春なのに〜
(2011.04.22 日々のつぶやき)
なんだか肌寒いですな〜
沖縄出身の大先輩Kさんが2月の終わりに事故で亡くなられ、四十九日の昨日、偲ぶ会で歌わせて頂きました。
Kさんの妻はクワッチーダンサーズのメンバーであるので、ここ最近、毎年旧正月ライブに来て下さり、今年は久しぶりに2次会まで打ち上げに参加して下さり、昔の話から色々出来て、そして何度も「ナビィは本当にいい意味で年々パワフルになって素晴らしい。これからも僕は応援するからね」と言ってくれた。
けど、それが最後になってしまった。
去年はkさんといつも一緒にいた、同じ沖縄出身のUさんも突然、ガンを宣告されひと月しないうちに亡くなり、寿[kotobuki]が影響を受けた偉大な先輩を立て続けに失いました。
Uさんも、一昨年の秋、駒込の『どぅたっち』のライブに来て下さり、帰り際に、何度も「寿[kotobuki]のうたは、同じ歌でも久しぶりに聞くと進化してる様に感じる。沢山の人に愛されて民謡の様に『残るうた』になる可能性を感じるよ」と言って下さった。
その時は、あまりに何度もそんな言葉を口にするので「なんで〜遺言みたいに言わんで〜」とふざけて返していたんだけど、本当に遺言になってしまった。
昨日は、歌わせてもらっている時に先輩二人のこの言葉がずっと聞こえていて、こんなに早く亡くなるなんて思っていなかったから、いちいち記憶にとどめようとはして居なかったけれど、この沖縄出身の先輩達(もちろん2人以外にもですが)に愛されて励まされて、沢山の言葉をかけてもらったお陰で民謡を歌えたし、沖縄と関われてこれ、こうして自分の人生を送れて来たのだと思い、感謝の気持ちが湧いて来たと共に泣けて来た。
いいものを沢山戴いて、それは確実に私の中に在る。
だから、今度は、私が戴いたいいものを撒いてゆこう。
こうやって人は、先人の生きた証を小分けにしてついでにも自分のもくっつけて残して来たんだろうと思う。
昨日はクワッチーダンサーズのメンバーも2人参加していたので、寿[kotobuki]のライブの最後は妻のMさんも交えて『繁昌節〜唐船どーい(カチャーシーのうた)』に踊りで参加してくれました。
故人を偲ぶ会でカチャーシーって、なかなか無いと思うけど、怒る人もおらず、最終的にはダンスタイムになりました。
それはとても沖縄的で、エイサーと琉球空手の名手だった先輩も、そして沢山の魂も一緒に踊っている様な気がしました。
今日は五反田の結まーるでライブです。
お時間があったらお越し下さいませ。
ではでは。

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