本社会を情けなく思い、怒りもありますが、誰よりも琉球人としてのプライドを傷つけているのは、彼女自身の様に思えます。

 文中、彼女は大和人のライターの書いた文章をこきおろしてる箇所が多くあります。(確かに「そりゃ変だ」と思う文章もありましたが…)彼らが直接彼女を傷つけてる訳でも、史実が事実と違うことを書いている訳でもないと思うのですが… ひどい時は「バカ」扱いです。

 あらゆる意味で他人を殺している人は結局自分自身を殺していると思います。この様に書くことで彼女の劣等感を浮きぼらせただけの様に思います。「基地を大和に移転しろ」という意見も私は嫌いです。

 彼女にも複雑な想いはあるようですが、沖縄に基地があること、地方に原発があること、莫大なゴミを地方の人々が受け入れてること、全ては日本人、日本社会の問題で、私達のエゴによってこの問題があるということを皆が認識しなければならないと思います。

 又、少しずつでも出来る所から、自分の生活から変えていくべきだと思います。知念良吉さんのうたではありませんが、まさに「オレの心の在り方 それが戦争(基地)を生むのさー」です。

 そんなこんなで私はこの本を読んで空しかった訳なのです。仲村梁さんにとっては大きなお世話で失礼極まりないことも書いちゃいましたが… 皆さんも読んでみて下さい。

「ナイチャー イズ ネイバース?」仲村梁シンシア著 出版:冒険社、です。

 では長々とすいませーん。

 読んでくださり有難う。