難しい、、、、、
(2009.06.19 日々のつぶやき)
今日、『脳死は人の死である』と国会で承認され、それに関連した報道をニュースでやってるのを観た。
「臓器移植法法案」に関連する特集をここ最近頻繁にテレビでやっていたので特に新しい「情報」を知る事はなかったけど、やっぱりこういう番組を観る度に本当に複雑な気持ちになる。
自分はやっぱり「脳死」を「死」とは思えない。
医療の介入によって生きてるのかもしれないけれど、それでも、体温があり、発汗があり、爪が伸びたり髪の毛が伸びたり、、、、
子供の場合は身長も伸びるとか、、、、
そんな話を聞くと「やっぱり『死』っていうのは全てが止まった時だろう」と思う。
そして、例えば、身内が「脳死」と判定され、臓器移植の話が出たとする。
「誰かがこの人の死を望んでる」と思ったら、相当へこむと思う。
でも、自分に子供がいて、渡航するだけでもリスクが大きいであろう渡米なんかしなくても国内で手術が受けれて臓器移植さえすれば、この子に未来があるかも、と思ったらやっぱりそれを望むだろうなと思う。
「臓器移植」に関しては、貧しい国の特に子供が臓器売買の対象になっている事も深刻な問題だと思う。
その問題がある国に住んでる人達は多分、生まれつきに臓器に疾患があっても「臓器移植」なんて受けれないと思う。
先進医療のある先進国の人間が臓器を求めていて、そして、そんな事など無縁の貧しい国の人達の臓器は闇の世界で取引されている。
何かがおかしい。
とにかく、本当に難しい問題だと思う。
やっぱり「命を操作する事」は何というか、神の領域みたいなものなんじゃないかと思う。
だから、色んな立場を越えて、その事に対しての畏怖とか、自分達の能力を越えた事をしようとしているという自覚の様なものは持っていないといけないんじゃないかと思う。
それと、その権限を握ってる人、例えば医者とかが「愛」を持ってその事に当たって欲しいと願う。
「脳死」と判断するにしても、「臓器移植」を進めるにしても。
自分の出世とか、利権とか、名誉とか、そんな事のために進めるのではなく、そこに関わる全ての「なす術もない」人達に対して「愛」を持って対応して欲しいと、そう思う。
ところで、掲示板にも書きかましたけど、23日の吉祥寺『曼荼羅』での『慰霊の日』のライブに
元「ひめゆり学徒隊」で、映画『ひめゆり』でも証言された与那覇百子(よなはももこ)さんに急遽出演をして頂く事になりました。
与那覇さんは「命の話」をされる人です。
短い時間ですが、沖縄戦についてや、戦時中にどんな思いも持っていたのか?色んなお話をして頂く予定です。
お時間ありましたら、是非是非お越し下さい。
3人にひとりの民間人が死んだと言われる沖縄地上戦。
その中を生き抜けたというのはまさに奇跡だと、うちは思います。
「生と死」を分けたものは、紙切れくらい薄い偶然だと思います。
その奇跡の人達が出会って子供が生まれ、奇跡の命が続いています。
でも、それは沖縄だけの話ではなく、この全世界、殺戮だらけの歴史の中で、生き抜けた事は奇跡で、その奇跡の命の末裔と奇跡の様な出会いを繰り返しているのが「人生」の様な気がします。
祖父母や両親、そして沖縄で知り合った年配の方々の戦争体験を聞き、うちも、あなたも、そして世界中の人達も、「奇跡の命」である事を感じました。
戦争を忘れてはいけない理由のひとつは、豊かな、この日常で忘れてしまう「命は奇跡である」という事を思い出させるからかもしれません。
さて、明日はいよいよ小松のライブへ出発です。
構想2年。
本当に実行委員の皆様、有り難うございます。
「やって良かった!!」と心底思ってもらえる様、頑張りま〜す。
それから、マクロビオテックのお菓子も作りました。
『ドライフルーツのスコーン』と『ココナッツバナナケーキ』を何と販売します。
買ってね〜
して、お口に合わなかったらすいません〜
今のうち謝っておきまする。
ではでは、またね〜

前:心地良い〜〜〜〜〜〜〜♪
次:ハードディズ!!
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