ナビィのフィリピンツアーレポート
(1999.04.19 日々のつぶやき)
なるだけ、出来るだけゴミを作るまい、出すまい、そう思っている自分と、ゴミがあることで生きていける人達と、もちろん国も社会のシステムも違う私と彼らの「問題」をひとつにすることはないと思うのだけど すごく戸惑ってしまった光景でした。
山に登る前 学校の前で山から仕事を終えて帰ってきた子供に会いました。子供達はニコニコして私達に手を振ってくれました。その顔は本当に無邪気でピカピカしていて「どの国の子供もやっぱりかわいいなー」って思ったけど山の上に登ったら、そこで働く子供達は本当に険しい顔で働いていました。
私達には なんとなく意味もなく「机の上に座って会社の中で働く」ことや「お金を動かすこと」が「仕事」っていう様な概念があるけど、そんなことはなくて、どんな仕事も 仕事なんだって 当たり前のことに気付かされました。そして「貧しい=不幸」というものの見方は 余りにも一方的な見方だということにも気付きました。
もちろん 貧しいことで不幸になる人もいるでしょうが、、、「貧しいことは必ずしも不幸じゃない」ということを彼らから学びました。
貧しいといわれようがその状況の中にいようが彼らは「生きる」ことをあきらめちゃーいない様に思えます。「生きる」ことをあきらめる不幸よりひどい不幸はないのかも知れません。
ただやっぱり 彼らの周りの環境は 当たり前だけど 悪くて、皮フ病や差別から来る心の病いや沢山の問題を抱えているのも事実で、チャットは彼らのためにメンタルケアとして音楽療法を大学に入り直して勉強して学校で指導もしていると言ってました。
だから「『貧しい=不幸』ではない」とは言えても「じゃーいいのねー貧しくてもーー」とは やっぱり言えない。 難しい、、、
ただ何の役にも立たない同情や意味のない偏見は手放さなきゃねーーーー と思いました。
「ジェス・サンチャゴ Jess Santiago」というシンガーソングライターは マルコス政権時代 デモやストライキを起こす人達を見せしめで殺すという、メディアも公開しない事実を「ハリーナ」という美しい歌詞とメロディで広めた人です。
私は彼の雰囲気やその功績から日本語で「師匠」と呼んでいました。意味を教えると、たいそう喜んでましたねーー 「ハリーナ」というのはタガログで「集まろう」という意味なんだそうで、「彼女は工場で仕事を見つけて働いていた。ある日彼女は裸で殺されていた。ハリーナ、ハリーナ 皆で彼女に服を着せてあげよう」という様な歌詞でした。
とてもとてもやさしい唄で 別に何か政府を非難する様な歌詞は何処にも出て来ないのに 何年も大きな声で唄うことは出来なかったそうです。にもかかわらず そのうたは 本当に人々に愛された様です。
その証拠にSO SOの生田さんが「Freedom Cafe」という店でのライブの時、このうたを唄ったら すごく若い人達も中年も みんな大合唱でした。永い永い間 民の心を掴んだうたとゆうことなんでしょう。その光景は私は忘れることはないでしょう。今も「今そこで起こっている光景」の様に思い出されます。フィリピンの人達は本当に音楽を愛している様に思いました。
「寿」のうたも「我ったーネット」は毎回やりましたが 皆すぐメロディを覚えて ライブの後「あのうたが好きだー」と言って唄ってくれたりしました。
「『継いでゆくもの』もよかったー」と言って とても喜んでくれて、、、唄いながら フィリピンの色々な光景が目に浮かびながら唄っていたので フィリピンの人が喜んでくれたというのは本当に嬉しく、自信につながる出来事でした。
全く英訳もせず 日本語とウチナーグチ(意味は生田さん フィリピン大の留学生、青木まいちゃんに訳してもらった)で唄ったにもかかわらず ミュージシャンをはじめ、オーディエンスの大半が喜んでくれました。
ピースボートもそうですが今回も沢山の人々との出会いから本当に沢山のものを頂いたと思います。特にピースボートで知り合った ベトナムの美さん、Q・T&レンミンには 本当にお金も使ってもらって 気も使ってもらって あれやこれやとお世話をしてもらいました。
一体私達にどんなお返しが出来るんだろう、、、と思うけど この出会いのすべてを「いい音楽を作る」ということにつなげて行くことが一番のお礼なのでしょう。
帰る前日、「Q・T」が道売りの子供からフィリピンのいい香りのまっ白い花のレイを買ってくれました。日本の税関で没収されない様 カバンの奥の方に隠して持って帰って来ました。

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