週刊「ナビィ、の部屋」第35号
(2003.05.09 日々のつぶやき)
その3 ラパヌイ編

船に乗って5日目、うち達にとっての最初の寄港地『ラパヌイ』に到着
ラパヌイっていうのは、イースター島の本当の名前。
イースターって言うのは、スペイン人がこの島を発見した時が、イースターの日だったので、それを記念してそう名付けたらしい。イヤ〜〜な気分だわ〜。
なので、これから極力イースターの事は『ラパヌイ』と呼ぶ事にしたのでやんす。
ラパヌイは絶海の孤島で、波も普通の島と違って複雑に入り組んだ波で、大きな港が造れないらしい。
で、ピースボートみたいな大きな船は接岸できないので、沖合いに止めて、そこから漁船に乗り換えて島に上陸したわけね。
5日目の真夜中 1時頃にすでにラパヌイ周辺に到着。
真っ暗な夜の中に浮かび上がるモアイの島、ラパヌイ
思ったよりも、ラパヌイは高い山もあって起伏の激しい地形でした。
ピースボート(船の名前はオリビア)は、みんなが無事漁船に乗り換えられ、上陸出来るポイントに停泊する為、島の周りをゆっくり廻りながら、風と波を読みつつポイントを探している。
ラパヌイは島の中心地『ハンガロア』って所にしか人が住んでおらず、船がハンガロアに近付くと、唯一街の灯りがキラキラして見えた。
チリからうち達と一緒にゲストとして乗った、ラパヌイの女性ヴァイさんが『ナビィ!!あれが私の島よ!!ふるさとよ〜〜〜!!』と絶叫しまくってた。
ラパヌイとチリは飛行機での移動が普通で、船から自分の島を、しかも夜の闇に浮かび上がる何とも幻想的な島を見たのは初めての事だったらしい。
彼女はチリのサンチャゴ大学に通う学生さんでもあり、ラパヌイのダンスグループ『カリカリ』のメンバーとして島の伝統を受け継いでるひとり。
船の中でモアイのお話、島の神話、スペイン統治、改宗他、色んなお話をしてた。うちは自分の講座とかぶってて、全部の講座には行けなくて残念だった。
彼女も時々うち達の『島唄、カチャーシー講座』に来てくれて、一緒に歌って踊ってたよ。可愛かった。
〜〜ラパヌイのはなし〜〜

昔、ラパヌイに耳長(みみなが)族と耳短(みみみじか)族がいた。
二つの部族はお互い、別々の島から渡って来たらしかった。
やがて耳長族は力を持ち耳短族を支配するようになった。
彼らは、自分たちの力の象徴としてモアイを建造する事にした。
島の石切り場から石を切り出し、モアイを彫らせ、運ばせ
島中に建造されたモアイは100体を越えた。
抑圧され続けた耳短族はついにクーデターを起こした。
耳長族と耳短族の戦いは長きに渡り、モアイはほう起した耳短族によって倒され
島民の殆どが殺し合い、
戦いが終わった時には、わずかな人間しか生き延びる事が出来なかった。
生き残った彼らは細々と、島の歴史、モアイの意味、宗教、祭りの意味などを言い伝え、『ロンゴロンゴ』と言う石にラパヌイ文字で書き残していた。

ある日海のずっとずっと向こうから、彼らの見た事のない人々がやって来た。
彼らの文化、宗教、生き方はあっと言う間に否定され、彼らは彼らである事を止める様に強要された。
彼らはラパヌイ人ではなく、スペイン人にさせられてしまった。
『ロンゴロンゴ』は邪教だとして、すべて割られてしまった。
史実は薮の中。
この話しは、わずかに残った言い伝えや、数々の学者の分析を元に語られたものだ。
さて、夜が明けて、いよいよラパヌイに上陸!!
と、思いきや、何と波が1M50cm以上の高さになってしまったので、上陸を見合わせてるとの事。
この日に上陸出来なかった時のために、一日ここで停泊して翌日再度上陸チャレンジする事になっているが、スタッフ一同、「できれば今日中に上陸したい」と思ってる様だった。
上陸開始予定より2〜3時間遅れて、なんとか上陸出来そうになり、オプショナルツアーごとに漁船で移動開始。
うちたちは自由行動なので、一番最後の出発になった。
船の上から見てると、7人乗りの小さな漁船は、高く低く上下する波に揺られ、時折見えなくなり、青い青い海に呑まれてしまったんじゃーないか?と不安になった。

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