kotobuki2010
(2018.01.13 ディスコグラフィ)
人間は戦争で何もかも失なっても、また出会い、愛し、家族を育み、焼け野原から街を復興させ、力強く生き…また延々と道は続く…。
自分達が日々、あたりまえに生き暮らし、出会う全ての事が奇跡なのかもしれない。
『大歓喜』
1995~96の作品。
ずっと多くの寿[kotobuki]ファンからCDレコーディング化を望まれ続けた曲、感謝を込めて収録。
1995戦後50年、沖縄戦の終結、捕虜収容所の解放や、この時期から寿[kotobuki]が深くかかわり始めたアジア各国の従軍慰安婦の方達の証言…
50年にして苦しくても、ようやく伝えはじめる事が出来た それぞれの体験や想いが重なり、今も世界中で虐げられてる命への未来のメッセージとして歌われてます
「自由や尊厳を奪われてもよい命など絶対に無いのだ!この地球上に!」と。
『がじゅまるの木の下で』『光』
当時コンサートのクライマックスでは必ず演奏、そして大合唱&爆発!!の人気の2曲でした。
今でも寿[kotobuki]と言えば「がじゅまるの木の下で」と言うファンが多い。なんらかの形でも、スタジオ録音ヴァージョンはいつか残したいものです。
小さい頃から、よく聞いた母方親族の沖縄戦の体験を元に曲を書くつもりで準備をしていました…。
1991寿[kotobuki]は「ソビエト連邦崩壊!バルト三国独立」のニュースを見て、奪われたエストニアを取り戻すため誇りを持ち生きてる民衆や出会った人達を想い、共に勝利した気持ちになり歓喜した…。
すぐに神の啓示の様に2曲が出来あがりました。
「奪われ続けても魂までは渡さない!虐げられ翻弄された国や人達こそ痛みを知り、強い愛で未来を作り、光を放つのだ!」
大国に翻弄され続けてる琉球民族と重なり合うエストニアの歴史に何度も胸が熱くなった…
かけがえのないエストニアでの体験と、民衆に勇気をもらい後押しされる様に出来た寿[kotobuki]入魂の2曲です。
「がじゅまるの木の下で」は沖縄、横浜寿町、外国でのライブなどなど、寿[kotobuki]の行く先々の歌う場所に溶け込み、新しく違う姿に変わってく、まさにガジュマルの木のような不思議な力を持つ曲だなぁと感じた事がありました。
…寿[kotobuki]の他の曲も全てですが、若い世代やたくさんの人に歌い継いでいってほしいな~と思います。
『ユリの花』
今回 残念ながら収録外れた「南風」の続編の曲です、レコーディング中に妄想の中で「世界のウチナンチュー大会」テーマソングで流れてる事に勝手に決めてました(笑)!!
…歌詞中のさとうきび畑の中の家も消え、ユリの咲く山(丘)も住宅が立ち並び、もうありません…。
変わりゆく故郷の姿…しかし胸の中に刻み込まれた懐かしい人達や風景を思い出せえば、生きていて何があろうと、どんな場所にいようと、今の瞬間を力強く生きていけます…。
人は記憶の中に生きてる…、後悔する過去があっても今の自分が愛に満ちて生きれば、愛おしい思い出に変わっていくはずです。 皆さんも思い出の花を摘みに行ってみてください、あなたの魂のふるさとへ…。
『青空に囲まれた地球の頂点に立って』
1989年の寿[kotobuki]代表曲。
他の音源もありました、しかし録音状態は良いとは言えないですが、それからの寿[kotobuki]の音楽活動や生きる価値観まで影響を与えた独立運動フェス「エストニアロックサマー91」の記録、あえて そのライブ音源を使いしました。
この曲を作った1989年、当初は仮タイトルで「青空と地球…(云々?)頂点の島で…(云々?)」てな…まだぼんやりな感じでしたが、引き寄せられる様に大好きな沖縄詩人「山之口貘」の詩集に、まるで同じ世界を見た様にシンクロするタイトルを見つけ、畏敬と敬愛を込めて詩のタイトルをそのまま曲名にいただきました、…青空に囲まれた地球の頂点に立って…。
…自分の祖父は糸満海人(ウミンチュ)で、父はその血を継ぎ南洋パラオ諸島で生まれました、太陽光にきらめく海で現地の肌の黒い子供達と半裸で遊んだ話をよく聞きました…。
父は南島で半裸ではなく大阪でスーツのサラリーマンとして1989年に亡くなりました…
そんな父親の死により自分は人生観や死生観、歌に込めるメッセージまで変わりました。
身勝手ながら今では自分のためのタイミングで亡くなり、なにかを教えてくれたのかとさえ思ってます…、人間の生き死にかかわりは全て必然なのだろう…。

[P.4/5]
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