ひろげよう 宇宙の夢よ〜
(2009.06.02 日々のつぶやき)
毎日しとしと雨が良く降りましたなぁ〜
おまけに昨日は寒かった。
早く夏にならんかなぁ〜〜〜〜〜〜〜
先日『一週間前から「脳死状態」と言われていた友人が亡くなりました』と友達からメールが来た。
そのご友人の死因は、旦那くんと同じ髄膜炎。
そこに「國貞さんは、やっぱり生きたくて自らこの世界にとどまる事を決めたんだと思う」と書いてあった。
『命』っていうのは、自ら選んでここに在るものだと思っているんだけど、「自分で選んでいるこの現実」を、そのまんま受け入れ生きて行くのは時々辛くて、残酷で、、、、、
だから人は『神様』という存在を作り出して、「この現実は」「この試練は」「この哀しみは」
『神が与えしもの』
と、そうやって誰かに預けてしまう事で、乗り越えられたり、回避出来たり、、、そんな事もあったのかもしれないな〜とふと思った。
でも、神様大好き、信仰心もあるけど、無宗教のうちは、神様が与えたものは「可能性」だと常々思っている。
見えざる偉大な存在が、「命のつらなり」というものすごいシステムを作りだした。
けど、その後、その命に与えたものは、この命の果てしない、その神様でさえも想像してなかった心の成長の様な気がする。
そして、それを楽しみに待っている様な気がする。
「成長って何よ?」と突っ込まれている気がするけど、うまく言えないけどその言葉しか見つからないんだな〜。
昔、長倉洋海さんの書いた著作で『鳥のように 川のように』というブラジルのインディオのクレナック族の若きリーダー「アユトン・クレナック」の事を書いた本があった。
インディオとして初めて国会議員になり、先住民が先住民の誇りを持ち、先祖から受け継いだ智慧をそのまま活かして生きれる社会づくりを討ったえた。
その彼の言葉の中に「色んなもの破壊し続けて開発し、その果てに宇宙へ行く事になんの意味があり、それを進化と呼ぶ必要があるのか?
言葉の通じ合わない隣の部族とさえも解り合えない我々の本当の進化とは、解り合う事なのではないか」(言葉ひとつ、ひとつは正しくないかも)
というのがあって、30代の初め、うちにとってこの言葉は衝撃だった。
『破壊よりも和解』
その言葉をうちは「人間の心の成長」と受け取った。
よく、「人間だけが戦争をし、地球を破滅に追いやる行動を起こしてるんだから人間がいなくなればいいんだ」という人がいるけど、それは違うとうちは思う。
この地球の命の歴史ってすんげ〜残酷だよ。
必要のなくなった種族は淘汰されるか、今いる種族の遺伝子の一部になるか、しか残っていない。
これだけ戦争やら殺戮やら繰り返してるんだのに、人間という種族が残っているって事は、まだやるべき事があるって事なんだとうちは思う。
この事は、あのダライラマ14世も言っていて、それを知ったうちは「きゃ〜うちってばスゴい!!」と自画自賛したのであった。
ま〜こりゃ〜ど〜でもいいんだけどね。
あれ?何が言いたかったんだっけ????
そうそう、今生きているって事は、そういう事なんだと思う。
生きて、神様やこの宇宙の夢に貢献する必要性があるんだと思う。
そのメンバーに自ら名乗りをあげてるんじゃないかと。
その「夢」ってのはやっぱり「和解」から始まる気がする。
愛されなかった自分、愛されなかった自分を愛さなかった自分自身との和解。
最初の一歩はそこなんじゃないかなぁ〜
そこが癒されて初めて、自ら選んでここに在る事を自身が受け入れる事が出来、地球の生き物メンバーズとして、地球に宇宙に貢献していると思える気がするからね〜
おぉ!!やっと晴れました!!
洗濯物を干して、ご飯食べて旦那くんに会いに行って来るかにゃ〜
ではでは、またね〜

(最近、ちょ〜お気に入りの発表会の写真
どうしたらデーターが小さく出来るか解らず、写真を携帯で撮ってみた。とほほ)

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