kotobuki2010
(2018.01.13 ディスコグラフィ)
(付け焼き刃の割には当時の音楽性がギュギュ~~~~~っと詰まったいい曲です。結局、その後のライブではおなじみの曲に君臨しました。有り難う~「イカ天」)
当時は「反原発のうた」というコンセプトで、カスピ海のアザラシが原発から廃棄された汚水で病気になった歌を、カスピ海にアザラシがいるのか?原発があるのか?全く調べもせず、ファンからもらったアザラシのぬいぐるみをブンブンぶん回しながら歌ったり、今回のアルバムにも入っている『金網の向こう側』では星条旗を振り回して踏みつけたりと、無茶苦茶な事をやってました。
でも、本当に大真面目に「この社会、どうにかせんといかんのじゃないか?」と思っていて、その想いを音楽でぶちまけていたわけです。
んが、いかんせん歌唱力が足らんかったね、、、、
想いばっかりでぶっ飛ばしてるもんなぁ~
その「ぶっ飛ばしてる感」が「若気の至り感」満載で恥ずかしいってのはあるんですが、『タリラリの未来』は、こんな日本に明るい未来はあるんかい?と不安、不満、不信を真面目にぶちまけながらもライブの無茶苦茶な感じをテレビでも問題ない様にってコンセプトの元に出来たうたなので、へんてこなうた、へんてこな曲、へんてこなギターって~のを全力100%でやっちまったのも恥ずかしさ倍増の理由かもしれません。
(当時を振り返ってみると、今は本当にポップになったな~と思います。)
そんなわけで、結成当時から長い事、社会に対して感じている違和感の様なものを歌う事は、硬派なうたにもふざけたうたにも共通してあったわけですが、意図されたものかどうかはわかりませんが、今回のアルバムには「沖縄」をテーマとしたうただけが集まりました。
特に『金網の向こう側』『AOZORA』は、その当時は思いもしなかったけれど、沖縄で次々と生まれる新しいロック音楽からアメリカ占領下や72年の祖国復帰の匂いのなくなったこの時代となっては、ある意味、時代の証言とも言えるうたなのではないかと思いますが、やはり『タリラリ~』や『あざらしのうた(タイトルを忘れた!!)』が候補に上がらなかったのは、「普遍性のなさ」なのではないかと思います。
この地球の中の小さな小さな島『沖縄』の小さな家族や出来事を歌いながらも、それは、多分、アフリカの奥地でもアイスランドでも共通の風景がある様に思います。
1曲1曲のその中に狂おしいくらいの沖縄への愛が沢山詰まっていますが、その愛に触れ、自分の中の何かを愛するココロに共鳴します。
『AOZORA』『大歓喜』『月下美人』はレコーディング中も密かに泣けてしまいました。
こんなうた、ニーニー以外の誰にも書けません。
前述の様にお互いに社会への違和感や不信感があったのですが、ライナーノーツに書いた言葉と重複しますが、私の「自分の命にたいする不確かさ」から来る社会や世界への不信を根底とした違和感と違い、ニーニーの感じるそれは『国家VSマイノリティー』という背負ってるものの大きさを感じ、時間を経るごとにその差はどんどん大きくなって行きました。
「沖縄ばっかりのうたは歌えない」
と、当時のうちは良く言っていましたが、ニーニーはニーニーで「オレにはこんなうたしか作れない」と言っていました。
(とっとと「方向性が違うんだね」と解散でもしてそうなもんだのに、なんでかね~)
そして、どんどん、どんどん歌えないうたが増え、喧嘩しながらも2人の納得の行く方向性を模索しながら今に至りました。
うちも那覇と東京との2重生活をしたり、沖縄以外の異文化に触れたり、音楽を通じて様々な出会いを経た事で、あまりにも色んな意味で重かった「沖縄」と「私」の適切な距離が出来、歌えなくなったうた達と新たな出会い直しが出来ました。
「25年」をひとつのうたにする事は出来ないけれど、こんな風に自分達の歩いて来た道を歌えなくなったうたを通して表現出来た事に何よりも時間の重みを感じます。
それは、聴いている人には伝わらない事なのかもしれないし、うちとニーニー以外だれも「25年間の寿[kotobuki]」を知らないわけだから、伝わる事は絶対にないのかもしれない。
「誰にも伝わらないものは商品として販売する価値がないわい!!」と言われてしまえば「そりゃ、すいません~」としか返答の仕様がないのでございますが、今のアコースティックの寿[kotobuki]とは全面的に表出しているものが違っても、「これも私たち寿[kotobuki]の現在なんです」と自信を持って言えるアルバムです。
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