ダライ・ラマ法皇
(2010.06.27 日々のつぶやき)
今日は朝8時に家を出てパシフィコ横浜へ「ダライ・ラマ法皇 講演会」へ行って来ました。

明日はライブで忙しいし、一昨年くらいから法皇が来日される度に講演会やチベットハウス関係の方からパーティーのお誘いを頂いたりしていたのに、ライブと重なってて全然行けなかったので、今回こそは!!!と思って、ヨーイチくんにはショートステイにお泊まりしてもらい、約半日の長い講演会に参加しました。
午前中は法話会だったのでかなり難しい仏教専門用語もあり、友達と共にこっくり、こっくり船を漕ぎまくり、、、、
途中で「はい!!それってどういう仏様ですか?」と手を挙げて質問したろか?と思った事は4度や5度ではなかったですわい。
午後は一般向けのお話で『幸せの本質』〜共生と共存の未来へ向けて〜というテーマで語られました。
そのお話はとても判り易く、特に「世界は自国の経済の発展を考える時、自分の国の利益だけを考えていればいい時代は終わりました。」という言葉はとても印象に残りました。
2009年から2010年の年明けあたりにふと、私たち全人類にといっての共通の財産って何だろうって考えたら、この「地球」なんじゃないかと思ったんですよね。
どこかの星に移住って話もあるけれど、でも、地球上の生命体はこの星で生きて行くのにふさわしい様に進化して来たんだと思うので、例えば移住して地球環境と違う星で暮らして行くための生命維持装置みたいなのを付けて暮らしたとしても、必ず無理が生じて多分生きて行く事が困難になるだろうし、ほんの一握りの人が生き延びれても、その星で生きて行くのにふさわしい状態になるには、地球で人類が進化した時間と同じくらいの時間を要するんじゃないかと思うんですけど、、、、
まぁ、専門家じゃ〜ないので想像でしかありませんが。
とりあえず、地球での暮らしと同じ暮らしを求めて他の星に移住してみたところで、同じ暮らしは営めないんじゃないかと思ってるんです。
長い時間をかけて、今、うち達の目に写るもの、聞こえるもの、感じるもの、触れられるもの、心が動かされるもの、
どうしようもなく悲しい事や、嬉しい事や、素晴らしい事も素晴らしくない事も、今ここに在る全てが「地球だから」こそ存在し得たもの。
私が、あなたが今ここにいるのも、先ずこの地球ありき、地球があってこそ。
だから、この地球は、どんな民族にとっても、どんな宗教を信仰している人にとっても、皆が大切にしなくてはいけない共通の財産なんじゃないかと思ったわけです。
『地球は全人類の共通の財産』
という視点で環境問題や京都議定書の事を考えたら、「自国の経済優先のために」という様な考えや言葉は出ないだろうと思うし、地球(財産)を守る事が利益となる事を考えるんじゃないかな〜と、そんな事を思ったわけです。
法皇は、あくまでも仏教の教えに基づいて上の様な言葉をおっしゃられていて、それは「全ての生きとし生けるものは互いに関わり合い、お互いの存在がなしに、ひとつの種だけで生きる事は出来ない、という仏教的な観点から見れば、世界経済もまた同じです。全ての国が関わりあっており、意識していてもしていなくも、すでに私たちは「共生、共存」している」というモノ(かなり要約してますが)なので、うちが思っている様な事とは全然違う視点からの言葉なんだけど、何となく、同じ事を言ってる様な気がして、勝手に納得してました。
あと、法皇は著作やインタビュー本の中で「私は仏やブッダの生まれ変わりではなく、ただ一人の僧侶でしかありません。
私に何か特別なチカラがあるのなら、今のチベットのおかれている状況を変える事も出来るかもしれませんが、私にはその様なチカラはないのです。」と言う様な事を常に言われていて、例えば、今日の質疑応答の中で「どうすれば、〜〜の様な自分になれますか?」という様な質問に対して「その答えはあなた自身が一番良く知っているはずだし、あなた自身にしか答えは出せない」という様な言葉をおっしゃられていたのも印象的でした。
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