ピースボートの旅のお話その2
(2016.01.12 日々のつぶやき)
(滞在時間も少なく食べる事に夢中過ぎて写真がほぼナシでした)
船内のクルーは色んな国から来た人達が乗っていましたが、中でもインドネシア人、フィリピン人のクルーが多く、インドネシア人クルーとは沢山話しが出来て、有り難い事に毎日が無料インドネシア語会話レッスンのようでした。
でも、わたくし、インドネシアはバリ島しか知らずやっぱりジャカルタやソロ、スマトラなど別の島から来た人達よりはバリ人が一番話し易いし聞き取り易い。
改めて島によってアクセントや言い回しが全然違うんだな〜と思い、インドネシアの広さを感じました。
そんな中、バリ人クルーの中でもまるで昔からの知り合いのような親しみを感じるような二人と出会いました。
時間がある時は二人が仕事をしているバーでコーヒーを飲み、色んな話をしお互いに日本語、インドネシア語を教え合い、バリの宗教、文化について教えてもらい、ゲラゲラ笑い合い短い時間だったけどすごくいい時間を過ごしたので別れの時は本当に寂しかった。
「またバリで会おうね」って約束したけど、彼らの船での仕事はまだまだ続くし、いつ会えるかな〜。
3人でバリで遊んでる姿をイメージしつつ楽しみにしていよう。
それにしても、インドネシア人とフィリピン人っていうのはどうしてあんなに『人を楽しませる事で自分が楽しむ』という能力に長けているんでしょうかね〜?
彼らといると本当に楽しいし、見習いたいところです。
そして、彼らは遠くから見るとほぼ同じ(失礼!!)に見えるので初めて会ったフィリピン人クルーにうっかりインドネシア語で挨拶してしまい「インドネシア人じゃないよ」と寂しそうな顔で言われる事もしばしば。
そして、唯一知っているタガログ語の「ありがとう」を口にするともの凄い笑顔と勢いでタガログ語で話しかけて来るのですが私が「ありがとう、しか知らないんだよ〜」と言った時のもの凄い寂しそうな顔。
「ムキ〜〜〜〜〜〜何で私はタガログ語が話せないんだ〜〜〜〜〜〜!!」と自分を責めたくなりました(笑)

船内での企画は寿[kotobuki]主催のものと私個人の主催のものとで、忙しく過ごしました。
12日間でライブは小さいのも入れて3回(+ベトナム) 「シェーナウの想い」上映会 「地球の迷い方〜寿[kotobuki]流、旅の楽しみ方」洋上盆踊り大会で使う音源のレコーディング
私主催の企画は「心の平和」と「インドネシア人クルーと話してみよう」という簡単なインドネシア語の講座をやり、だいたい1日に2つの公演、講座をやりました。
「心の平和」は一昨年くらいから実際に自分の身に起きた変化や学んだ事を言葉にして誰かに伝える事で自分が確認するという意味合いがあったような気がします。
本当はもっと丁寧に10回くらいに分けてやれたら良かったとは思うけれど、寄港した日は船内の企画はないので実質8日間という限られた時間の中でどう伝えたらいいのかをピースボートの寿[kotobuki]担当スタッフと結構な時間を割いて話をした事が私にとって凄く良かったな〜と思いました。
大きなテーマとしては「『自分』の中の『自分を見る目』を変える」という事と「自分を許す」という2つ。
「自分を許す」というテーマの日は話している最中にも幾人かの方が泣いていらしたり、終わった後も「話しをしたい」と寄って来て、それぞれの想いを伝えて下さった方もいらして、「私の哀しみや痛みは私だけのものではない」という事を改めて感じました。
そして、もしそうならば私が痛みや哀しみから解放され自由になっていくという事は同時に多くの人もそうなっていくという事でもあるんだろうな〜とも思いました。
今回も楽器を持参して乗船された方々のセッションライブもやりました。
『KTBK30』はサックス2人
『ORION』はフルートとギター
『もう愛しかない』はギター2人
shyのアニキがピースボートに乗船した時に作った『ありがとう』はウクレレ4人
『安里屋ユンタ』は三線を持って来た沖縄の青年と。
そして『我ったーネット』は船内カルチャースクールでサンバを教えているマーク先生とその講座を受講されている乗客の皆さんと総勢100名くらいのダンサーをゲストに、気が付けば観客全員総立ちで踊りまくってました。
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