冬の独白大放出
(2012.12.11 日々のつぶやき)
寒波が、、、すごいですな。
さて、皆様にご報告があります。
来年の寿[kotobuki]ですが、私が2月末から8月1日までバリ島に短期留学する事になり、結成28年目にして半年休業します。
旧正月ライブ、釧路の沖縄ナイトが終わったら夏まで寿[kotobuki]のライブはありませんので、皆様、是非是非1月〜2月のライブ、お越し下さいませ〜
そして、4年目に突入したよーたんたんとの生活を終わりにしました。
よーたんたんは実家の近くの施設に6日に入所しました。
今年の3月〜4月のバリの旅で、自分と相当向き合わざるを得ない状況になった時、私の中に『愛情も時間もお金も、私があげられるものは全部よーたんたんにあげてしまって私の中には何も残ってない』という空虚がある事に気が付きました。
また、このままだったらどちらかが死ぬまで、私一人がよーたんたんの人生を背負わされるという恐怖もあり、それは自分で思っていた以上の重圧がありました。
きっかけは、バリに行って1週間くらい経った頃の事。
よーたんたんが発熱し”てんかん発作”が止まらず救急搬送しましたという、預かってもらってる施設からの連絡がありました。
そこから感情の蓋が空いて、色んな声が自分の中から聞こえて来ました。
その声をひとつひとつ聞いているうちに自分の空虚に気が付きました。
自分では色んな人の協力を得て自分なりに楽しく、やりたい事をやっていると思っていたのでその発見は衝撃で、でも、特に去年1年間の自分の言動や体調や思考や、色んな事を想うとその空虚が私を支配していて、いつの間にか『な〜〜んも残ってない私』が私そのものになっている事を認めざるを得なくなりました。
これは、人の介護でなくても燃え尽き症候群とでもいうか、そのような体験をした事のある人なら多分お分かり頂けると思いますが、自分がうつろという感覚は恐ろしいものだったし、このままだとどうなっちゃうんだろ?という恐怖や焦りや、、、、特に私の場合、本当に無自覚だったので混乱しました。
さぼれるレッスンはさぼって、さぼれないレッスンには行って先生の前で泣いたりしながら貴重だといつも言っていたバリの一日をほぼ泣いて過ごし、お寺に行って瞑想し、とにかく一端この生活をリセットしようと決めました。
一大決心をして帰国したはずなのに迷って、先ずケアマネージャーさんに相談してからも決心がつかず、3週間くらいしてよーたんたんの両親に『私一人で介護し続けるのはもう無理』と告げました。
そこから更に2ヶ月くらい経って、『私の将来を自由にして欲しいので離婚させてくれ』と告げました。
あきらかに一人では生きていけなくなって、こんなに私を頼ってくれてて、お家に居たそうなよーたんたんを、本人の意志の確認も同意も得れないまま離れる事への罪悪感にさいなまれ、悩み過ぎてご飯が食べれなくなったり毎日、毎日泣けて「なんでこんな事になったんだろう?」と久しぶりに自分の人生を呪ったりもしました。
何であんたはしゃべれないんだ〜〜〜と、あんたの言葉が考えが聞きたいんだよぉ!と、よーたんたんに八つ当たりもしましたよ、、、
おまけに、よーたんたんは本当に愛らしいし、確実に変化は起こっていて喜ばしい事も沢山あり、二人でいる事が『やっぱり楽しいよね』と思ったりもしていたので、夏の本当に忙しくなるまで、迷って泣いての繰り返しでした。
また、そんな空虚を抱えたまんま、人前に立ちお金まで頂いて歌う事や踊る事への罪悪感もありその罪悪感とも向き合って、ずっと私の中にあった『歌う喜び』を取り戻したいと思い、自分の感情をノートに書き出しては、どんな思考が罪悪感を生むのか?その思考癖はいつ身に付いたのか?を知り、手放すという作業を繰り返しました。
気が付いたらその『ナビィちゃん秘密手帳』は3冊分にもなってました!!
相当な闇があったのね、、、、、わたし。
そんなこんなでひと夏が終わってみたら、本当に整理がつき、こんなに濃密な時間を過ごした二人の関係の中で、一方だけが勝手に離れたいと思ってるという事はないのではないかと思うようになりました。
やっぱりお互いの中に、新しい道を行こうという決心があるからこのタイミングでこの様な状況になったのではないかと、そう思いました。
その様な考えが現れてから、自分の子供のように思っていたよーたんたんを別の目で見る、感じるようになりました。
私は夫が障害者になってから、夫と自分の未来が不安で不安で、この先何が起こるかわからないという恐怖のあまり、夫の人生をもコントロールしようとしていた事に気が付きました。

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