kotobuki2010
(2018.01.13 ディスコグラフィ)
出会いと別れを…
宇宙よありがとう。
『月の夜』
アルバム「継いでゆくもの」でアコースティック・ヴァージョンとして収録してますが、こちらのレゲエ・ヴァージョンがオリジナルになります、ブラス・ホーン・セクションなどを入れてスタジオ録音の夢がありましたが…今回は1996年のライブ音源での収録でお楽しみください。
この星のどこかで戦場になった夜も、穏やかな時代の夜も、ずっと、ずっと太古から月はやさしく光を照らす…。
誰かが死んだ夜も 命が生まれた夜も…泣き笑いの人間の営みの日々を月は変わらず静かに見つめていてくれる、いままでも、これからも…。
寿[kotobuki]の宇宙観を示す荘厳で珠玉の大曲。
『道』
1989年、時はバンドブーム絶頂!ライブではかかせなかった曲。
芥川賞小説「オキナワの少年」(東峰夫)と当時のニューエイジ・ムーブメントに触発されて?書かれた、寿[kotobuki]には珍しい抽象的な詩世界とR&Rの3コード的なノリが今となったら希少な、ストレートな寿[kotobuki]流ロケンロー!です。
『AOZORA~少年の日に見た青い空~』
「金網の向こう側」と共に初期・寿[kotobuki]の代表曲。
1988年ライブ演奏時はサイケデリックで複雑かつプログレ的な大作アレンジでしたが(10分以上はあったかも(笑)…20年後の今回の収録アレンジは超シンプルな??(笑)ストレートな良い作品になりました。
収録曲を決める前は さすがに、この曲は無理かな~と悩んでましたが、我先にナビィはハマって歌ってました(笑)
…この曲は「沖縄と言えば明るく楽しい曲サ~(笑)」的な人種?には表現できない(理解したくない?)南島の光にある影の部分、痛みとやさしさ、そして愛…そんな世界や、まとわりつく様なドロッとした空気や島のイメージを表現した秀作と思います(自画自賛~(笑)
……
南の島の日差しは痛いほど強烈で眩しい、それに比べ昼間の家内はやたらと薄暗いと感じてた…。 強い太陽光に目がやられてたからだろう…。
地上戦に巻き込まれ軍民共に戦い、4人に1人が死んだと言われる沖縄の人達は、戦争で亡くなった身内縁者が必ずいる。 友人や他人の家を訪れると、どこでも仏壇に遺影がズラリと並ぶ、老人や軍服の若者、子供、赤ん坊まで さまざまだ。
子供の頃は戦争で精神に異常をきたした人や体に障害を背負った人、心に傷を負い静かに暮らす人達が(そんな人達を集めた場所も) まだ たくさんいた、時を経て異常をきたす人が今もいる…。 (戦後すぐ日本に切り捨てられたアメリカ統治の沖縄にそんな人達をケアする…しなければならないはずの手段すら及ばず…)
「青い海と空の下、のんびり暮らす人達」…観光で沖縄に来たら そんな印象で思い出を残すだろうか? 少年の僕の中のオキナワは「AOZORA」の曲世界に全て表現されている…。 東京でナビィに出会って聞き、それまで自分の持ってた広島のイメージも近いものを感じた…。終わらない戦争が続いてる人達は たくさんいるのだ…。
そんな人達が癒される事、そんな日は来るのだろうか? 少年の僕は 青い空と共に心に刻み込んだ……「愛を全てに」と。
『月下美人』
「サボテン類/夏の夜、純白大輪の美しく香りのよい花を咲かし、4時間ほどでしぼむ」沖縄では月下美人を育ててる家が多い、亜熱帯に似合う花である。
この地球に生まれ、戦争や差別や貧困と…現実があり世界は今日も悲しみに溢れてる…。 しかし この瞬間も地球の上には言葉も宗教も肌の色も違っても、自分達と同じ様に家族を愛し、泣き、笑い暮らす人々のあたりまえの日常がある 。
寿[kotobuki]は世界中の色んな国の人達と出会い歌った…。
誰もが本当にやさしい人達だった。
そう、人類とは そう変わりはないのだ…
愛されてる子供達には輝く笑顔があった。
そこには未来の希望があるのだ。
…今日もこれからも、地球の上の何処かで笑い!歌い!寿[kotobuki]の歌の旅は続いているであろう。
寿[kotobuki]
ナーグシクヨシミツ
[End]
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