ナビィのフィリピンツアーレポート
(1999.04.19 日々のつぶやき)
ハィサ〜〜イ 沖縄ツアーも終って早々に 4/6〜12まで 寿は フィリピンツアーに行ってきました。
もーーーれつに楽しかったよーーーーーん。
フィリピンは マニラ市の近く ケンソ市という フィリピン大学のある学園都市に5日、マラテというマニラの中心地に2日おりました。
ケンソは東京で言えば、多摩とかあの辺り。とても静かで マラテとは全然違ってました。
フィリピン大学の敷地がものすげーーーーーーー広くって 「ジプニー」っていう庶民の、ジープとバスを一つにした様な相乗りバスがあるんだけど その「ジプニー」が大学の校内の中で、いくつものルートに分かれて走っていて、ルートを間違って乗ると、とんでもない所へたどり着いちゃうのだ。
その中に いくつかホテルがあって 私達は 通称「ゴキブリハウス」と呼ばれるホステルに泊りました。
アジアの安宿にありがちな「HOTシャワー エアコンあり」ってあるけど お湯はもちろん出ないし エアコンは30秒位 スイッチを入れる度 爆発音が鳴り響くし、トイレの水の流れは悪いわ、で、もー、アジアの旅を満喫しました。
でもホテルの周りは 緑が沢山あってエアコンなくっても、窓開けてれば心地いい風が入って来るし、慣れればいいトコでしたワ。
そしてケソン市は 沢山ライブハウスがあって、毎日ライブをやりました。特に「70´Sビストロ」というお店は お客さんにも「いいミュージシャンが出演する店」って信用されているみたいで、いつもお客さんがいっぱいいました。
人のコンサートでも飛び入りで唄わせてもらって、結局、この店では5日間で3回も出演しました。6日の初日も、この店で唄わせてもらいました。
そして5日間 この店を皮切りに ずーっと一緒にツアーを回ったのが 日本のSO SO Bandとフィリピンの「AGAW AGIMAT(アガウ・アギマット)」というバンドでした。
そして 私は このバンドのsingar「Q・T」とものすごーーーーく仲良しになり、一緒に買物にいったり、ナビィがいつもやってる 三つ編ヘアーをしてあげたり 彼女の家でご飯を作って食べたりしました。私はゴーヤーチャンプルーを作ったよ。
「Q・T」は元々ネグロス島の人で 子どもの頃はゴミ拾いの仕事をしていたらしく、私達が「パヤタス」という第二のスモーキーマウンテンに行った時、私がどう感じたかをすごく知りたがっていた。
彼女のパートナーである「レンミンRemmin」とも、自分の身内を幼い頃 政府に殺されてるという「彼女の話を聞くだけで『フィリピン』という国の一部が見えてくる」という人でした。
ちっちゃな人で目がキラキラしていて「こんな小さい身体のどこにこんなパワーが?」って思う歌手でした。そしてギャグのセンスもぴかいちで もーー私と 「Q・T」は この私のメチャメチャな英語の会話だのに、涙が出る程、笑いまくっていた。私達のギャグは かなりボディランゲージに頼りまくってるので、ここでご披露出来ないのが残念だよーーーーーーっ。
フィリピン通のSO SOのお陰で 本当に いろいろなミュージシャンとの出会いがありました。
「ペン・ドン」と「チャット」という夫婦は「グループ ペンドン」というバンドをやっていて そのバンドはミンダナオや先住民族の一つ「コルディイエラ」の楽器といわゆるベースギターなどの楽器をうまくMixさせて、本当にPOPでいいうたを作っている人達でした。
「ペン・ドン」も「チャット」も元々 上流階級の人みたいで お家に招いてくれたのですが その住宅街の敷地に入るのに検問があるような高級住宅街の中に住んでいました。そしてイギリス人の「グレッグ」という男の人と(この人の家も「ペンドン」の家の近くで こっちも 又 すんばらしい家でした。)一緒に「パヤタス」というゴミの山の村の中に学校を自費で作って、チャット自身が教師という役目を引き受けて運営していました。
彼ら3人の案内で「パヤタス」のゴミの山に登って来ました。ゴミの山の上には本当に沢山の人が働いていて、子供も一生懸命働いていました。ゴミの山からは絶えずガスが発生していて、煙が漂っていました。
短い時間の間に、おびただしい数のトラックがやってきてマニラ市内のあらゆるゴミを捨てていました。山の上で人々はプラスチックゴミ、生ゴミ、あらゆるリサイクルが可能なゴミを分別していました。
ゴミの山の上は、きっと沢山の有害ガスや物質が発生しているのかも知れませんが、「ゴミを分別して売る」という仕事で生活をしている彼らは環境にどんなに悪かろうと、東京の様に 分別収集ということは出来ないのです。

前[P.1/3]
前:『ナビィ』からの手紙 第7弾
次:関西ツアーレポート
🏠 📧
(C)2022 寿[kotobuki]