ピースボートの旅のお話その2
(2016.01.12 日々のつぶやき)
凄かったなぁ〜あれは。
船内は酔い防止のためかなり冷房が効いていて乾燥もしているし、デッキでライブすると潮風と排煙とでかなり喉には過酷な環境なのです。
今までの経験から今回も部屋には洗濯物を常にぶら下げ、寝る時は濡れたマスク着用、蓮根飴を舐め白湯を飲み続け、うがいをし、ツボを押し、レストランに行く度にオリーブオイルをもらって飲み、色んな事に気をつけてもそれでも最後は声が枯れ切ってしまいましたが、やり切った感は満載でしたし、本当に楽しかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お世話になった皆々様、有り難うございました!

(横浜から那覇まで建設親方こと真喜志好一さんも乗船。久しぶりに語らいました!)
最後に最初の寄港地の那覇の事を書きます。
初めて船で沖縄に上陸しました。
去年の7月に那覇・波の上ビーチから若狭港に大きな客船が停泊しているのが見えて「ほ〜〜〜〜〜、あんなに大きな船が停泊出来る港が出来たんだね〜」なんて思っていたら、まさか半年後に自分がその港に降り立つことになろうとは思いもしませんでした。
早朝の入港時は前日のライブの打ち上げ疲れ(笑)もあってスースー寝てしまっており感動の那覇港入港は経験出来ませんでした。
その後、夜(確か21時だったはず)の帰船リミットまでノープランで那覇、首里をぶらぶらし、いよいよ那覇から日本出国。
船が大きく動いて桟橋を離れた瞬間、名曲『別れの煙』が脳内BGMとしてヘヴィーローテーションし始めました。
この歌は移民で島を離れる子供を思って旅の安全を祈りつつも、別れの寂しさ、その親の心を歌ったものです。
デッキからは湾曲した沖縄本島の本部の辺り(と思う)まで続く灯りでキラキラと輝いて見えました。
少しずつ小さくなってゆく那覇の街の灯り、だんだん遠くなって島影が完全に見えなくなるまで1時間近くかかりました。
若狭から南部方面へ進む船から見える沖縄本島の形は鳥の翼のようで、そしてとても美しかった。
どういうわけか私は涙がボロボロ出て来て止まらなくなり猛烈な寂しさに襲われました。
一体何であんなに寂しくなったのか?全く判りませんが、昔の人達はこんな風に小さくなる島を愛でる様にいつまでも別れを惜しんでいたんだろうなと思いました。

(若狭港のすぐ近くに”瀬長亀治郎記念館『不屈館』がありました。生まれて初めて”那覇”からの出国スタンプ!!)
那覇ではとても不思議な正に「呼ばれた!」的な事がありましたが、それが今だになんなのかがさっぱり判りませんので、またいつか。

12月30日 シンガポール空港からベトナム・ホーチミン経由で早朝の成田に帰国しました。
新暦の寿[kotobuki]結成30年イヤーはこんな風に終わりました。
沢山の人達にお祝いして頂き、船内でも800人近い初めてお会いしたばかりの人達からお祝いして頂き、お目出度いこの1年を沢山の人達と賑やかで華やかに過ごさせて頂きましたが、最後の日はニーニーと二人に戻りました。
それも、とっても粋な神様のはからいのように感じました。
旧暦2015年が明けたら最後の旧正月ライブが待っています。
2015年、皆様、本当に有り難うございました。
そして2016年も何卒宜しくお願い致します。

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