ラララ♪沖縄ナイトツアーだよ〜その3
(2009.03.01 日々のつぶやき)
その後、うちは打ち上げ会場を後にし、温泉へと繰り出しました。
釧路市内にあるホテルの(宿泊先ではないのよ〜とほほ)屋上に露天風呂があり、何気なく髪の毛あらって露天に浸かってたら、空気の冷たさで髪の毛がフローズン気味に、、、、
慌ててドライヤーで乾かし再度露天に浸かりましたけど、アイスランドの屋外温泉でもそんな体験なかったんでびっくりでした。
2時間半くらいいたけど、お客さんはうち一人でした。
700円でなんという贅沢!!
お湯もうちの大好きな海水が混じってるタイプで大満足でした。
いや〜いい旅でした。
翌日は、和商市場に寄り、前日の余韻がお腹に残り過ぎて残念ながら「勝手丼」は食べれなかったけど、大好きなタラコを5キロも買い占め、お土産も買い、挨拶まわりで残ったアニキ以外の3人は一路、釧路空港へ。
ツアコン・アニキの『30分前行動』のお陰で遅刻のなかった今までツアーだったが、釧路発の飛行機の出発が遅れ、羽田の到着が30分遅れる事になってしまった。
そのまま沖縄に帰るジョニーさんは、元々羽田での乗り継ぎが1時間しかなかった上に、釧路からの飛行機と航空会社が違うため、一度手荷物を受け取り、再度チェックインという行程をこの遅れでいくとわずか15分くらいでしなければならず、羽田到着前からスッチーに事情を話し、何とか間に合う方法はないものかと検討した。
んが、「航空会社が違うため無線で連絡を取り合う事が出来ない」とか「提携していないので手荷物をそのまま沖縄便に積み込む事は出来ない」とか、、、、、まぁ、そうなんだろうが、あれもこれも出来ないと言われ、うちは少々キレ気味に。
最初は「遅延証明」を出す事さえも拒んでいたんだが、こちらの過失ではない事を証明してもらわにゃ〜困る!!と思い、何とか発行してもらい、スタッフに沖縄便の航空会社のカウンターまで付いて来てもらう事にしたんだが、タラップから移動するバスも乗客がいっぱいになるまで待たされ、手荷物も事前にタグの番号を調べていたにも関わらず、普通に他の乗客の荷物に混じって流れて来て、そんなこんなで飛行機を降りて次の航空会社のカウンターへ行けるまで20分近くかかり、結局ジョニーさんは乗り遅れてしまった。
「遅延証明」があったお陰で、代金は払わず次の便への振替が出来たけど、あの対応はなんとかならんかったんだろうか?と思った。
その会社、飛行機を降りる時「乗り継ぎのお客様も現地まで無事に到着される事をお祈りしています」みたいな事必ずアナウンスするのによぉ〜
まぁ、それは、自分とこの飛行機で乗り継ぎする人の事を言ってるんだはずね。
そんなわけで最後に、ヒヤヒヤする出来事はあったけど、ツアーは本当に楽しかった。
ツアーはだいたい楽しいもんだけど、沖縄ナイトツアーは格別楽しい。
それも、アニキとジョニーさんの人柄故な気がする。
アニキとジョニーさんは、10代の頃「ハートビーツ」というロックンロールバンドを沖縄で結成し、メジャーデビューと共に上京し、活動していたんだけど上手く行かず解散し、アニキは東京に残り音楽活動を続け、ジョニーさんは沖縄へ帰りしばらくは音楽と無縁に暮らしていたらしい。
ジョニーさんがまた沖縄で音楽活動を再開し、アニキーとジョニーさんも再会し、最近は沖縄ナイト以外でのジョイントは減ったけど、長い時間を経て音楽を共にする様になった。
10年前の初めての沖縄ナイトの時、うちはそんな二人を観て、売れるとか売れないとか関係なく、自分の中にある音楽を奏で続けながら年をとって行く事は、すんげ〜素敵な事なんだ!!と、そう思った。
そして、お互いに「顔を見るのも嫌だったから解散した」と言っていたのに、こうやって許せてるっていうのも素敵だと思った。
ニーニーも多分同じ様な気持ちだろうけど、うちは、この2人のシージャー(先輩)達から、自分らしく有り続ける術とか、それを音楽にどうフィードバックさせて行くのかとか、そんな事を学んでいる様な気がする。
だから、一緒にやってるんだと、そんな事を確認したツアーだった様に思う。
長い長い、ツアーのお話、読んで下さって有り難うございました。
芦別、釧路のスタッフの皆さん、お越し下さった皆さん、イッペーニフェ〜デービタン!!

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