一段落
(2010.11.13 日々のつぶやき)
考えてみれば、人間関係っていうのは(親子や夫婦は特化されると思うけど)「これは人生最大の学びや〜!!」と思える様なギフトをもらったりあげたりしているもんだと思うから、この状況だから拡大されてそう感じているけど、普通の事ではあるしね。
だから、上記の女性の様にやりがいを持って出来る人というのは、天職なのだと思う。
彼女は今後、医療関係の仕事に従事し、介護を仕事にしたいと言っていたのはうなずける。
ただ、その一方で、自身がうつ病という病を負っている事に対して、どう感じているのかがあまりクローズアップされておらず、良く判らないけれど、自身を責める言葉も出て来ていて、それは観ていて苦しかった。
彼女の場合、母親が身体が上手く動かないらしく、介護の全てを一人でこなしているらしいけど、それだけ頑張っているのにも拘らず「私が悪い」と言ってしまうのはどうなのか?と。
テレビでは見えない、例えば親子の関係とか色んな背景がその言葉の中には凝縮されているのだとは思うが、そこに何か救いの手はないのか?と思ってしまった。
例え世間から「自分勝手」と言われても、やっぱりいい意味で自分本位に生きた方がいいんじゃないかと思う。
うちは場合は上手くコミュニケーションがとれないのでそう思うのかもしれないが、例えばうちが、自分の事を投げ打って彼のためにと必死になって生き
「介護こそが私のあなたへの愛の証明なのよ〜〜〜」と思っていたとして、
それをヨーイチくんが
「そんな恩着せがましい愛はやめてくれ〜」と思うか
「しんどそうな顔するくらいなら自分の事やってくれよ〜」と思うか
「その愛上等!!お前はオレ様のために人生を捧げるのだ〜〜〜ゲヒヒ〜」と思うか、
な〜〜〜〜〜〜〜〜んもわからん。
相手本意に生きても、その手応えは得れないし、結論は常に自己満足、自己完結という相手が存在しない虚しいものにしかならないと思う。
でも、自分の事はわかる。
自分がどうしたいのか?何をすれば嬉しくて、どうなるとイライラして、どうやって解消出来るか。
それは、うちだけじゃなく、大概、人は自分の事ならわかるんじゃなかろうか?
うちがパニックになる時は「自分がどうしたいのか?」がわからなくなる時だけど、それも大概、皆そうなんじゃなかろうか?と思う。
一番注目するべきは自分自身なのではないかと思う。
そして、自分の中にあるものと外側の状況との折り合いをつけ、その時のベストな選択が出来る様にバランスをとって生きるという事が大事な様に思います。
そんなこんなで、この時期に色々感じる事、考える事が出来た日でございました。
ではでは、長々と書いちまいましたが読んで下さり有り難うございました〜
次は『結いまーる』でライブでございます。
ライブで会いましょう〜
[End]
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