う〜〜〜〜〜む、、、、、、
(2009.07.11 日々のつぶやき)
先日、夜中にアメリカの救急病院が舞台になったドラマを観た。
そのドラマの中で、すごくガビ〜〜〜〜〜ンと心を打たれたシーンがあった。
ホームレスの女性が救急病院に運ばれ、どんどん症状が悪化して行くんだけど原因が特定出来ず、彼女の名前さえも解らないので身辺調査をするうちに、彼女はホームレスになる前、夫と子供がいたんだけど、自分が運転していた車で事故を起こし、自分だけ助かり二人を死なせてしまう、という過去がある事が判る。
そのうち狂犬病である事がわかり、もう命は助からない事が判明する。
その過去を知ったドクターの一人が彼女の傍へ行き、死の淵でドクターを夫と思い『迎えに来てくれたのね』と呟く彼女の手を握り夫の振りをし「違う、君を許しに来た。君はもう許されているんだ。
君のせいじゃない、だからもういいんだよ」と告げる。
このシーンにガビ〜〜〜〜〜〜〜〜ンと来た。
幸せに生きる事を妨げているのは自分自身の中にある罪悪感なんだろうと思う。
前に何かの本で読んだけど、親が仲が悪くて喧嘩ばっかりしている子供の大多数は「自分のせいで喧嘩をしているのかも。自分は生まれてこない方が良かったのかも」と思い、大人になってからも無意識で「自分を責める」という癖が身に付くらしい。
それは「罪悪感」を抱える原因の一例だけどね。
この例で言えば、喧嘩ばっかりしているのは親である彼ら自身の問題だし、別の世界で生きる選択も出来ない小さな子供になす術なんかあるわけもなく、そう感じさせる大人が子供じみてるわけで。
だから、罪悪感を感じる本当は必要はないはずよね。
子供にとっては親や生まれた環境が全てで、そこで受け入れられなければ「世界から見捨てられた」気持ちになるのは当然だし、それを越えるハッピーな経験がなければ、その感情は黒いシミの様にずっと心に住み続けるかもしれない。
でも、大人になって、そのメカニズムに気が付いて自分を許す事が出来れば、「生まれて来なければ良かった」という罪悪感を手放し、自由に新しい風を自分に吹き込む事も出来るのだと思う。
何となく、今のうちにも旦那くんにもそういう類いの
子供の頃に「自分はこれではいけない」と知らず知らずのうちにブロックしてしまった感情に対しての「許し」が必要な気がした。
だからガビ〜〜ンと来ちゃったんだはずね〜
タイムリーだったなぁ〜あの台詞。
昨日の夜は、旦那くんの入院している病院で事件があり、寝ようと思ったら猛然とハラがたって眠れなくなり、明け方近く、ダライラマの「抱く言葉」を読んだ。
あぁ〜なるほどと思う言葉は山ほどあったけど、その中で
宇宙が存在するかぎり、
意識が存在するかぎり
私も存在する、
助けるために、仕えるために、
私にできることをするために。
そんな風に考えると
人の内面は強くなり、自信が生まれます。
助けるため、仕えるためっていうのは100%ピンとは来ないけれども、「私にできることをするために」っていうのは、すごく心に響いた。
何度も何度も、マントラの様にその言葉を繰り返していたら、身体の中から沢山の光が溢れてくる感じがして、ようやく眠れた。
「何のために生まれ、なんのために生きているのか?」と考えてしまう事があるけれど、「私」という命が存在しているという事が全ての答えであると思う。
理由が答えられなくても、宇宙が、地球が、星や、花や、海や、虫が存在する様に。
そして「この私にできる事」を淡々をやり続けて行けば、それでいいのだなと思う。
『旦那くんのためにベストの選択を!!』と思ってしまうが、「私に出来得るベストな選択」をして行く事が大事なんだなと改めて思った。
お陰様で旦那くんは、今日平熱に戻りました。
相変わらず、ヒス起こしたりしてますけど、元気になりました。
ご心配して下さった皆様、有り難う。
今度の日曜日は駒込『どぅたっち』でライブです。
お時間ありましたらお越し下さいませ〜
ではでは、またねん。
前:七夕・満月
次:有り難うございました。
🏠 📧
(C)2022 寿[kotobuki]