共感するということ
(2011.03.26 日々のつぶやき)
広島出身のうちとしては、常日頃から「核」「放射能」というものに認識について、違和感を感じる事が多いです。
昨日、ちらっと観たテレビで、そのコメンテーターは「地震、津波により」と言いたかったんだろうとは思いますが、福島原発の事故を「我が国初の未曾有の事故」と言ってました。
けど、戦争か生活のためかという利用の仕方は違えど「核や放射能の恐怖」というものは、ヒロシマ・ナガサキという2つの都市に原爆を投下された歴史があり、人間の想定外の事故が起きた時、想定出来る事をはるかに越える事故になる事は「東海村」の臨海事故で知ったはず。
世界のどの国よりも事例が多く、過去に学べばこの様な人災(そもそも地震大国にこれほどの原発を作る事自体、おかしいと私は思いますが)を防ぐ事ことは出来ていたのではないでしょうか?
まるで自然災害の様に言っている事に違和感を感じました。
バリから戻る飛行機の機内誌の表紙に「放射能が来る」という言葉がありました。
来るも何も、今、放射能に汚染された地域の中にいる人が存在するってのに、、、、
それは、「東京」という離れた場所で編集をする人が選ぶ言葉の様に思え、そこにもとっても違和感を感じました。
帰国して色んな人と話すうち、「共感する」という事について考える様になりました。
人に苦しみ、痛み、哀しみに共感出来る能力は、人間の持つ素晴らしい能力だと思いますが、恐怖心、罪悪感は、入って来る情報を歪ませ、不要な行動を生み、何より負のエネルギーを生みます。
この様な大惨事になり、犠牲になってでも被害を最小にとどめようとしている人が居てくれる中、私は東京で殆ど普段と変わらない生活を送れています。
いつもと変わらず、洗濯が出来ること、電車に乗れること、お湯が使えること、こうしてブログが書けること、ご飯が食べられること、、、
それは、涙が出るほど感謝をするべき事の様に思います。
「感謝をする」
それもひとつの共感だと思います。
生きているものには、直接の被害者ではないものには、その努めがあると思います。
私は私の事をちゃんとやり、必要なものが必要とする人のもとにちゃんと届けられる様、物資、お金が回るように、日本の経済活動が普通に戻る様に、元気でいる事が私の努めかと思います。
ではでは、また。

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