もうすぐ旧正ライブやしぇ!
(2015.02.16 日々のつぶやき)
今週末は旧正月ライブ!!
今年は30周年のお祝いでもあるので俄然、はりきっております。
前売り予約も続々有り難うございます!
まだの方はお早めに〜〜〜〜〜
あぁー楽しみだぁ!!
楽しみしてて下さい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
昨日、北区選出の都議”おときた駿”氏が企画する『東京ジャーミィ(モスク)見学ツアー』
に参加して来ました。
20人くらいかな〜と思っていたら100人ほどの参加者が!!
我々のツアー以外にも団体で来られた方々もおり、今、イスラム教やムスリムに対する関心を持つ人達がこんなにいる事に驚きました。
東京ジャーミィーには日本人ムスリムの下山さんという方が勤務していらして日本人とイスラム世界の架け橋を担っておられます。
この日も私達にモスクがこの場所に出来た由来やイスラム教という宗教の概要、そして最後にISISの犯行についてムスリムとして今、想う事などをお話して下さいました。
最初に教えて下さったのはムスリムの挨拶。
言葉とその意味でした。
アッサラーム アレイクム(あなたに平和がありますように)
そして返す挨拶の言葉は
ワレイコム サラーム(あなたにこそ平和がありますよう)
「日本人がムスリムやイスラムの世界に関心を持ってくれ、このモスクを尋ねてくれる事を在日ムスリム達は喜んでいます」とおっしゃり何度も「有り難うございます」と繰り返していらっしゃいましたが、本当は「こちらこそ、異教徒の私達を迎え入れて下さって有り難うございます」だし、その言葉は裏を返せば今までが無関心過ぎたという事なのではないかなと思いました。
そして、その『無関心』こそがテロ行為と呼ばれるものの背景にあると思います。

(モスク礼拝堂の中でお話をして下さる下山さん)
モスクの中は本当に神聖で清浄な氣に満ちあふれていました。
私は20歳の時にニューヨークのメトロポリタン美術館でイスラム美術展を見てその美しい世界に心を奪われ以来、「いつかモスクの中に入りたい」と思うようになりシンガポール、ケニア、モルジブとモスクを見かけたら暑い中、長袖の服を来て(肌の露出を避けるため)モスクを尋ねましたがどこでも断られ続けました。
が、なんとカイロ(エジプト)のそれほど大きくないモスクの前で「10$払えば入れてやる」と手招きするおっさん・イブラヒム(推定)がいるではないですか?!
しかし、今まで「ムスリムではない」という理由で入れてもらえなかったモスクに、神聖なモスクにたったの10$で入っていいのか?
神への冒涜ではないのか?
散々悩みましたが、このチャンスを逃したら一生入れないかもしれない!
気づけば暑すぎるカイロで日よけのために長袖のカーディガンを着ており、ヨルダンで買ったスカーフも持っていました。
とりあえず、身につけているもので冒涜にあたるものはなさそうだ!と判断し、欲に負けてモスクに入る事にしました。
礼拝の前で沢山の人が集まっていたものの、みんな、静かに座ったり横になったりして宗教施設というよりも寄り合い所のような雰囲気で礼拝が始まるのを待っていました。
ドームの中は窓から光が差し込み、明るくそして涼しく、ドームと事務所とおぼしき建物の間に噴水がありそこには沢山の鳩が集まっていて、集まった人達は大声で話しをする人もおらずとてもとても平穏そのもので、まるで無声映画ワンシーンのような時間が流れていました。
カイロ市内の喧噪とは全く真逆の静寂がモスクにはあり、私は自分がどんどん静かにそして穏やかになって行くのを感じていました。
やがて独特な歌唱のような声がドームに響き礼拝が始まると列をなして座った人たちが一斉に頭を下げ額を床につけ祈り始めました。
その時、私は、なんというか祈りの厚みのようなものを感じ、胸が熱くなりました。
個を越えて何万という命がこの場でこうやって祈り続けて来た歴史や濃蜜さや重みを感じました。
そして、それは、高野山でも、チリの教会でも、バリでも感じた事です。

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