裁きたい人々???
(2010.03.14 日々のつぶやき)
先日、我が家の近所で道に迷った。
大丈夫かぁぁぁぁ?私?
そしたら、こんなにたわわに実る春がありました。

(たわわやねぇ〜)
通った事のない道だっただけでめっちゃ近所でしたわ。
週刊誌とか病院や銀行の待合室でしか読まないので、本当のところ、どうか書かれているのか知らないけれど、電車の吊り広告に、今話題の愛子さまの不登校(なの?)問題の見出しを見て、げんなりした。
要するに、不登校にした犯人はこいつらだ!!みたいな感じで学校と、暴力癖があると噂されるあの児童はこんなやつ、みたいな、犯人探しと叩きの見出しだったんですけどね。
そんな風に裁いたり暴いたりする事がそんなに大事な事なんだろうか?
ニュース番組を観ていて思うのは、もっともっと深刻な問題で学校に行けない子供は沢山いるんだと思うんだけど、その子供達が、こんな風に社会や地域やもしかしたら家族から関心を持たれているか?と言ったらそうでもない子供もいるんじゃないかなという事。
まぁ、過剰なくらいに関心が注がれ過ぎるのも「辛い」と本人達は思ってるかもしれないけど。
6歳になったら小学校に行き、中学、高校へと進む事が当たり前になってるこの国で「行かない」事を(本人は「行けない」と思ってるかもしれないけれど)選ぶって事は相当な事だと思う。
子供はどんなに今置かれている環境が劣悪であっても、自らの意志や力でその環境を変える事や変える事を選ぶ事が出来ない。
子供は、親や大人の都合に振り回されてると言っても過言ではないと思う。
だから、大人はよ〜〜〜〜〜〜く考えて選択、行動をしないといけないし、それが子供に対しての責任なんだと思う。
学校に行けない、学校で暴力をふるう、いずれにしろ、子供は何かのサインを発してるわけで、我々、大人が何かおかしいんだと思うな。
そのサインに対して、大人がどう向き合って行くかを試されているんじゃなかろうか?と思うし、世の中の不登校と言われる子供達にも同じように、近くにいる大人達の関心が向けられる事を願っている。
そして政権交代後の大手柄とでもいいますか?
アメリカとの多岐に渡る密約の数々とその文書の紛失の問題。
琉球朝日放送に土江さんという女性ディレクターがいらして、数年前に彼女が制作を担当した、当時毎日新聞の記者で沖縄返還についての日米間の密約をスクープし、その後、国家反逆の罪で起訴された西山さんの事を番組にしたのを観た。
その問題は結局、西山さんが外務省の女性事務次官を愛人にし、そこから密約を嗅ぎ付けた事(密約を嗅ぎ付けたから資料を入手するために愛人にしたのかもしれない)が発覚し、裁判は一気に密約問題よりも男女問題にすり替わってしまった。
それは、意図的に積極的にすり替えたのだと思うけれど、国家が国民を欺いてアメリカに都合のいい条約にサインをしたという事実を隠蔽し、暴かれた事さえも隠蔽した事に比べたら、事務次官との密通に依って情報を得た事など大した事ないと思うんだけど、当時のメディアはその潮流に乗ってしまい、今に至ったわけですよね。
しかも、スクープ記事を書いた西山さんよりも外務省の事務次官という立場で、どんどんと愛人(しかも新聞記者の)に資料を提供していた女性事務次官の方が「国家への反逆」としての罪が重いんでないかい?と思うが現実は逆だった。
その番組は確か、ドキュメンタリー特集みたいので放映したんだったと思うけど、その後、古館伊知郎の番組でも取り上げられていたので観た人は結構いるかもしれない。
報道機関に居る人達は、誰もが「西山さん」になる危惧を抱えていた方がいいんじゃないかと思う。
事実がどうかも判らない事に目くじらてて、それで雑誌がバカ売れするのかと言えばそうでもない事にエネルギーを注いでどうする?と思うし、そこに人の目が注目する事柄というのは意識していようがいまいが、結局、「これは私たち自身の問題なんですよ」という事を孕んでいるからなんだと思う。
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