ダライ・ラマ法皇
(2010.06.27 日々のつぶやき)
そして、他の「何か答えを下さい」というカリスマへの期待が込められた質問に対して全く応えない姿は、見ていて清々しいものがありました。
それとは反対に、「日々、慈悲とは何か、利他の心とはなにか?を学び、実践しているはずなのに、怒りの感情は消えず、何か寂しい気持ちがするのは何故なのか?」という質問や、「子供時代に親の虐待や愛情に恵まれず大人になった人が、慈悲の心や愛情を持って人や社会と向き合うためにどんな事をすればいいのか?」という質問に対して、「少しずつの変化を認める」という答えを出していたのも、印象的でした。
一人目の人には「その事を一番始めに考えた時、実践し始めた時とは、寂しさや怒りの度合いは少なくなっているはず。そうやって変化している自分を認める事」
2人目の人には「愛とは何かを考え、愛を受け取る事、与える事を少しずつ学び、変化をする事」という答えをそれぞれに語った後で、「繊細な問題ほど、変化は微細なものです。赤ちゃんが突然大人になる様な変化はなくても、あなたは少しずつ、少しずつ変化をしている(して行く)のです。少しずつでも変化をしている自分をどうか「良いもの」と思って愛を持って見つめて下さい」と言う様な事をおっしゃっていました。
その様な言葉を発せられる時の法皇は、本当に熱が込もっていて、聴衆の心に刻み付ける様なゼスチャーがつきます。
それは、その質問が、仏教の「慈悲の心、愛の心を持って生きる」という教えが答えとなるからなんじゃないかと思う。
愛を持って、自分の人生を見つめる。
それは、まさにチベット仏教の最高指導者「ダライ・ラマ14世」だから言える答えで、「ダライ・ラマ」として世界の人に伝えたい事のひとつなんだろうなと思った。
今回初めて法皇にお会いして、「法皇はただ「ダライ・ラマ14世」という自分に与えられた人生(運命?)を全うしようとしているだけなんだ」という事を感じました。
数奇な運命を辿って世界中を巡って、本当に特別な存在ではあるけれど、本人はそのようでありたいとは願っていないんじゃないかと思う。
帰り際、「可愛かったね〜」と言ってる人がいて、悪気はないんだろうけれど、相当な違和感を感じてしまった。
いや、確かにとてもチャーミングで愛らしい方ではあるんだけれど、、、、、
法皇が世界を巡ってチベット仏教の心を伝えている理由は、各国(特に影響力のある先進国)の人々が愛と慈悲を知り、学び、自分自身を愛を持って見つめた時、「他者も愛で満たされる事がなかったら自分も満たされない」と気が付き、共生、共存の心が芽生える。
そういう人が地球上に増えたら、チベットの問題も愛を持って解決する、という希望を持っているからなんじゃないかと思う。
それは、やっぱり相当厳しい人生で、でも、それが「ダライ・ラマ14世」としての運命だと、自分の役目として受け入れて、強く生きているという風に感じたので、やっぱり「可愛い〜」は違うんじゃないかなぁ〜と思ったのでした。
そんなわけで、初めて本物、生 ダライ・ラマ法皇にお会いして、写真で見るのは全然違う、強さや厳しさを感じて帰って来ました。
して、うちは、やっぱり、亡命した多くのチベット人とダライ・ラマ14世や他の高僧たちがチベットの地に帰れる様に。
どうどうとチベットの国旗を掲げ、チベット語を話し、信仰を大切に出来る、
一日も早くそんな日が来て欲しいと思ったのでした。
チベットハウスはダライ・ラマ法王日本代表部事務所内にあるチベットサポート機関です。
興味にある方は是非、サイトを見てみてください。
http://www.tibethouse.jp/home.html
明日は、いよいよお楽しみ、朴保ともの2マンライブです。
お時間あります方は是非お越し下さいませ〜〜
ではまた。
ナビィ
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